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by hiroseto2004

【思想・哲学】権力という「キョンシー」から、「近代立憲主義」「近代合理主義」というお札をはがしたのが現状である。

【思想・哲学】権力という「キョンシー」から、「近代立憲主義」「近代合理主義」というお札をはがしたのが現状である。

自民党総裁選では「正直・公正」と言っただけで安倍候補の悪口になるらしい。
それくらい、酷い状況である。
だが、冷静に考えれば「権力」というのは「キョンシー」のようなものだ。おでこにお札が着いていないと暴れ出す。
そのお札は、現代においてはいまなお「近代立憲主義」と「近代合理性」の組み合わせであろう。

少なくとも、現代日本において、この両者を上回るものは当面、出てこないと思う。

いま、「近代立憲主義」と「近代合理性」というお札が、安倍瓶三こと安倍晋三候補というキョンシーのおでこからはがされてしまった。

「安倍候補自身がはがした」ということもあるだろうが、いわゆるリベラルの側も、権力に対して甘くなった時期があった。

具体的には、1990年代あたりだろう。あの時代は「反権力」はリベラルっぽい人の間ですら、むしろダサい、という見方をされたと記憶している。いわゆる「ポストモダン」もその流れを後押しした。

いわゆる小選挙区制を軸とする政治改革も、党首の権力を強め、総理に対して与党議員が逆らいにくい雰囲気を醸し出した。立法府が行政府の監督機関として働かなくなっていった。

さらに、2000年代の民主党が進めた「政治主導」も、自民党ともたれ合ってきた官僚機構を変えるはずが、2012年末に政権に返り咲いた安倍候補の権力強化に悪用されていった。
この四半世紀、全てが、権力というキョンシーからお札をはがす方向に作用したのである。

お札をはがされた権力=安倍というキョンシーは、大きく口を開けて暴れ回っている。

近代立憲主義なり、近代合理性なりが万能だとは思わない。近代合理性が、核文明を生んだのは間違いない。

だとしても、近代合理性に、近代立憲主義の縛りをかけて、その暴走を防ぐということしか、現状ではないと思う。

近代合理性そのものを放棄してしまうと、それこそ、戦時中の日本のような特攻精神になってしまうだろう。
あるいは、安倍候補の妻・安倍昭恵さんのように、脱原発を主張しつつ、怪しげな宗教っぽいものにはまっていくという方向になりかねない。

正直、当面は、「近代立憲主義」と「近代合理性」の中で当面、苦悶しながら、権力の暴走を防ぎつつ、進歩を勝ち取っていくしかないと思う。この点はいわゆるポストモダンの知識人の皆様や、一部の市民派の皆さんとはやや意見を異にする部分である。

とはいえ、当面はキョンシーにお札を貼って暴走を止めるという一点でご一緒するのは当然である。


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by hiroseto2004 | 2018-09-15 19:23 | 思想・哲学 | Trackback