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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

ドキュメント 8月4日から6日のヒロシマ

戦争は最大の人権侵害


4日は「核兵器廃絶2007平和ヒロシマ大会」、広島市中区の県立体育館でありました。原水禁(原水爆禁止日本国民会議)の世界大会は、2年前から8月4日の開会式を原水禁、連合、核禁会議の3者でおこなうようになり、今年で3年連続です。参加者はまず平和公園に集結し平和行進を会場まで行いました。原水禁が単独で開催していた頃とは違って民間企業の労働組合旗も目立ちました。4時半から開会。


 最初はソフトなオープニングステージ。その後、各地からの参加者が折り鶴を舞台の上に持ってあがりました。昔は、開会挨拶を運動団体の幹部が行い、基調提起、というスタイルでしたが、参加者になるべく参加してもらおうという変化を感じました。一方で昔の基調提起は、情勢を頭で整理するには良かったのでなくなって寂しい面もあります。そして原水禁の市川議長の開会挨拶。市川さんは3代目の議長ですが被爆者ではなく、放射線の専門家です。ついで黙祷を行いました。そして古賀連合事務局長による主催者代表挨拶と続きました。


 そして、来賓として広島県副知事、秋葉広島市長が挨拶しました。秋葉市長は、2020年までに核廃絶をめざすビジョンを強化すること、とくに今年から全米101都市を巡回(原爆展)して回るなど、平和行政推進に力強い決意を示されました。


 続いて海外来賓として、カラマン・ITUC(国際労連)平等局長が挨拶されました。持続可能な開発モデルへの取り組み、テロとその予防戦争をなくすための努力、などの必要性を強調しました。「女性も男性も労働組合員として社会の一員として平和を推進していく上でとてつもない可能性を持っている」と平等局長らしい檄を飛ばしました。


 被爆後の惨状の記録映画を視聴後、被爆者の坪井直さんが挨拶。彼のお話を私は何度もうかがいましたが今回はすごく迫力がありました。「先ほどの映画なんて、8月6日のことはわからない。8月6日はあんなもんではない」ときっぱり。被爆直後は血もでまくり服もやけ切れたが、「この敵はとってやる」という思いで逃げた。治療所はあったが人は避難しているだけ。そして印象に残ったのは以下の話です。


 軍隊もトラックで助けにきたが「若い男性だけ乗れ」と軍人が叫んだそうです。「戦争とは役にたつものだけ助けていく。役立たないのはゴミと一緒にされる。人権も何にもない」ということでした。戦争とは最大の人権侵害だとよくわかりました。そして、40日意識がなかった。そして、被爆者収容所では母が坪井さんをファーストネームで怒鳴る声に、意識がないのに手を上げて助かったという話が続きました。


 続いて、長崎の大会へ向け、長崎代表に平和の旗を渡しました。長崎の代表として連合長崎会長は、長崎市長暗殺事件、そして久間大臣の発言に深い憤りをしめしました。その後、島田連合広島女性委員会副委員長の読み上げで、平和アピールを発表し、「原爆を許すまじ」を合唱。最後は上條核禁議長の挨拶で閉会しました。


ヒバクシャを生まない世界に


 5日、私は原水禁の世界大会・分科会「ヒバクシャを生まない世界に2-交流・討論編 在外被爆者問題と被爆者援護法」に参加しました。講師は韓国の原爆被害者救援する会の市場淳子さん。被爆者代表は坪井直さん(広島県被団協理事長)。海外ゲストは米国在住の陣啓三さんです。


 市場さんからは、在韓国・朝鮮被爆者の問題を中心に提起がありました。彼女は、大学進学で関西にいくまで広島県出身でありながら韓国の方々が被爆されたことはご存じなく、衝撃を受け、在外被爆者支援の裁判に関わるようになったそうです。彼女は「韓国や朝鮮の原爆被害者を考えると、『平和』という言葉に違和感がある。『戦争』の反対は『平和』ではなく『平等』ではないか」と話されました。


 在韓被爆者によって提起された裁判は、最初は、日本にいる間だけ手当てが受けられるよう認めさせたそうです。 さらに次のステップとして日本に来て手帳を申請すれば被爆者手当て支給と葬祭料の支援をうけられるようになりました。しかし今なお、寝たきりの方にも、日本政府は「来日して手帳を申請せよ」というそうです。韓国には2635人もの被爆者がいますが、265人が手帳をうけられないそうです。さらに、国交がない北朝鮮の被爆者は来日が難しいのです。


 

 また、日本の被爆者が受けられる医療費支給、原爆症認定などはうけられない状態が続いています。 市場さんは、「在外被爆者問題は、日本の過去の清算でもある」と強調されました。


 医師でもある陳さんは、アメリカの被爆者の実態とご自分が被爆された体験を話しました。坪井さんは、原爆症認定問題について語りました。先の参院選を含めて、すべての政党がこの問題をあつかっています。「被爆者にも、いろいろな考え方の人はいるが、認定の問題は一致してがんばっていきたい」ということでした。


 その後、参加者で活発な討論が行われました。会場からは「被爆者のうち原爆症と認定される人が1%に満たないのは、差別ではないか」「原爆被害者の、きびしい原爆症認定基準が原発など他の被曝者にも悪影響だ」「手帳を在外被爆者が日本にこないと受けられない問題については、被爆者援護法の条文が“居住地の都道府県知事に申請”となっていることからきた問題だ。その点を立法府にきちんと働きかけていくこと」などの意見が出されました。


私には、とりわけ「原爆被害の本当のところは何度も被爆者がでていないからわからない。しかしもうそんなことは三度あってはいけないのだ」「日本人として来ていてドカーンとやられたのに、戦後になったら日本人ではないからといって支援をきってしまうのはけしからん」という坪井さんの意見が印象に残りました。「あのようなことを繰り返させないためには原爆被害の過小評価はさせない。被爆者は平等に」というのが、分科会参加者の共通認識にはなったと思いました。


女性のひろば


被爆62周年原水爆禁止世界大会、5日の午後は「女性のひろば」に参加しました。


「女性のひろば」ですが、男性でも参加はできます。


開会挨拶の後、黙祷、そして、女性のひろば現地実行委員長の田中育子さんから挨拶。


そして、続いて、原水禁中央からはI女性会議の高木睦子さんがあいさつされました。


高木さんは富山の方で、富山は基地も原発もないが、「六ヶ所村ラプソテー」上映により意識啓発を行ったということです。


「子や孫に何をしていたのだ、といわれないようにしたい」と訴えました。


続いて、被爆者の阿部静子さんから「被爆者の訴え」。爆心地から1.5kmの地点で疎開作業中に屋根の上で被爆されたそうです。


続いて「全国からの報告」。


女性差別をテーマに広教組の女性部から内藤文子さんが報告。広島県では、男女混合名簿を1986年からはじめ、2003年には小学校で88.1%になった。それが65.9%に今は落ちている。


これらは校長一人の意向ではなく、やはり、地方議員が教育委員会などを萎縮させている結果である。


うそを暴き、地方議員をきちんと監視することが大事、と結びました。


反基地闘争では、横須賀市の三浦半島地区労組協議会の長裕輔さんからの報告。

今は、原子力空母配備反対闘争を行っているということ。住民投票条例を求めたが否決されたので裁判闘争に移っているということです。


山口からは仲野亮さんが、上関原発反対闘争について報告されました。


そして、フロアからも意見が出されました。


私は「豊中市でも女性センターの館長が地方議員の圧力でやめさせられた。今裁判を行っている。この秋判決が出る。ひらがなで「さとうしゅういち」でインターネットでたくさん出ているので検索してほしい」と「館長雇い止めバックラッシュ裁判」を紹介しました。

http://fightback.exblog.jp/

そして「古臭い安倍さんは、男性でも私のような若い者にはうざい。早くやめてほしいのでがんばろう」と檄。


最後に片山春子さんからまとめをいただきました。


雨でスタートした8月6日


今年の8月6日は雨でスタートしました。式典開始前には雨は上がり涼しい式典になりました。例年は「あの日のように朝から暑くて」なのです。8時に式典がスタート。秋葉市長と遺族が名簿を奉納。続いて式辞を広島市議会議長が読み上げました。


憎しみの連鎖を断ち切る強さや優しさを


 市長、議長、遺族代表、こども代表、被爆者代表、安倍総理、衆参議長らが次々花を慰霊碑に献じました。安倍首相のときはなんとも言えないどよめきがありました。空を見上げたらだんだん晴れ間が戻ってきました。


 黙祷。


 そして秋葉市長の平和宣言です。「『こんな思いは他の誰にもかかわらずさせてはならぬ』と忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来永劫忘れてはなりません」と。そして「国際情勢に危機感をしめしつつも都市が国際政治を動かしている」ことを紹介。日本政府には「被爆者の哲学に学びアメリカの誤った政策にノーを、平和憲法をあるがままに遵守を、高齢化の被爆者に実態に即した暖かい援護策を」と迫りました。


 続いてこどもたちの平和の誓い。「憎しみの連鎖を断ち切る強さや優しさを」などと訴えました。次に安倍首相は「悲惨な経験を語り継ぐ、憲法の規定を遵守し、非核三原則をまもる」と、ややうわずった声で挨拶しました。続いて広島県知事、国連事務総長代理が挨拶し、最後にひろしま平和の歌を合唱しました。


暴力では平和構築できない・原水爆禁止世界大会


6日、平和記念式典終了後に、被爆62周年原水爆禁止世界大会(原水禁)のまとめ集会が開催されました。まず黙祷の後、市川議長が挨拶。そして海外代表からの挨拶が続きます。


 アメリカ合衆国代表は「暴力では平和構築できない」「原爆は軍拡競争の引き金になった」「私たちは一体で核兵器のない世界をつくらなければならない」「日本が重要な役割を果たす」「運動が政策決定に影響を与えないといけない」と述べました。ついで、「メッセージ from ヒロシマ」についての報告が、高校生から。力強い発表でした。


 福山事務局長は、まとめの挨拶で「原水禁、連合、核禁の3団体での開催には意義はあるが、一方で憲法や原発でどこまでできるか心配である」「原発震災、参院選与野党逆転、原爆症認定訴訟は勝訴などの情勢をふまえ、新しい情勢のなかで頑張りを」と語りました。また「核兵器廃絶にはNPT体制強化により取り組む。平和市長会議の2020ビジョンに全面協力する」「アフガニスタン、イラクから米軍、また自衛隊の全面撤退を求める」「安倍首相には、米印原子力協定に賛成しないよう求める」ことなどを提起しました。


 その後、「ヒロシマ・アピール」を採択し、つづいて被災地新潟代表からは「三途の川に片足を突っ込んだ。7号機では浸水も起きた。タービンも台座からはずれた。非常に危険だ。そして原子炉直下に断層があった」と報告があり、柏崎刈羽原発廃炉を求める特別決議を行いました。


 参加者一同が「原爆許すまじ」を合唱したのち、広島県原水禁の向井代表委員が「認定訴訟、在外被爆者訴訟で国は控訴取り下げを。政府に非核三原則をまもらせないといけない。核と人類は共存できないことを確認したい」と挨拶し、閉会しました。


 午後、私は、「劣化ウラン兵器禁止(NODU)交流会」、続いて「8・6ヒロシマ国際対話集会反核の夕べ2007非核未来へのロードマップ」に参加しました。国際対話集会では、ジャルガルサイハン・エンフサイハンさんから、モンゴルの非核地帯の経験について報告がありました。


 つづいてパキスタンから核武装の経緯などについてチャウドゥリー・イナヤツラー博士が報告しました。「インド・パキスタン、両国とも“核クラブ”に入りたい。しかし、核戦争は今まで幸運にも回避されただけで、今後も起こり得る」「排他的な信念が戦争の文化をつくってしまう」「紛争、戦争の文化は強化されてきたが、平和の文化も作ってきた」などと語りました。


 平和研究所の田中利幸さんからは「核抑止力というが抑止力というのは我々自身の心にあるのではないか、市民の声ではないか?」と補足がありました。


 イギリスでトライデントミサイルシステム更新に抗議するファスレーン現地行動に参加した上山耕平さんは「ファスレーンに潜水艦があるがシステムは古くなり、更新を阻止することは核をイギリスが止めるということ」と語り、現地で行なわれた非暴力直接行動を報告しました。「人間の鎖でファスレーンを包囲」「逮捕者も多いが起訴された人は少ない」そうです。


 広島平和文化センターのスティーブ・リーバーさんは、平和市長会議の活動について紹介。「1000以上の都市から10万円づつでもいただければ相当のキャンペーンもできる。ただ、焦点を定めた運動が必要なのでアイデアがあればお願いしたい」と話しました。つづいて、印パ青少年平和交流に参加して来日中の若者によるアピールがあり、フロアからの意見や質問がつづきました。


 「米ソと印パのちがい」については、イナヤツラー博士は、「米ソは直接衝突していないが、印パは実際に戦争もあり、今も紛争が起きている。宗教的問題もある。米ソは国境を接しないが印パは接してカシミール領土紛争がある」などと答えました。田中さんは「インド・パキスタンの背後にはアメリカがある。両国を批判しただけでは解決しない。アメリカも同時に批判しないといけない。抑止力は市民の声だ」と指摘し、討論がおわりました。


 国際対話集会では最後に、インド・パキスタンから来日中の高校生、大学生が紹介されました。夕方、私たちはインド・パキスタンの青少年とともに平和公園ちかくの元安橋付近で、とうろう流しを見送りました。「原爆の子」像周辺では、人々が夜になっても折り鶴を手向けていました。


アピール採択(4日)

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平和行進を終え、会場前で待機する人々(4日)
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 坪井さん(5日分科会)。被爆者団体理事長の立場から熱弁をふるった。
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(6日)
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(6日)
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(6日)




6日まとめ集会
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 インド・パキスタンの若者たち


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5日午後の「女性のひろば」

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by hiroseto2004 | 2007-08-07 12:25 | 反核・平和 | Trackback