暴力が言論を封じた時代を忘れない――他国を語る前に、私たち自身の闇を見つめる
2026年 03月 10日
暴力が言論を封じた時代を忘れない――他国を語る前に、私たち自身の闇を見つめる
1991年、日本人研究者が惨殺される事件が起きた。イランの宗教指導者を侮辱したと受け取られた書物の翻訳が動機ではないか――そんな推測が当時から囁かれてきた。もしそれが事実であるなら、宗教的権威への批判が命を奪う結果を招いたことになる。民主主義社会にとって深刻な問題である。
しかし、私たちはこの事件を「遠い国の宗教的過激さ」として片づけてよいのだろうか。
ほぼ同時代、日本国内でも、言論に対する暴力が現実に起きていた。1990年、本島等・長崎市長が「天皇に戦争責任がある」と述べたことを理由に銃撃され、瀕死の重傷を負った事件である。
さらに後年、長崎市の平和行政を担った市長に対し、「撃たれればよい」と公の場で放言した大学教授がいたという証言も残る。そして2007年、実際に長崎市長が凶弾に倒れた。暴力が政治的言論をねじ曲げようとした歴史は、決して外国の話ではない。
これらの出来事は、宗教国家か民主国家かという区別を超えて、
「権威や歴史認識への異論を暴力で封じようとする衝動は、どの社会にも潜む」
という普遍的な危険を示している。
日本社会はしばしば「成熟した民主主義」を自負する。しかし、異論を述べた政治家が撃たれ、平和行政を担った市長が命を奪われた歴史を持つ国が、他国の暴力を一方的に批判する資格を当然のように持っていると言えるだろうか。
私たちが直視すべきは、
暴力が言論を封じ、歴史認識を矯正しようとした時代が確かに日本にも存在した
という事実である。
広島の「平和」とは、「暴力の連鎖を断ち切る」ということではないのか?
核兵器の非人道性を訴えるだけでなく、
「暴力によって言論を沈黙させる社会を許さない」
という民主主義の根幹を守る姿勢を、私たちはもっと強く示すべきではないか。
他国の宗教的過激さを批判する前に、自国の歴史に潜む闇を見つめること。
それこそが、広島から発する平和のメッセージに必要な誠実さである。
暴力に屈しない社会をつくるために、
私たちは過去の事件を忘れず、言論の自由を守る責任を共有し続けたい。
1991年、日本人研究者が惨殺される事件が起きた。イランの宗教指導者を侮辱したと受け取られた書物の翻訳が動機ではないか――そんな推測が当時から囁かれてきた。もしそれが事実であるなら、宗教的権威への批判が命を奪う結果を招いたことになる。民主主義社会にとって深刻な問題である。
しかし、私たちはこの事件を「遠い国の宗教的過激さ」として片づけてよいのだろうか。
ほぼ同時代、日本国内でも、言論に対する暴力が現実に起きていた。1990年、本島等・長崎市長が「天皇に戦争責任がある」と述べたことを理由に銃撃され、瀕死の重傷を負った事件である。
さらに後年、長崎市の平和行政を担った市長に対し、「撃たれればよい」と公の場で放言した大学教授がいたという証言も残る。そして2007年、実際に長崎市長が凶弾に倒れた。暴力が政治的言論をねじ曲げようとした歴史は、決して外国の話ではない。
これらの出来事は、宗教国家か民主国家かという区別を超えて、
「権威や歴史認識への異論を暴力で封じようとする衝動は、どの社会にも潜む」
という普遍的な危険を示している。
日本社会はしばしば「成熟した民主主義」を自負する。しかし、異論を述べた政治家が撃たれ、平和行政を担った市長が命を奪われた歴史を持つ国が、他国の暴力を一方的に批判する資格を当然のように持っていると言えるだろうか。
私たちが直視すべきは、
暴力が言論を封じ、歴史認識を矯正しようとした時代が確かに日本にも存在した
という事実である。
広島の「平和」とは、「暴力の連鎖を断ち切る」ということではないのか?
核兵器の非人道性を訴えるだけでなく、
「暴力によって言論を沈黙させる社会を許さない」
という民主主義の根幹を守る姿勢を、私たちはもっと強く示すべきではないか。
他国の宗教的過激さを批判する前に、自国の歴史に潜む闇を見つめること。
それこそが、広島から発する平和のメッセージに必要な誠実さである。
暴力に屈しない社会をつくるために、
私たちは過去の事件を忘れず、言論の自由を守る責任を共有し続けたい。
by hiroseto2004
| 2026-03-10 22:11
| 反核・平和
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