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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

【回顧】1998参院選 「自民61」のはずが「45」に

【回顧】1998参院選 「自民61」のはずが45に

1998年参院選は、前年の消費税増税、健保負担増を契機に経済が失速し、秋には金融恐慌が深刻化する途中で行われた。
橋本龍太郎率いる自民党は、直前まで今の安倍内閣同様に内閣支持率や自民党支持率も高く、自民党は61議席は堅い、といわれていた。
しかし、蓋を開けてみると、自民党は大阪、兵庫、愛知、岐阜、神奈川など大都市とその近郊の複数区(当時)で議席を失い、比例区も14議席と伸び悩み、全体でも45議席と大惨敗を喫した。このときは予想外に投票率が上がった。

当時、大学生だったわたくし・さとうしゅういちは、新自由主義を爆走する橋本龍太郎について
「走れ走れ龍太郎、小沢小泉かき分けて、走れ走れ龍太郎、追いつけ追い越せネオリベラル。」
とからかう替え歌をつくっていた。
今の30歳未満くらいの若い人はびっくりするかも知れないが、1990年代は、新自由主義+海外派兵の本命と言えば、小沢一郎さんであり、新自由主義の穴馬は郵政民営化ばかりを言っていた小泉純一郎さんのことであった。しかし、橋本龍太郎は、総理になるやいなや、本命・小沢、対抗・小泉をかきわけて、凄まじい新自由主義のチャンピオンとなったのである。(※逆に小沢一郎さんは、2003年の民主党入党で民主党内左派と妥協し、社民主義寄り、明文は護憲寄り路線に修正した。若い人は、2003年以降の小沢さんのイメージが強いだろう。)
参院選でも橋本は自民党を惨敗に導き、「下馬評」を大きくひっくり返してくれたのだ。
当時の状況に、雰囲気的には似ている。
状況次第では、45議席程度まで自民党を減らすことが出来るだろう。
ただ、違いもある。
・公明党が自民党にくっついていること。
・「大阪維新の会」が「反自民票」を野党から一定程度奪っていること。
だろう。


by hiroseto2004 | 2019-07-09 18:48 | 参院選2019 | Trackback