野党・市民派は曹仁攻撃に熱中して江陵を失った関羽の轍を踏むな
2018年 06月 26日
三国志の劉備の義弟関羽は、219年、江陵から出撃して北方の曹操軍の大将・曹仁攻撃に熱中した。
これは、今の野党や市民で言えば、原発問題や森友・加計問題にばかりはまりこむようなものである。
「攻めどころができた」と喜ぶのはよいとして足元がおろそかになっていないか?
関羽は足元の江陵を留守にしていたが、曹仁を攻めあぐねて長期戦に入りかかっていた。
その隙に孫権軍の大将の呂蒙に江陵を奪われてしまった。
あわてて退却するが、曹操の援軍・徐晃と孫権軍の挟み撃ちにあい、麦城で討ち死にする。
野党・市民派にとり江陵とは労働条件とか医療や介護などの暮らしだろう。
311以降、原発問題に過度に比重をおいたり、森友・加計にはまりこんで高プロを許すようなことがあってはならない。
by hiroseto2004
| 2018-06-26 11:57
| 安倍ジャパン
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