「近代の超克」「岩盤規制の破壊」という壮大な勘違いの果てに
2019年 08月 17日
「近代の超克」という壮大な勘違いの果てに
戦時中、いわゆる京都学派を中心に「近代の超克」が叫ばれた。日本は手本としてきた欧米を超えた!
との論調だ。
しかし、何のことはない。日本は欧米を超えたわけでもない。物量の差を「大和魂」でなんとかしようとしただけだった。
さりとて、では、アジアの一員であることを大事にしたかと言えば、それも違う。
一例を挙げよう。石油が採れるインドネシアだけは形式的な独立さえもさせなかった。何のことはない。
別にアジアを大事にするつもりなどなかったのだ。
安倍ジャパンも壮大な「勘違い」をしている。
安倍総理の場合は、「愛国者を偽装した凄まじい新自由主義グローバリスト」である。
安倍総理は、ミサイルを必要以上に騒いで、求心力を高めた。それが証拠に、今はミサイルを「飛翔体」としかいわず、平然とゴルフを続けている。二年前のあの「国難」「Jアラート」騒ぎは何だったのだ、といいたくなるが、愛国者の振りをして、求心力を高めつつ、新自由主義グローバリスト革命をガンガン進めるためには必要な演技だった。
その、安倍総理は新自由主義グローバリストとして、「岩盤規制の破壊」という「ポストモダンな革命」を
遂行していたつもりだろう。
だが、それは、「ポストモダン」どころか、江戸時代のお代官と越後屋の癒着そのもののような状態だった。
あるいは、古代中華帝国における皇帝と宦官による腐敗政治のような状態だった。
取り巻きも、ばれるとまずいと思っているから、官邸の面会記録なども含めた書類を破棄・改ざんしたの
だろう。暴走する総理とお友達の尻ぬぐいに、官僚たちが総動員された。
近代が曲がりなりにも積上げてきた権力へのチェック機能がことごとく崩されていった。それが安倍政権
の6年7ヶ月である。
by hiroseto2004
| 2019-08-17 13:15
| 思想・哲学
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