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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

大阪・京橋空襲 わずか1日の差で犠牲になった命を忘れない 鈴木義哉記者

23年8月14日 大阪環状線JR京橋駅の南改札口の広場にて午前11時より「第69回京橋空襲被災者慰霊祭」が行われた。これは大阪で多く行われている空襲慰霊祭の一つで65年から行われているものである。

京橋空襲とは
 太平洋戦争当時大阪、とくに大阪城公園は軍都となっており城内には第四師団や大阪砲兵工廠などがありしばしば空襲の標的とされていた。戦争の負けが決定的になりつつある昭和20年8月14日この日も米軍のB29数機が来襲。当時高架を走る国鉄城東線(現在の大阪環状線 当時はまだ環状になっていなかった)の上下線の電車がいたため当時の指針に従って客を降ろし車両を退避させた。同じく地上部分に片町線(現在のJR学研都市線)も入線しておりこの車両も客を降ろし待避。駅の内外には1000人近くの避難者がいた状態だったが、そこに4個とも5個とも言われる1トン爆弾が落下、爆弾は高架部分を突き抜け階下で炸裂。それにより駅舎は破壊さレールは飴のように曲がり周辺は地獄と化した。被災者の多くは地中に埋まったり、がれきなどの下敷き担っていたが指揮系統が混乱した中では助けを求める声がしてもどうすることもできず、死者は正式には210人と言うことになっているが損傷の激しい遺体があまりにも多かったため実際は500人とも600人とも言われている。遺品すら見つけられなかった遺族も少なくない。
 慰霊祭は11時に始まり、京橋駅の生田亮駅長は「元はいろんな人から『幽霊が出る(注 被災場所は実際自殺が相次いだ)』といういろんな人からの申し出で始まった。 今ウクライナで戦争が相次いでいるが平和な日が是非来てほしい」と挨拶した。
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そして妙見閣寺の松井英光上人による読経となった。妙見閣寺では昭和30年に慰霊祭が始まった時から読経を担当しており(戦後すぐに寺を開いたばかりで檀家がほとんどおらず動けたという事情もある)寺の檀家が慰霊式のスタッフも務めている。
この日の18時に日本は中立国のスイスを通じてポツダム宣言受諾を通知したと言われており、6時間差で犠牲になったという何ともやりきれない犠牲といえる。  ただこの現実は大阪の人の戦争を忘れない活動の原動力になったといえる。 現実に大阪ではピースおおさかなどの戦時の記憶の伝承施設などもあり、そうした事情がこの慰霊式を存続させているともいえるだろう。
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 わずか1日の差で犠牲になった命  このことは決して忘れてはいけないだろう

by hiroseto2004 | 2023-08-28 21:43 | 反核・平和 | Trackback