やまゆり園事件の判決をうけて | 木村英子 参議院議員(れいわ新選組)
2020年 03月 17日
やまゆり園事件の判決をうけて
参議院議員 木村英子
19人の障がい者が殺害されたやまゆり園事件、植松被告の判決によって今後、私たち障がい者にとってどんな影響をもたらしてしまうのかを考えると、私はとても恐怖を感じます。
常時介護の必要な重度障がい者は、家族が介護できなくなったら施設しか生きていく場所が無い現状を抱えています。
私の家族も重度障がいを持つ娘である私の介護の負担が重すぎて、育てることができずに私が物心つく前に施設へ預けました。
幼い時から施設や養護学校で職員からのいじめや虐待を受けてきた私は高等部を卒業したら次の施設に入れられたくなくて親や教師の勧める施設を拒否して19歳の時に家を飛び出し地域での自立生活を始めました。
私にとって施設での生活は職員の顔色をうかがいびくびくして過ごさなければならない牢獄のようで、ベットの上で天井を見つめる生活が一生続くと思っただけで心が死んでしまいそうな毎日でした。今、私は国会議員になりましたが重度障がい者としての介護がなければ生きられないという現状と社会的バリヤで地域での生活が困難であることはなんら変わりません。参議院の活動以外は介護者探しと仲間とともに障がい者運動を続けていかなければ今の生活を維持していくことはできませんし、重度訪問介護制度の充実と人手不足の解消が解決されなければ命がけで築いてきた私の地域での生活はすぐに壊され施設へ入れられてしまう危険といつも隣り合わせなのです。
施設の生活は「好きな物を食べたい、外へ遊びに行きたい」そんなあたりまえの望みすら叶わない世界なのです。そこに長く入れられたら希望を失っていく人は沢山います。そしてそこの障がい者を介護している職員も初めは志をもって接していても、家族でさえ担いきれない介護なのに、限られた職員の人数で何十人もの障がい者をみなくてはならず、トイレ、食事、入浴と繰り返すだけの毎日の中で、体力的にも精神的にも疲弊し、いじめや虐待が起こってもおかしくない環境なのです。
そんな中で、人に迷惑をかける存在でしかない障がい者を抹殺することが彼にとってのゆるぎない正義であり、死刑すらも恐れない植松被告の使命感に私は恐怖を感じずにはいられません。
私は今回の判決で植松被告が罰せられても、今の重度障がい者が隔離され施設しか行き場が無い現状が改善されない限り、第二、第三の植松被告が生まれてくると思います。障がい者と健常者が分けられ同じ社会で生きにくくされている事の弊害が、残虐な事件を起こした植松被告を生み出してしまった原因だと私は思えてなりません。
以上