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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004
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ポストモダン右派の象徴・ボルトンvsポストモダン終焉の象徴・トランプ

ポストモダン右派の象徴・ボルトンvsポストモダン終焉の象徴・トランプ

ボルトンというのは、冷戦崩壊後、アメリカ合衆国が一番、調子ぶっこいていた時代の象徴のような人物である。
「アメリカが、気に入らない国は国際法なんぞ無視して、すべて、核使用も含戦争でぶっ壊して人権と民主主義を広げるんだ!」
という独善的な考え方だ。ボルトンはそうしたグループ(ネオコン)の中の右派だ。ネオコンの左派がクリントン夫妻だろう。

しかし、ボルトンらの独善的なやりくちで、アメリカはただでさえ悪い中東を中心とするイスラム世界での評判を最悪レベルに落した。

そうした中で、トランプが登場した。トランプは、軍事的には撤退の方向である。他方で、人権や民主主義には無頓着だ。そもそも、ポストモダニストが、「多様性の尊重には熱心でも、庶民のメシには冷たい」ことへの反感がトランプを生んだ。

ボルトンらの没落は歴史的必然だが、巻き添えになって、人権や民主主義が米国内でも、世界でも後退する懸念はある。

正直、米英仏が、たとえば、「空爆や植民地支配について、イスラム世界の人たちにきちんと謝罪する」あたりから長い時間をかけて信望を取り戻すほか、ないと思うのだが。心ある米英仏の市民に期待したい。

 世界レベルの話ともなると、それこそ、一刀両断の解決策なんぞないし、あったとしても危険すぎる。ただ、やはり、米英仏帝国主義による適切な謝罪と補償が世界のこんがらがった糸をほぐす端緒になるとおもう。

by hiroseto2004 | 2019-09-12 20:48 | 思想・哲学 | Trackback