「最後の開催したい側による売り込み型五輪」の醜態ー「五輪のありかた」、世界的・市民的議論を
2019年 10月 19日
「最後の開催したい側による売り込み型五輪」の醜態ー「五輪のありかた」、世界的・市民的議論を
次のパリ五輪とロス五輪は「無投票当選」で開催決定しいる。
東京五輪2020は、「開催したい側が必死に売り込んだ最後の五輪」になった。
ある意味、それ(にふさわしいグダグダぶりを露呈していると言える。。
だいたい、「五輪に便乗して基盤整備」といっても五輪を単独で開けるくらいの世界の巨大都市の多くは一通り、インフラは揃ってきている。
こうしたことから、開催国・都市にとっても、五輪のメリットはなくなってきている。
正直、五輪のあり方は全世界的な議論が必要だろう。それも、政治家よりも、市民が主導で政府やIOCを突き上げていくイメージだ。
そもそも、商業主義を煽ったのはIOCだ。「酷暑の中、マラソン」を強行しようとした安倍ジャパン・小池TOKYOよりはましだとは言えるが、存廃や開催のあり方もふくめ、抜本的な議論が必要だ。
たとえば「国別でメダルを争うのが適当か?」などの論点はある。たとえば、個人参加を基本としつつ、
競技によっては「都市対抗」でもよいだろう。
「ロスの次の開催都市を決めるかどうか」あたりまでに、一定の方向性が出せないか?
改めてよびかけたい。
by hiroseto2004
| 2019-10-19 22:36
| 国際情勢
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