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by hiroseto2004

昔も大地震はたくさん起こっていたが把握できていないだけ

現代日本では、毎年のように被害を伴う大地震が多く起きている。

しかし、大昔は大地震があまりなかったのか?

と言えばそんなことはないだろう。


断層の発掘調査も限界があり、震源が地下やや
深いと断層のずれも地上には出ないことがある。

だから今、発表されている活断層も、地面よりやや下の場所では、科学的調査でわかっているよりも高い頻度で

活動していた場合もあるだろう。

また、歴史の記録も大昔は不十分だった。

その地域に文章を残せるインテリが住んでいないと記録すら残らない。

歴史上、科学的調査と文書記録が一致する大震災で最初のものは679年(九州倭国白鳳・高市帝18年、近畿日本

天武天皇7年12月)の筑紫国大地震(M7.5?)だ。
水縄断層が動いたことが科学的調査で明らかだ。古墳も多く倒壊した。当時は、九州王朝倭国は、筑紫国に都して

いたから、首都がやられた形になったろう。
初の「首都直下型地震」だ。

大宰府にインテリ=官僚や僧侶が多く住んでいたから記録も残せたろう。その後、高市帝は国防上の理由もあって

筑紫大宰府を離れ、難波、藤原京へと移っていったのだろう。

そのつぎの大震災が684年のいわゆる南海トラフの白鳳地震だ。近畿地方も大被害だったから記録に残ったのだろう。

この地震はひょっとすると、高市帝に壬申の乱で追われた大友帝のたたりとされ、勅令で大友帝を祀る神社が大友帝

終焉の地、千葉君津市にできたのかもしれない。

しかし、関東や東北などでこの時代に地震がなかったのかと言えばそれはないだろう。ただ、文書を残すほどはそこに

インテリ層が住んでいなかっただけだろう。あるいは、現地王朝による記録があったとしても、藤原不比等による歴史書

廃棄命令で、藤原政権に都合が悪い記録と一緒にもろ焼かれてしまったか、である。

上記より、我々が現在把握しているより高い頻度で大きな地震が日本を襲っていたしこれからもそうであろうということだ。


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by hiroseto2004 | 2019-12-22 21:08 | 事故・災害・事件 | Trackback