備忘録 昭和の都民ファースト=立憲民政党
2017年 04月 29日
備忘録 昭和の都民ファースト=立憲民政党
戦前の政党政治がなぜダメになったか。
いろいろ理由はあります。
しかし、戦前の二大政党のもう一方、(憲政会~)立憲民政党の問題点というのを指摘しておきたい。
立憲民政党が都市型、政友会がどちらかといえば農村型の政党である。
民政党が小池新党(都民ファースト)なら、政友会が安倍自民党という感じである。
政友会の田中義一内閣が不戦条約に調印した際、当時の野党・民政党は「人民の名において」という条文を「天皇主権」に反するとして、文句を付けた。
民政党の浜口雄幸内閣に後退した際、政友会の鳩山一郎、犬養毅らに「ロンドン軍縮条約は統帥権干犯だ!」と意趣返しされる結果となった。
他方、浜口内閣は今で言うと小泉純一郎内閣のようなもの。今で言う新自由主義政策を進め、格差を拡大した。その結果として軍部の台頭を招いたのも事実である。実際、小泉政治による格差拡大が、1980年代への郷愁を招き、安倍晋三を台頭させたのは否めない。
民政党の代表的な政治家の一人に大政翼賛会推進の急先鋒でもあった永井柳太郎がいる。
彼は、社会政策という面では、小池新党に似て、大都市の個人に手厚い面があった。しかし、マクロ経済政策は新自由主義的であるのも小池新党に似ている。さらに、永井は親軍的であったがこの点も小池が日本会議のメンバーであり、特別秘書の野田が、自主憲法制定論の右派であることとも共通する。さらに言えば永井と小池は大学の先輩・後輩でもある。
政友会の田中が山口県出身だったことも考えると、田中義一=安倍晋三。永井柳太郎=男性版小池百合子、といえると思う。
保守党である政友会への対抗馬が永井らの民政党だったという所に悲劇があった。
戦前の政党政治はそうした中で、結局、必然として崩壊したのだと思う。現代のそれも、結局そうなるのであろう。問題は、それによって、再び惨劇がおきることである。
by hiroseto2004
| 2017-04-29 19:46
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