さとうしゅういち 広島県議選2023へ向けた決意 県政にガツンとモノ申し、ひとりひとりに優しい社会を
2023年 03月 30日
【さとうしゅういち 県議選2023への決意】
わたくし、さとうしゅういちは、1975年、カープが初優勝した年に福山市に生まれました。
すぐに東京に移り、東京で育ちました。しかし、小学校時代に広島県出身の被爆者の先生に
担任をしていただき、平和やカープに目覚めました。高校時代に郷里の先輩・井伏鱒二の「黒い雨」
に動かされ、大学時代には、広島から平和で環境破壊も戦争も貧困もない世界をつくるための政治家に
なろうと決意しました。そして2000年に、広島県庁に就職し、主に山間部や離島などの介護や医療、福祉などの行政で仕事をさせていただきました。仕事をする中で、ひとりひとりが大事にされていないのではないか?と痛感するようになりました。また、政策ではなく組織やお金中心で従来の成功体験にとらわれた広島の政治に危機感を覚えるようになりました。そして、この広島の政治をリニューアルすることが必要という考えが日に日に高まってきました。2011年県庁を退職し、県議選の安佐南区であの河井案里さんに挑みました。2021年にはその案里さん失職に伴う参院選再選挙にチャレンジしました。
さとうしゅういちは、実はこの間、2014年には家庭などの事情から、東京へ戻る決心もし、東京での就職も決まり、あとは広島の家を引き払うだけでした。しかし、直後に広島土砂災害2014が発生します。東京でテレビを通じてその様子を見たわたしは、「広島をなんとかせにゃあいけん」と再び決意。
東京での就職や借家入居を先方に頭を下げてキャンセルし、まだ引き払っていなかった安佐南区古市橋駅近くの家に戻り、災害ボランティアや被害状況の調査、知り合いの政治家への提言などに全力を尽くしました。そして、広島市周辺の介護施設で働きながら政治活動を再開し、現在に至っています。
わたくし、さとうしゅういちは、ひとりひとりを大切にする広島をめざします。
核廃絶と平和を世界に訴えていかなければいけない広島。しかし、いまの広島の政治がそれにふさわしい中身でしょうか?広島の政治はお金や組織、従来の成功体験を重視する政治から、ひとりひとりの県民を大事にする政治にリニューアルしなければならないのではないでしょうか?
さとうしゅういちは、災害に強い社会をめざします。災害に強い社会とはどういう社会でしょうか?
もちろん、防災関連の予算はこのところ減らしすぎました。砂防ダムをつくるだけではなく、
メンテンナンスも含めて予算を確保すべきです。
わたしは、ひとりひとりに優しい社会こそ、災害に強い社会と考えます。
普段から、そういう社会であれば、災害の被害も拡大しないし、災害があっても困らないで済むのではないでしょうか?
例えば、広島土砂災害時に県営住宅を貸し出してくれたのはいいけれど、職場からは遠すぎる、という声がありました。安くて追い出されない住宅を行政がもっと提供すれば、こういうことも防げます。一方で、平時には、例えば、子どもができて家族が増えたという人も、失業して、今住んでいる家に住めなくなったという人も、年を取って山の上のマイホームが不便になったという人も助かります。そもそも、危険な場所に住宅を建てる必要もなくなります。
また、広島県や市町では、二度の災害やコロナでは役所の人員が不足して、復旧復興に支障が出たり、コロナ対応で一年で二年分働かされたわたしの後輩職員もいます。これはさとうしゅういちが県庁職員でもあった2000年代、新規採用を抑えて職員数を減らす一方で、市町村合併を全国2番目のスピードで進め仕事を丸投げしてきたことが背景にあります。これにより、県庁職員の水害やコロナなどの非常時の負担は増え、合併された地域を中心に人手が手薄となっているのです。いっぱいいっぱいだったところに水害やコロナが襲い掛かったのです。
さとうしゅういちは、必要な公務員は増やすことをいまこそ、ガツン、と提案します。そうすれば、平時にももっと、サービスを行き届かせることにつながります。国も公務員を減らす政策は止めています。さとうしゅういちは、財政出動をガツンと訴えるれいわ新選組の国会議員とも連携しながら、必要な人材と予算を確保するためがんばります。
さとうしゅういちは、ご家族の介護・ケアを抱えているみなさんを応援する条例を提案します。ケアラー支援推進基本条例は2011年、さとうしゅういちが最初に河井案里さんに挑んだ選挙で公約したものです。介護を抱えるご家族が、悩んだ挙句に、最悪の選択を選ばれる事件は広島でも後をたちません。そこまでいかなくとも虐待などにつながっているケースを介護福祉士として多く目撃してきました。一方で、適切なサービスを利用して適切に距離をおいていただけくほうが良い関係を介護する側とされる側で築いていけることも痛感しています。いわゆる老老介護だけでなく、ヤングケアラーや病気・障害を抱える子どもを年老いた親が見ている状況など、ますます、課題は複雑化しています。介護・福祉行政の経験、介護福祉士としての経験、両方を生かし、今の広島にマッチした形で再提案します。その上で、現場を担うケア労働者の処遇の抜本的改善へ県として最大限できることをするよう湯崎さんにガツンとモノ申してまいります。県庁職員時代、介護保険事業者の監督などもさせていただきました。介護現場の皆様の熱意と使命感に打たれる一方で、あまりの労働条件の低さに憤りと「これで日本は大丈夫なのか?」という不安を覚えました。そして、介護福祉士として現場で働くいま、公務員時代と比べても明らかに仕事のわりに給料などは低いと感じています。しかし、公務員を下げるのではなく低すぎるケア労働者の労働条件を引き上げるべきです。地元の岸田総理は、給料アップはしてくれましたが、たった3%と実効性はありません、201年参院選再選挙でも訴えさせていただいたケア労働者の抜本的処遇改善に県政で取り組んで参ります。
さとうしゅういちは、水資源保護条例を提案し、産業廃棄物処分場を適切に規制します。安佐南区の上安では産業廃棄物処分場を外資系企業が買収し、巨額の投資で拡張しようとしています。さとうしゅういちが、県庁職員として最後に仕事をさせていただいた地域である三原市では、水源地のど真ん中に産業廃棄物処分場が計画され、許可をさとうしゅういちの元同僚が出してしまいました。しかし、同僚は責められません。広島県には産業廃棄物処分場を規制する効果的な条例がないことが問題です。せめて他の都道府県なみに水資源保護条例をつくることを提案します。広島だけが緩ければ、広島に日本中のごみが向かい、広島は日本のごみ箱になってしまいます。水や食料が守れなくなってしまいます。
さとうしゅういちは、現在21%程度の広島県の食料自給率を上げるための基本条例を提案します。ウクライナ戦争の影響による食料価格の上昇は日々皆様も痛感されていると思います。その背景には、低すぎる食料自給率があります。日本全体では3割程度、広島県は21%程度です。しかし、考えようによってはそれだけ、雇用を増やせる伸びしろがあるとも言えます。広島県はアメリカのような大規模な農業は不可能です。しかし、リンゴもミカンも取れるなど多品種少量生産の強みがあります。食料をつくる人が、生活できるように所得補償、コストの補償を含め、食料自給率を引き上げるための基本条例を提案します。
さとうしゅういちは、従来の成功体験にとらわれた産業政策をやめ、若い人の力を生かす政策を提案します。
広島県は原発や武器製造を含むいわゆる重厚長大産業の成功を軸に、高度成長の波に乗って、さとうしゅういちが生まれた1975年には1人当たり県民所得が全国三位になりました。しかし、今や、それは見る影もなく、重厚長大産業の工場の閉鎖も相次いでいます。過去の成功体験を卒業し、若い人の知恵や力を活かす政策に転換をします。具体的には、再生可能エネルギー、省エネルギーを軸としたグリーンニューディールに転換します。また、用途がなくなった大型店舗のビルや工場などを若い人に低家賃で貸出し、自由に使っていただきます。
さとうしゅういちは、知事の湯崎さんに対してガツンとモノ申してまいります。議会の役目は行政監視、すなわち知事や教育長など執行部にガツンとモノ申すことが大きな役目です。
ところが、広島県議会には湯崎さんにガツンとモノ申す議員が国政与党はもちろん、国政の野党第一党を含めほとんどいません。この結果、議論が盛り上がらない、盛り上がらないから選挙でも組織やお金がモノをいう、そして、人々がしらけて投票率が下がったり、悪くすれば安佐南区における2019年の県議選のように無投票になったりする、の悪循環になっているのではないでしょうか?
また、湯崎さんや教育長にも緩みがみられるのではないでしょうか?教育長について報道された不祥事はご本人は違法性を否定されていますが、そもそも、一般職公務員なら要綱や規程で禁止されている業者と会食すること自体が大問題です。これでは、職員の倫理を守ろうというモチベーションは大幅にそがれてしまいます。そして、議会が執行部にガツンとモノ申すことをしないことが、こうした緩みにつながっているのではないでしょうか?さとうしゅういちは、元部下として、湯崎さんにガツンとモノ申してまいります。
さとうしゅういちは「お金がなくても堂々と参加できる政治」をモットーにお金をかけない活動に徹しておりますが、最低限のコストがかかります。ご支援を伏してよろしくお願い申し上げます。
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