柏崎刈羽原発が再稼働わずか数時間後で警報トラブル
2026年 01月 22日
皆さん、こんにちは。
今日は、柏崎刈羽原発6号機で起きた“再稼働からわずか数時間での警報トラブル”について、
そしてその背景にある日本の原発行政の構造的な問題について、お話ししたいと思います。
まず、今回のトラブルは偶然ではありません。
柏崎刈羽原発は、長い歴史の中で、何度も不祥事を繰り返してきました。
2002年には、東京電力が自主点検記録を改ざんしていたことが明らかになりました。
1980年代から90年代にかけて、都合の悪いデータを隠し、書き換え、
「安全である」という虚構をつくり上げていたのです。
2007年の中越沖地震では、火災や放射性物質の漏えいが起きました。
その際も、情報公開は遅れ、住民は不安の中に置かれました。
そして2017年から2021年にかけては、
IDカードの不正使用、侵入検知設備の故障放置、重要区域への無断立ち入りなど、
原発以前の問題とも言える“セキュリティの崩壊”が次々と発覚しました。
規制委員会は「核物質防護の根本が成り立っていない」とまで指摘し、
事実上の運転禁止に相当する厳しい措置を東電に課しました。
こうした不祥事の積み重ねの上に、今回の再稼働があります。
それでも、国はエネルギー基本計画を岸田政権のもとで原発推進へと転換しました。
しかし、個別の原発の安全性については、政治は責任を取りません。
事業者は「基準に適合しているから運転できる」と言い、
規制委は「安全性の確認が役割で、再稼働の是非は判断しない」と言い、
国は「政策として原発を位置づけるが、個別判断は事業者と規制委」と言う。
地元自治体は同意権はあるが、事故の最終責任は負えない。
皆さん、この構造の中で、いったい誰が最終責任を取るのでしょうか。
誰も取らないのです。
だからこそ、私は「いつ事故が起きてもおかしくない構造だ」と申し上げています。
今回の6号機の再稼働も、私は“稼働ありき”だったのではないかと疑っています。
再稼働前にも警報トラブルがあり、試験が中断されていた。
それでも21日に再稼働し、そして数時間後に再び警報が鳴り、停止した。
これは偶然ではなく、構造の結果です。
広島で暮らす私たちは、
「安全神話」がどれほど危ういものか、
「責任の空白」がどれほど危険か、
歴史の中で痛いほど学んできました。
だからこそ私は、
原発を推進するかどうか以前に、
まずこの“責任の空白”を埋めることが必要だと訴えます。
安全を守る仕組みをつくること。
情報を隠さないこと。
不祥事を繰り返す企業体質を変えること。
そして、政治が「責任を取る」と明言すること。
これらがないまま、再稼働だけが先行する社会であってはならない。
私はそう強く思います。
未来の世代に、危険と不安を押し付けるのではなく、
責任と誠実さを手渡す社会をつくりたい。
そのために、皆さんと一緒に声を上げていきたいと思います。
ご清聴、ありがとうございました。
by hiroseto2004
| 2026-01-22 21:00
| エネルギー政策
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