人気ブログランキング | 話題のタグを見る

庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

 「封じられた”第四の被曝” 夫はなぜ死んだのか」

15日21時からNHK総合テレビで 「封じられた”第四の被曝” 夫はなぜ死んだのか」
が放送されました。久々のヒットではないでしょうか?
「封じられた”第四の被曝” 夫はなぜ死んだのか」広島瀬戸内新聞ニュース9月16日号外 https://youtu.be/9wmtsIE-Uow?si=qJESTmQbLNNi_ZS3 @YouTubeより

1958年7月12日、海上保安庁の調査船の拓洋とさつまが海洋調査中、ビキニ環礁西方の
米軍が設定した危険区域外でヒバク。拓洋に乗務していた石田博吉さんが帰国後に白血病で
亡くなるという事件が発生。国の役人から「秘密、秘密、秘密」といわれ、公務災害による
補償も受けられなかった。
 「封じられた”第四の被曝” 夫はなぜ死んだのか」_e0094315_07334171.jpg
 「封じられた”第四の被曝” 夫はなぜ死んだのか」_e0094315_07332371.jpg
妻は、これに長年疑問を抱いていた。
米軍の軍医による調査では、明らかに500ミリシーベルト以上の被曝によるものだったが、
他方で、船の記録から推定される被ばく線量は20ミリシーベルト(福島の帰還困難区域)並みと
推定し、その矛盾に悩んだ挙句、「関係ない」としてしまった。

NHK取材班が、別の船員の遺した歯を岡山理科大に鑑定依頼したところ、143ミリシーベルトの被曝
が推定された。これは、広島原爆の爆心地から1.8km、広島駅南口や横川駅に相当する
ヒバクだった。
 「封じられた”第四の被曝” 夫はなぜ死んだのか」_e0094315_07325071.jpg
そのことを妻に報告した三日後、妻は93歳で亡くなった。

この事件がうやむやになった背景には、1956年に日本国政府が被爆許容線量を定めたこともあった。
 「封じられた”第四の被曝” 夫はなぜ死んだのか」_e0094315_07340106.jpg
米国は1954年のビキニ事件で、日本の大きな反核運動におそれをなした。核戦略がうまくいかなくなるとおそれた。
一方で、日米関係にひびがはいることを日本も恐れていて、そこで、1956年5月4日に被ばく許容線量が
定められ、同日、米国も核実験を再開した。日本側からは「核実験のための基準」という申し送りが
米国にされた。核への抵抗を弱めるための基準だった。他方で、この基準は国内向けには原発推進のための物でもあった。
こうした中で起きた、第二のビキニ事件。日米安保条約改定を前にしていた岸信介政権。
こうしたこともあり、事件は有耶無耶になっていったそうだ。



by hiroseto2004 | 2024-09-16 07:35 | 反核・平和 | Trackback