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by hiroseto2004

「橋龍惨敗」を「新自由主義惨敗」にできなかった痛恨

「橋龍惨敗」を「新自由主義惨敗」にできなかった痛恨
(敬称略)

1998年参院選で自民党は惨敗し、橋本龍太郎は「政治家として心にあるものはある」との言葉を残して退陣した。

橋龍はなぜ、惨敗したか?

それは、
「走れ、走れ龍太郎、小沢小泉かき分けて
 走れ、走れ龍太郎、追いつけ追い越せ引っこ抜け」
とばかりに、野党第一党党首だった小沢一郎※や、総裁選の対抗馬だった小泉純一郎と新自由主義を競い合ったからである。
1997年は凄まじい消費税増税や、規制緩和が行われ、デフレ圧力がかつてなく高まった。
日本共産党と新社会党以外、橋本の新自由主義に反対する者はいなかった。
極めてファッショ的な状況の中で橋龍は「火の玉になる」とばかりに構造改革に突き進んだ。

その結果は、拓銀破たん、山一破たんという日本発の金融恐慌であり、1998年の自殺者3万人突破である。

橋龍の恒久減税への対応がぶれたこともあり、橋龍への国民の怒りは爆発。自民党はわずか45議席にとどまり、惨敗した。橋龍の脂汗がにじんだ顔は忘れられない。

しかし、この参院選は結局のところ、当時は「新自由主義の敗北」という受け止められ方はしなかった。

日本共産党はともかくとして、共産党と同時に議席を伸ばした民主党や自由党に至っては、所属議員の多くが、経済政策でも外交・安保でも自民党の本流よりもむしろタカ派だったりするケースも多かった。それでも、「結果を出せなかった」ことへの「お灸」として、民主党や自由党に投票した人も多かった。

これでは、「お灸」という認識はあっても、それが新自由主義に待ったをかけるまでにはいかなかったのも当たり前である。

おかげで、その後も、新自由主義は繰り返された。小泉純一郎、橋下徹などなど。

その原因の一つは、1998年の参院選で橋龍が惨敗しながら、橋龍が進めた「新自由主義の敗北」という受け止め方がされなかったことにあるのではないか?

そのように思っています。

(ちなみに、橋龍のあだ名は「ポマード」でしたが、実際には水溶性の整髪剤だったそうです。)

※小沢一郎さんは今でこそ、護憲派寄り・社民主義寄りの政治家の代表格の一人ですが、1990年代までは新自由主義、海外派兵、原発推進のチャンピオンでした。


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by hiroseto2004 | 2017-04-24 17:30 | 新自由主義批判 | Trackback