神武天皇自体は、九州からヤマトに「東征」を行った複数の政治勢力を象徴ーーー建国記念の日に当たって
2019年 02月 11日
アイヌは渡来人に追われた側だーー建国記念日に当たって
以下は本社社主の個人的な歴史観によるもので所属団体や支持政党と関係ありません
今日2月11日は旧暦の神武天皇即位を新暦に当てはめたのが由来の「建国記念日」である。
しかし、当の神武天皇は自分が「天皇」と後に呼ばれるなんて思ってもおるまい。
そもそも、神武天皇自体は、結局、九州からヤマトに「カチコミ」を行った複数の政治勢力を象徴したものとも思われる。
朝鮮や(中国も)から戦乱を避けて避難してきた人で九州王朝倭国の人口圧が高まるタイミングが何度かあり、その都度、瀬戸内海を東へ「カチコミ」に行ったのだろう。
その「カチコミ」の最後は百済王子とも薩摩出身とも言われる天智天皇=中大兄皇子という感じか。もとからいた日本人は東へおわれ、アイヌとして残っているということだろう。
by hiroseto2004
| 2019-02-11 18:41
| 歴史
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