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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004
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白村江以来の敗北ーーー安倍ジャパンの対中国「降伏」

白村江以来の敗北ーーー安倍ジャパンの対中国「降伏」

安倍ジャパンは2018年10月26日、中国に「降伏」した。
「中国包囲網」は今何処。

日本の経済力低下の中で、「降伏」せざるを得なくなったのである。

中国に降伏といえば、思い出されるのは白村江の戦い(663年)である。

筑紫君薩麻夜=高市天皇自ら、兵・物量とも的を上回る状況で、多くの倭国人にとっての故郷(実家がある場所)百済を奪還するため、出陣。しかし、「突撃すれば相手は引くだろう」という稚拙な戦術で、唐・新羅連合軍に大敗。高市天皇は捕虜になった。天皇が捕虜になったのだからその時点でアウトだ。
高市天皇は、唐の高宗皇帝の「封禅の儀」(666年)に参加する羽目になった。天皇不在の倭では、No2の天智が天皇に即位しないまま、「称制」(リリーフ登板)。
だが、高市天皇が671年に帰国すると両者の間で緊張が走る。高市は天武の力を借りて天智を暗殺し、息子の弘文も戦争で打倒。
天武が後漢末期の曹操のように、太政大臣兼日本王(後漢での丞相→魏公→魏王)になる。
(日本書紀の天武天皇、高市太政大臣はじつは逆で高市が天皇だった)。高市は太宰府から日本の首都・大和へ移る。献帝が長安から曹操の本拠・許昌に移ったように。天武の没後、持統→文武が日本王に。高市は巻き返しを図るが、696年、持統と藤原不比等・文武に飛鳥板蓋宮ならぬ藤原京大極殿で暗殺される。曹丕は禅譲で後漢から帝位を奪ったが、文武は暗殺で帝位を奪った。そのことを、露骨には記録には残せないが、蘇我入鹿暗殺に引っかけて残したのだろう。

大化の改新とは、蘇我入鹿抹殺(覇権を握る前の日本=ヤマト内の王室交代は何度もあったろう。)ではなく、高市天皇暗殺に平行して進められた天武や持統による諸改革のことである。

倭は滅亡し日本国となる。文武が初代日本国天皇に即位した。

昭和天皇は第二次世界大戦の敗戦後に、第二次世界大戦の敗戦を白村江に、GHQの指導のもとでの改革を大化の改新になぞらえた。

ということは、白村江の後に大化の改新である。白村江で天皇が捕虜になる大敗を喫して、大化の改新またはそれに連なる改革が行われたのだ。

ただ、近代になっても、「アジアに日本がコテンパンに負けた」というのは例え古代史でも都合が悪いので、真相は隠ぺいされ続けた。

さて、現代。中国に「降伏」した日本だが、当面、「安倍政権の間」は、それで「性根」が入って立て直しに向けた改革、ということにはならなさそうだ。なし崩し的に中国とアメリカ両方にゴマをすって、なんとか当面を誤魔化して乗り切ろうとするだけだろう。


by hiroseto2004 | 2018-10-30 20:23 | 安倍ジャパン | Trackback