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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004
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大久野島で毒ガス犠牲者の慰霊式

絶対に忘れてはいけない。毒ガス工場の歴史。

大久野島で毒ガス犠牲者の慰霊式|NHK 広島県のニュース

旧日本陸軍の毒ガス兵器の製造工場があった竹原市の大久野島で、この工場で働き、後遺症などで亡くなった人たちを追悼する慰霊式が行われました。

竹原市の大久野島には、旧日本陸軍の毒ガス兵器の製造工場があり、昭和4年から終戦まで多いときでは工員や学生など6000人以上が働いていたとされ、戦後多くの人が毒ガスが原因と見られる後遺症で亡くなったり、障害に苦しみました。
20日の慰霊式には毒ガス工場で働いていた人の遺族ら100人余りが参列し、新たに158人の名前を加えた4262人の死没者名簿が慰霊碑に奉納されたあと、黙とうがささげられ、花が手向けられました。
広島県によりますと、毒ガス兵器の製造工場で働いていたと国から認定されて生存している人は10月2日の時点で676人で去年より162人少なく、平均年齢は94歳に達しています。
父親が工員だったという三原市の83歳の男性は「父もたんがでると言って長いこと病院に行っていました。苦労してきた人がいるということを多くの人に知ってほしいです」と話していました。
同様に父親が工員だったという75歳の女性は「父は戦争は被害者にも加害者にもなるから絶対にしてはいけないと言っていました。慰霊碑の前で同じことを起こさないように決意を新たにしました」と話していました。

by hiroseto2004 | 2023-10-20 19:43 | 歴史 | Trackback