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by hiroseto2004
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今年はイラン革命40周年

今年はイラン革命40周年ですね。

それは、イラン暦1357年バフマン月3日、西暦1979年1月23日の出来事でした。

イラン・イスラム革命の創始者ホメイニー師の、フランスからのイラン帰国が決定的になったことを受け、「ホメイニー師歓迎委員会」が結成されました。

この委員会は5万人の会員を有し、各革命団体や政党の人々で結成された、最も包括的な委員会であり、その主な任務は亡命していたホメイニー師の生命を守ること、歓迎式の秩序や治安を確立するなど、歓迎式典の準備を整えることでした。

この歓迎委員会は、適切な準備を整えることにより、テヘランやイランの各都市からやってきた、およそ500万人の歓迎の群集を受け入れ、統制する責務を見事に果たし、イランイスラム革命の勝利の前後において、革命の継続に向けた諸機関の中核をなすものでした。

さらにこの日、テヘラン州南方にある聖地ゴムからは、軍関係者や警察隊が退去し、人々により制圧されました。







1979年1月24日に当たるイラン暦バフマン月4日の出来事を振り返ってみましょう。

当時、イランイスラム革命の創始者ホメイニー師が、近くフランス・パリからイランに帰国するとのニュースが発表された後、当時のパフラヴィー政権のバフティヤール首相は、イラン国内の各空港の閉鎖を命じるという、非常に性急な行動に出ました。

バフティヤール首相は、ホメイニー師がイランに入国すれば、もはや自分がイランの状況を制御できなくなることを知っていました。このため、彼はホメイニー師の帰国を阻もうとしましたが、この行動は、ホメイニー師の帰国を待ちわびていた国民の怒りを買いました。

また、パフラヴィー政権と闘争する一部の著名人が空港の閉鎖に抗議し、テヘラン大学のモスクに立てこもりました。国民も、抗議行進を行い反政府スローガンを叫び、空港の再開を求めました。


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by hiroseto2004 | 2019-01-23 21:56 | 歴史 | Trackback