拙稿をデジタル鹿砦社通信に掲載を頂きました
2022年 03月 15日
拙稿をデジタル鹿砦社通信に掲載を頂きました
河井事件収賄側35人が「起訴相当」! 広島も日本も「大岡越前」的司法からの卒業を! さとうしゅういち
◆日本の司法をめぐる文化は時代劇「大岡越前」の世界から進歩なし!
日本の司法をめぐる文化は時代劇「大岡越前」や「遠山の金さん」からほとんど進歩がないと、今回の河井事件でも痛感しました。
第一に警察・検察に逮捕されたり、捜査の対象になったりしただけで悪人という固定観念を国民もマスコミももってしまいます。その背景には検察が起訴したらほとんど有罪という実態があります。検察官と裁判官を「お奉行」が兼務していた大岡越前や遠山の金さんとほとんど変わっていないのです。
そして、検察の判断で起訴するかどうか決める起訴便宜主義も問題です。
これらの結果、以下のようなことが起きています。
1.温情で不起訴にしつつ、自発的な「切腹」を期待するケース
2.相手が大物で忖度して手を出さないケース
3.いわゆる検察ファシズムの疑いのあるケース
1.は、真相をうやむやにする結果を招きます。今回の河井事件における収賄県議・市議についていえます。ただし、収賄県議・市議が、自発的な「切腹」をせず、検察審査会も起訴相当議決を出したためにこの構図は崩れつつあります。
2.については、安倍晋三・昭恵さんについていえるでしょう。数多くの犯罪の疑いが指摘され、告発もされているが、検察は本人をまともに捜査していません。
3.については、戦前の帝人疑獄と1940年代末のいわゆる昭電疑獄があげられます。いずれも検察によるフレームアップとされています。帝人疑獄では、当時のリベラルな政治家がイメージダウンし、極右政治家の平沼騏一郎の影響が強い検察が軍部暴走を後押しした形になりました。昭電疑獄では、当時の日本社会党中心の政権の多くの閣僚が逮捕されてイメージダウンし、日本の左派・リベラルが後退したといえます。そのことが、現在まで永続する自民党による事実上の一党独裁体制の背景になりました。
◆河井事件収賄者35人「起訴相当」契機に広島・日本もイスラエルを見習い、文化を変えよう
諸外国ではどうでしょうか? 日本と同様の西側で、日本と同じF15戦闘機を採用していることでも有名なイスラエルについて見てみましょう。イスラエル検察は、当時の総理のベンヤミン・ネタニヤフ被告を起訴しています。詳しい説明は省きますが、ネタニヤフ被告夫妻は安倍晋三さん・昭恵夫妻とほぼおなじような国政の私物化をしました。妻のサラ・ネタニヤフ元被告は罰金刑が確定しています。ベンヤミン・ネタニヤフ被告自身は総理の職にとどまりながら、裁判をたたかいました。結局、判決が確定する前に、ネタニヤフ被告は選挙で野党共闘に打倒されましたが、起訴されたから辞任ということはしませんでした。
検察は、大物でも忖度せずに起訴する。いっぽうで、国民やマスコミは「推定無罪」にもとづき、被告人も職にはとどまることを許すのがイスラエルの文化なのです。
これからは、日本でも検察は、大物でも容赦なく起訴していくべきです。セットでいわゆる過剰な身柄拘束をともなう人質司法もやめるべきです。もちろん、ゴーン被告のような逃亡事件を防ぐ策を充実させつつです。いっぽうで、国民・マスコミは被疑者・被告人は推定無罪とみなす文化を同時並行でつくっていくべきです。そうしないと、いわゆる検察ファシズムになってしまうからです。
上記のような改革は、自民党の長期政権下ではなかなか難しいものはあります。しかし、今回のように、検察審査会を活用しつつ、被疑者・被告人の人権に配慮する文化を国民自らがつくっていくことは可能です。
河井事件の収賄県議・市議「起訴相当」を契機に広島も日本も「大岡越前」的司法文化から卒業しようではありませんか?
そのためにも、くどいようですが、被疑者の県議・市議のみなさんには、中途半端に情状酌量期待の辞職はせずに、最後まで検察とたたかっていただきたいのです。そうでないと、これまで職にとどまったのは、「有罪がわかりきっているのに単なる給料ねらいで職にとどまっただけではないか?」と思われるだけです。その想いは何人かの被疑者となった広島市議・県議にはお伝えしており、闘う決意である、とのご返答をいただいています。
by hiroseto2004
| 2022-03-15 06:53
| 参院選2019
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