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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

阪神淡路大震災から明日で23年

明日1月17日は阪神淡路大震災から23年です。
改めて犠牲になられた皆様に心から哀悼の誠を捧げます。
そして、この震災の教訓は今日にも生きるものであり、今後とも活かしていかねばならないと思います。

母から息子へ。神戸と東北で震災の経験や悩みを共有し出来ることをする活動が受け継がれていきます。
(母)「以降、少人数での女子会を毎年開催し、昨年で5回を数えた。衣食住の支援は一区切りしたが、精神面のサポートは終わりがないと感じている。「神戸でもまだ道半ばの人もいる。東北の人たちと共有して、『先輩も頑張っているから、私たちも』と思ってくれたら」
(息子)母たちが気仙沼で続ける支援にも「相手のことを考えるからこそできること」とエールを送りながら、自分も「できることから始めたい」との思いを強く抱くようになった。







 神戸市東灘区の田中成美さん(56)は、阪神・淡路大震災の翌日、1995年1月18日に長男大地さん(22)を産んだ。予定日から3週間も早かったが、震災当日に陣痛が始まり、多くの人の協力があって無事、出産することができた。現在、同区の岡本商店街でウェブ制作会社を営みながら、東日本大震災の被災地などでボランティア活動に力を入れる。23年前、周囲に助けられた経験が現在の活動に結び付いている。(坂山真里緒)

 「昨年、乳がんの手術をした。私が死んだら子供はどうなるんだろうって考えた」。2017年11月下旬、宮城県気仙沼市の天ぷら店。同市の女性がこう口にすると、神戸市の女性が「私もそうやったけど、乗り越えられた。この世で頑張らなあかんで」と関西弁で明るく返す。

 両市の女性計20人が顔を合わせ、語り合う「東北&神戸女子会」。その中心に田中さんの姿があった。

 気仙沼市を支援するため、東日本大震災翌年の12年に田中さんらは岡本商店街にアンテナショップ「気仙沼まただいん」を開いた。定期的に気仙沼にも足を運び、仲間も増えていった。ある時、被災者からこんな言葉を投げ掛けられた。「20年たつと笑顔になれるんだ」

 当時、震災から17年が経っていた神戸。街並みの復興は進んだが、復興住宅や地域コミュニティーなどさまざまな課題を抱えていた。

 「解決していない問題もたくさんあるけど、今、笑顔でいられるのは、多くの人に支え、助けられ生きてこられたから」と田中さん。自分たちのありのままの姿を見せ、一緒に楽しいことをやっていこうと、13年、気仙沼を訪れたタイミングで第1回女子会を開いた。

 初対面だから話せるという人もいた。家族が無事で良かったねと言われるのが嫌という人もいた。「受け止め方は人それぞれ。私たちに胸の内を明かしてもらうことで発散になる」

 以降、少人数での女子会を毎年開催し、昨年で5回を数えた。衣食住の支援は一区切りしたが、精神面のサポートは終わりがないと感じている。「神戸でもまだ道半ばの人もいる。東北の人たちと共有して、『先輩も頑張っているから、私たちも』と思ってくれたら」

 母の活動を見て育った大地さんは最近、兵庫県外の友人に神戸を案内しながら思うことがある。「母を含め、多くの人たちが苦労して神戸をここまでに戻したんだな」

 自身も昨年、神河町にオープンしたスキー場のPR隊に加わった。趣味のスキーを生かした初めてのボランティア活動だった。母たちが気仙沼で続ける支援にも「相手のことを考えるからこそできること」とエールを送りながら、自分も「できることから始めたい」との思いを強く抱くようになった。


by hiroseto2004 | 2018-01-16 15:52 | 事故・災害・事件 | Trackback