大豊泰昭さん追悼 ― 広島の記憶に刻まれた、ただ一人の打者
2026年 01月 18日
大豊泰昭さん追悼 ― 広島の記憶に刻まれた、ただ一人の打者
大豊が打った――。
あの瞬間、広島市民球場の空気が止まった。
左打者なのに、左の川口和久が投げ込んだ切れ味鋭いスライダーを、
まるで逃げる球を追いかけて捕まえるように、
一直線のライナーでレフト中段へ叩き込んだ。
あれは常識では説明できない一撃だった。
左対左で、膝元から逃げていくスライダーを、
力でねじ伏せ、ヘッドを残し、
白球をレフトスタンドへ運ぶ。
そんな芸当をやってのけたのは、
後にも先にも大豊泰昭という打者だけだった。
1994年。
大豊は広島カープから18本塁打を放ち、
同一球団別最多という記録を刻んだ。
「市民球場が狭かったから?」
そんな声もある。
だが、もし狭さだけが理由なら、
落合博満や王貞治が同じ記録を作っていたはずだ。
それでも最多を打ったのは大豊だった。
理由はただ一つ。
彼が、本物の長距離打者だったからだ。
広島のファンは、敵であっても強い打者を忘れない。
むしろ、強烈な一打を見せつけられた相手ほど、
記憶の奥深くに刻まれる。
大豊泰昭はまさにその象徴だった。
悔しいのに、どこか惚れ惚れする。
打たれた瞬間に「やられた」と思いながら、
同時に「すごいものを見た」と感じてしまう。
そんな稀有な打者だった。
引退後、名古屋で「大豊飯店」を開いたと聞いた。
名古屋に行く機会があれば、
ぜひ立ち寄りたかった。
カープファンだと名乗り、
あの頃の話をして、
サインをもらいたかった。
しかし政治活動で多忙を極め、
その願いは叶わなかった。
今となっては悔やんでも悔やみきれない。
大豊泰昭さんが亡くなって11年。
もう彼の豪快なスイングを見ることはできない。
だが、あのスライダーをレフト中段へ運んだ一撃は、
今も広島の野球ファンの胸に鮮やかに残っている。
あの白球の軌道は、
記憶の中で今も光を放ち続けている。
大豊さん、あなたは間違いなく、
広島の記憶に残る唯一無二の大打者でした。
どうか安らかに。
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by hiroseto2004
| 2026-01-18 15:05
| おくやみ
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