共謀罪の導入でモノが言いづらくなると、精神疾患の人々が傾聴に基づいた治療がしにくくなる
2017年 05月 31日
治癒行為が台無しに
犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法の改正案は、野党や日本弁護士連合会など各種団体からの反発がある中で、与党はテロ対策を理由に成立に向けて突き進んでいる。
精神疾患者の現場で、疾患者の思い描く社会進出・復帰に向けてコミュニケーション改善を試みている立場として、改正案は自由なコミュニケーションの妨げになる文化を作ってしまうことにつながりそうで、強い懸念がある。特に統合失調症などの妄想や気分が上下してしまう変調症などとのコミュニケーションに寄り添う者として、時には犯罪まがいのことを口にする疾患者とともに語り合うことは、社会的に治癒していく一環であるのだが、場合によっては、当事者自身がそれを「罪」と思い込んで、口をつぐみ、心を閉ざし、コミュニケーションが停滞してしまうことになりそうで、恐ろしくなってくる。
このような法律は、運用するに従って、不備が指摘され、追加で捜査関連の法律が生み出されていく。そこには必ず精神障害者の発言の真意をつかむための何らかの手段も法的な強制力で究明する道筋を作るはずだ。
治癒に捜査が乗り込んでくることになれば、それは治療行為を台無しにし、かえって疾患者を増やすことになるだろう。
共謀罪を理解する
「共謀罪」は2人以上の者が、犯罪を行うことを話し合って合意することを処罰対象とする犯罪とされる。犯罪の「行為」がないのに、それに向けて話し合っただけで処罰することができるのが特徴だ。
ここで問題になるのは、「合意」というのは、「心の中で思ったこと」との区別がされにくいということであり、この点はいまだにあいまいなままである。
近代における刑法の基本は、犯罪を心の中で思った「犯罪意思」は処罰されない、ということ。怒り心頭となって殺意を抱いても行為に及ばなければ罪にはならない。この殺意が具体的な結果・被害として表出してはじめて処罰対象になる。
つまり、刑法の大原則は、行為に至った「既遂」の処罰が原則であり、「未遂」は例外。行為に至る前の「予備」は極めて例外であるが、どれにしても常に「行為」があって犯罪は成立する。
この大原則の例外である「予備」よりも、はるか以前の「合意」だけで、しかも「行為」がなくても処罰する今回の改正案は大原則の大きな変革でもある。日本弁護士連合会は「処罰時期を早めることは、犯罪とされる行為(構成要件)の明確性を失わせ、単に疑わしいとか悪い考えを抱いているというだけで人が処罰されるような事態を招きかねません」と懸念を表明している。
精神疾患の現場で
精神疾患者との会話では、「波乗り」が必要な場合がある。時には疾患者が憤慨して「あいつを殺したいと思った」「絶対許さない」などと話しても、そこで支援者は「そんなこと考えてはいけない」などと諭すこともあるが、場合によっては「そうだね」と受け止めて、気分が高揚したり落ち込んだりする会話に乗ることがある。それは見方によっては、罪の領域だ。
この会話は支援者と当事者との間のみの「クローズ」でやりとりされるのを第一歩として、私は、この会話をほかの支援者や当事者に広げていき、多数による円卓のダイアローグにすることは社会的な治癒として考えている。フィンランド発祥の「オープンダイアローグ」の思想である。これは「自由に話してよい」という安全の保証が前提にある。安全に話せる中に、疾患者は自分を取り戻していくのだ。
しかし、「安全が保証されない」のが改正案後の社会である。「飛躍的だ」と反論する人もいるかもしれないが、支援者に対しても「彼は警察だ」と妄想を抱く人たちと信頼を結び、治癒していくのは、社会が誰も「あなたを責めない」という姿勢が必要である。これは現実に起こっている世界だ。一般市民も話し合いの内容によって処罰してしまうイメージは疾患者の中で拡張し「責める社会」の印象を与え、心へのダメージは大きいだろう。
想像力が欠如
改正案が成立し、共謀罪を実効的に取り締まるために考えられるのは、刑事免責、おとり捜査(潜入捜査)、通信傍受法の改正である。さらに対象犯罪等の拡大や手続の緩和も必然となってくるだろう。安倍晋三首相は「東京五輪・パラリンピックを控え、テロ対策は喫緊の課題だ」と述べる。もちろん、安全を確保するのは大事な論点だが、これまでの法律で対策は可能との見解も根強い。
疾患者やマイノリティにとっては、ただでさえ生きにくさを感じている中で、さらに彼ら彼女らの心の行き場がなくなってしまう。この目線での論が展開されないのも寂しい。
国会審議やマスメディアの報道で感じることは、マイノリティへの想像力が欠如している、ということだ。
マイノリティはじめわれわれが望む安全な国、とはどんな国だろうか。コミュニケーションが窮屈な管理社会によって成り立つ、安全の中にいる日々を幸せというのだろうか。誰かが政府の悪口を言うものなら、「そんなこと言うな!逮捕されるぞ」との罵声が飛んでくるコミュニケーション環境の中で、疾患者がコミュニケーションの質を上げて社会に復帰させる仕事は、難しさを強いられるだろう。
支援者にとっても、本当に悩ましい事態である。