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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

「大陸反攻」派と「東征」派のせめぎ合いでもあった倭・日本の古代史ーー建国記念の日に当たって

アイヌは渡来人に追われた側だーー建国記念日に当たって

「大陸反攻」派と「東征」派のせめぎ合いでもあった倭・日本の古代史

倭~日本国の歴史は「大陸反攻」派と「東征」派のせめぎあいでもあったと思う。

古代は九州北部を中心におく筑紫王朝=日本を対外的に代表する王朝=内部で、「かつての故郷」である「大陸を攻めたい」優先論と、「東へ領土拡大」優先論と両方あったろう。

663年、白村江で倭は天皇の筑紫君サチヤマ=高市皇子が唐軍の捕虜になり、大打撃を受けた。

天皇の代わりに政務を執った天智天皇以降は東へ領土拡大をする方向に集中したのではないか?

それまでは路線闘争があったろう。

恐らく副首都の難波を足掛かりに東方侵略を重視する孝徳天皇(伊勢王という人物ではないかという説もある。)と朝鮮奪還=大陸反攻を強硬にめざす姉の斉明天皇(百済王妃だった時期もあるとの説もある)との争いがあったと思う。そして、斉明天皇が孝徳天皇を暗殺し皇位を奪う。

しかし、斉明天皇が崩御すると後の天智天皇は朝鮮出兵から引き上げ、サチヤマ=高市天皇のみを白村江に突っ込ませたのではないか?そして、自分のライバルを消した、ということではないのか?



by hiroseto2004 | 2019-02-11 18:36 | 歴史 | Trackback