カープOB黒田博樹さん野球殿堂入り 庄原出身の谷繁元信さんも
2024年 01月 18日
おめでとうございます!!
カープOB黒田博樹さん野球殿堂入り 庄原出身の谷繁さんも|NHK 広島県のニュース
広島ゆかりの2人の野球人に、大きな名誉です。
野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる「野球殿堂」に、プロ野球、カープで活躍した黒田博樹さんと、通算3021試合出場のプロ野球記録を持つ庄原市東城町出身の谷繁元信さんが新たに選ばれました。
2人はいずれも、引退から5年以上が経過し現役時代の功績が大きかった選手が対象となる「プレーヤー表彰」で有効投票の75%を超える票を得て殿堂入りが決まり、18日、東京の野球殿堂博物館で通知式が行われました。
黒田さんはカープのエースとして11年間で103勝をマークし、その後大リーグでプレーして79勝を挙げ、2015年にカープに復帰して翌年に史上2人目となる日米通算200勝を達成し、チームの25年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
黒田さんはカープ時代の監督で2008年に野球殿堂入りした山本浩二さんが通知式にゲストとして出席する中、「カープに入団しての数年間は結果を残すことができなかったが、山本浩二さんに先発投手として、エースとしての心構えをマウンドで学ばせてもらい、現役生活の原動力となっていた。日米含めて20年間の現役生活で1万回以上も打者と対戦し敵・味方含めてたくさんのすばらしいプレーヤーと切磋琢磨してきた。関わってくれたすべての方々にお礼を申し上げたい」とスピーチしました。
庄原市東城町出身の谷繁さんは強肩強打でリードも巧みなキャッチャーとして1998年に当時の横浜の38年ぶりの日本一に大きく貢献し、中日に移籍した後もリーグ優勝と日本一に貢献して2000本安打や通算3021試合出場のプロ野球記録を打ちたてました。
谷繁さんはスピーチで「プレーヤー表彰に選ばれ、光栄に思うところと、『まさか自分が』という思いが駆け巡っている。今までの人生に携わっていただいた方や、プロに入って27年間、耐え抜いた体に感謝をしたい。微力だが、これからも野球界に貢献できるよう頑張っていきたい」と話しました。
【黒田博樹さん】
黒田さんは大阪出身の48歳。
1997年にドラフト2位で専修大からカープに入団し、150キロを超える速球を持ち味に最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得するなどエースとしてチームを引っ張り、11年間で103勝を挙げました。
FA=フリーエージェントの権利を行使して2008年に大リーグ、ドジャースに移籍すると投球スタイルをバッターの手元で小さく変化するボールを軸とした打たせて取るピッチングに変え、大リーグ5年目からはヤンキースでプレーしました。
黒田投手は常に先発ローテーションの一角として活躍し、大リーグでは5年連続でふた桁勝利を達成するなど通算79勝をマークしました。
そして、大リーグの主力として活躍していたにもかかわらず2014年のシーズンオフに年俸が大幅に減るのもいとわず「最後はカープのユニフォームが着たい」と古巣のカープに復帰しました。
復帰1年目の2015年には11勝を挙げ、2016年には野茂英雄さん以来、史上2人目となる日米通算200勝を達成しました。
また、快挙を成し遂げたそのシーズンには25年ぶりのリーグ優勝をかけた試合で勝ち投手になるなど、大リーグ時代から7年連続となるふた桁勝利もマークし惜しまれながら引退しました。
日米通算20年の現役生活で533試合に登板し、203勝184敗1セーブの成績を残しカープでの現役時代の背番号「15」は永久欠番に、また、ドジャースで背負った「18」はこのオフに移籍した山本由伸投手がつけます。
現在は、ともに優勝に大きく貢献した新井貴浩監督から直接要請を受けカープの球団アドバイザーに就いています。
【谷繁元信さん】
谷繁さんは庄原市東城町出身の53歳。
1989年に当時の大洋にドラフト1位で入団し、強肩強打と巧みなリードで頭角を現し、1998年には当時の横浜の38年ぶりの日本一に貢献しました。
そして、2002年にFA=フリーエージェントの権利を使って中日に移籍しました。
中日でも強肩と抜群のインサイドワークに加えパンチ力のあるバッティングでチームを支え落合博満監督の下、「扇の要」として守り勝つ野球を体現して4回のリーグ優勝や2007年の日本一に大きく貢献しました。
2013年には42歳4か月で通算2000本安打を達成しましたが、これは当時のプロ野球最年長記録で、2803試合での達成はもっとも遅いペースとなっています。
2014年からは監督を兼任して通算出場試合を3018試合に伸ばし、野村克也さんの持つプロ野球記録を更新しました。
2015年に現役を引退し、2016年には監督に専念しました。
プロ27年での通算成績は現在もプロ野球記録の3021試合の出場、打率2割4分、ホームラン229本、1040打点、2108安打で、ベストナインに1回、ゴールデン・グラブ賞に6回選ばれた球史に残るキャッチャーの1人です。
野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる「野球殿堂」に、プロ野球、カープで活躍した黒田博樹さんと、通算3021試合出場のプロ野球記録を持つ庄原市東城町出身の谷繁元信さんが新たに選ばれました。
2人はいずれも、引退から5年以上が経過し現役時代の功績が大きかった選手が対象となる「プレーヤー表彰」で有効投票の75%を超える票を得て殿堂入りが決まり、18日、東京の野球殿堂博物館で通知式が行われました。
黒田さんはカープのエースとして11年間で103勝をマークし、その後大リーグでプレーして79勝を挙げ、2015年にカープに復帰して翌年に史上2人目となる日米通算200勝を達成し、チームの25年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
黒田さんはカープ時代の監督で2008年に野球殿堂入りした山本浩二さんが通知式にゲストとして出席する中、「カープに入団しての数年間は結果を残すことができなかったが、山本浩二さんに先発投手として、エースとしての心構えをマウンドで学ばせてもらい、現役生活の原動力となっていた。日米含めて20年間の現役生活で1万回以上も打者と対戦し敵・味方含めてたくさんのすばらしいプレーヤーと切磋琢磨してきた。関わってくれたすべての方々にお礼を申し上げたい」とスピーチしました。
庄原市東城町出身の谷繁さんは強肩強打でリードも巧みなキャッチャーとして1998年に当時の横浜の38年ぶりの日本一に大きく貢献し、中日に移籍した後もリーグ優勝と日本一に貢献して2000本安打や通算3021試合出場のプロ野球記録を打ちたてました。
谷繁さんはスピーチで「プレーヤー表彰に選ばれ、光栄に思うところと、『まさか自分が』という思いが駆け巡っている。今までの人生に携わっていただいた方や、プロに入って27年間、耐え抜いた体に感謝をしたい。微力だが、これからも野球界に貢献できるよう頑張っていきたい」と話しました。
【黒田博樹さん】
黒田さんは大阪出身の48歳。
1997年にドラフト2位で専修大からカープに入団し、150キロを超える速球を持ち味に最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得するなどエースとしてチームを引っ張り、11年間で103勝を挙げました。
FA=フリーエージェントの権利を行使して2008年に大リーグ、ドジャースに移籍すると投球スタイルをバッターの手元で小さく変化するボールを軸とした打たせて取るピッチングに変え、大リーグ5年目からはヤンキースでプレーしました。
黒田投手は常に先発ローテーションの一角として活躍し、大リーグでは5年連続でふた桁勝利を達成するなど通算79勝をマークしました。
そして、大リーグの主力として活躍していたにもかかわらず2014年のシーズンオフに年俸が大幅に減るのもいとわず「最後はカープのユニフォームが着たい」と古巣のカープに復帰しました。
復帰1年目の2015年には11勝を挙げ、2016年には野茂英雄さん以来、史上2人目となる日米通算200勝を達成しました。
また、快挙を成し遂げたそのシーズンには25年ぶりのリーグ優勝をかけた試合で勝ち投手になるなど、大リーグ時代から7年連続となるふた桁勝利もマークし惜しまれながら引退しました。
日米通算20年の現役生活で533試合に登板し、203勝184敗1セーブの成績を残しカープでの現役時代の背番号「15」は永久欠番に、また、ドジャースで背負った「18」はこのオフに移籍した山本由伸投手がつけます。
現在は、ともに優勝に大きく貢献した新井貴浩監督から直接要請を受けカープの球団アドバイザーに就いています。
【谷繁元信さん】
谷繁さんは庄原市東城町出身の53歳。
1989年に当時の大洋にドラフト1位で入団し、強肩強打と巧みなリードで頭角を現し、1998年には当時の横浜の38年ぶりの日本一に貢献しました。
そして、2002年にFA=フリーエージェントの権利を使って中日に移籍しました。
中日でも強肩と抜群のインサイドワークに加えパンチ力のあるバッティングでチームを支え落合博満監督の下、「扇の要」として守り勝つ野球を体現して4回のリーグ優勝や2007年の日本一に大きく貢献しました。
2013年には42歳4か月で通算2000本安打を達成しましたが、これは当時のプロ野球最年長記録で、2803試合での達成はもっとも遅いペースとなっています。
2014年からは監督を兼任して通算出場試合を3018試合に伸ばし、野村克也さんの持つプロ野球記録を更新しました。
2015年に現役を引退し、2016年には監督に専念しました。
プロ27年での通算成績は現在もプロ野球記録の3021試合の出場、打率2割4分、ホームラン229本、1040打点、2108安打で、ベストナインに1回、ゴールデン・グラブ賞に6回選ばれた球史に残るキャッチャーの1人です。
by hiroseto2004
| 2024-01-18 22:44
| スポーツ
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