朝鮮の南北分断、日本の責任も相当ある
2018年 02月 02日
朝鮮の南北分断、日本の責任も相当ある
朝鮮の南北分断については、日本の責任も相当あります。
朝鮮が日本領だったゆえに分割されたのは明らかでしょう。
言い換えれば、日本本土が東西に分かれたドイツみたいになる代わりに朝鮮が分割されたとも言える。
あるいは、少なくとも、1945年8月8日のソ連参戦前に日本が降参していれば分断はなかったのではないでしょうか?
そういう歴史を踏まえれば、南北の対話について、日本人があれこれ特に否定的に論評するのは、申し訳ないと思います。
米ソが分割占領 韓国と北朝鮮、建国
なるほドリ 朝鮮半島が南北に分断されて今年で70年と聞いたよ。
記者 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、連合国に無条件降伏しました。これに伴い1910年から35年に及ぶ日本による朝鮮半島の植民地支配も終わりました。
一方、ソ連がポツダム宣言受諾前の8月8日に対日宣戦布告し、朝鮮半島北部にも侵攻しました。その後、米国とソ連が北緯38度線を境に朝鮮半島を南北に分割占領したのです。これが分断の起点です。さらに48年に大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国が南北にでき、朝鮮戦争(50~53年)を経て分断は決定的になりました。
Q 生き別れになった人も多いそうだね。
A はい。朝鮮戦争では、戦乱を避けようと多くの人が北や南へ移動しましたが、53年の休戦で分断が固定化すると、自分の故郷に帰れなくなりました。そうして生き別れになった家族を「離散家族」と呼び、双方で約1000万人いると言われています。
Q 離散家族は会えないの?
A ちょうど今年(2015年)10月の20~22日と24~26日に軍事境界線に近い北朝鮮の名勝地、金剛山(クムガンサン)で2陣に分けて直接対面する機会が設けられ、本人の家族を含め南北の計約1000人が水入らずの時間を過ごしました。8月下旬に板門店(パンムンジョム)で南北高官会談が開催され、それまで高まっていた軍事的な緊張緩和を図ることで合意し、離散家族の再会事業を1年8カ月ぶりに再開することも決まりました。
再会事業は85年に最初に開催され、その後中断しましたが、2000年の第1回南北首脳会談を機に活発化し、映像を通じた対面を含めこれまで26回実施されています。約2万人が再会を果たしましたが、70年を経て家族の高齢化が改めて問題になっています。(外信部)