人権保障のための公共事業を!
2007年 09月 16日
http://news.livedoor.com/article/detail/3308104/
[線路を走行]75歳男性が車で 「道路と思った」 岩見沢
こんな事件がありました。実は、他人事ではないのです。
高齢社会になり、高齢者の運転者は増えています。
そうした中で、高齢者が「加害者」となるような事故も増えています。
http://careworker.seesaa.net/article/5826837.html
(日本介護新聞HPより)
逆走事故の半分以上が高齢者だという。
高齢者だから、ということで差別をするわけではありません。
しかし、そうはいっても、一般論として、年をとれば動体視力は落ちてくる。判断もしにくい。そういう意味からすると、車の運転というのは危険を伴う。普通の事務作業や家事などは結構元気でこなせてもです。
むろん、高齢者が免許を返上する制度もある。しかし、日本の交通事情を考えると、免許を返上しろと安易にはいえない実態があります。
■安易に免許返上をいえない社会
小泉純一郎内閣の下で、私鉄やバスに「撤退の自由」が認められた。企業は我先に、採算の取れない路線から撤退しました。
そのため、2003年には可部線が可部以北が廃止されました。
私も、広島県内を行動していて「あれ、バス停があるのにバスが来ないぞ」そして近所の人にきくと、「ああ、もうバスは廃止になっとる」という経験を何度もしています。
そういう状況で、その地元の高齢者だって暮らしていかないといけないのです。
いや、都市部だって、そんなに公共交通が便利とはいえないかもしれない。広島市でも、たとえば、南区の東部とか、東区の内陸部あたりは、鉄道がないために結構不便だったりします。福山市もこれだけの大都会で、私鉄なり路面電車的なものがなく、バスの便もよくありません。地元最大手のバス会社が行き詰まり、他社に吸収合併され、リストラが加速しています。
みな人間年をとる。そして、高齢者に家にずっと寝ていろ、というわけにはいかない。(家や施設、病院で他人の世話になる人ばかりだったら今度は福祉費用が莫大になるでしょう)。しかし、体力が落ちた人の運転は、自分自身だけでなく、他人を傷つける可能性が高い。
そうなれば、やはり、「体力が落ちた人でも安心して移動できる」ということを人権として確立するしかないのです。そのことは、若い者にとっても、交通の安全性向上ということで、割が合います。
■道路特定財源見直しで
私は、ずばり言ってしまえば、道路特定財源の見直しの中で、公共交通機関もある程度充実させることです。
道路特定財源は、無駄が多いといわれて久しい。小泉・安倍総理の下で一定の見直しは進められた。しかし、まだまだ実際には必要もない道路の掘り返しなどが多すぎます。筆者の家のそばでも、なぜか、真夜中に二日連続、道路で意味不明の工事があり、睡眠を妨害されたばかりです。(実際、「使途不明」のような、工事が多いと、筆者の友人の元国会議員から聞きました)。
電車は、「独立採算性」で走っているが、自家用車はそうはいっても税金で整備された道路の上を走る。
これが、実は、社会的に見て、過剰にクルマ社会化を加速する誘引にもなっているのです。「経済効率性」という意味からも過剰なクルマ社会になっているのが日本です。トヨタが「自立した企業」として一部の人にもてはやされているが、トヨタもしっかり国のお世話になっていることをわすれてはいけません。
たしかに、大昔、自民党政治の元で「我田引鉄」(代議士が選挙区に鉄道を引かせる)ということはあった。それは問題だったと思う。しかし、だからといって、人々の「交通権」を保障しなくて良いということではない。「我田引鉄」がまずかったのは、「**先生のおかげ」という意識が人々にも強く、「自分たちの権利」として捉えていなかったことではないでしょうか?鉄道を引かせるだけ引かせておいて、自分たちは車に乗り、鉄道のその後を考えないという無責任な態度はなかったか?
そして「羹に懲りて膾を吹く」という按配で、ネオコン路線がはびこった。中曽根康弘さんが国鉄民営化の中でローカル線を廃止し、小泉純一郎さんが規制緩和で地方の路線をつぶしたわけです。
これからは、「交通権」の保障として、公共交通へのシフトを考えるのです。あるいは、福祉や環境問題として総合的な視野から考えるのです。
都市部では、低床のLRTのような形で使い勝手の良い公共交通を充実させる。農村部でも、できるだけ自治体などが責任を持ち、事業者と連携しながら、高齢者にとくに使い勝手のよいコミュニティーバスなり、コミュニティー大型タクシーなりを整備する。それは、場所にもよるでしょう。
その財源を道路特定財源を振り替える形で出していく。それが、安全な道路にもつながると思いますが、いかがでしょうか。
■ポストネオコン政治の重要課題のひとつに
小泉さんが総理になったとき、道路特定財源を見直すというので、こういう方向での改革をしてくれるのかと思いきや、そうではなく、ただの分捕り合戦の様相になったのが残念です。
安倍さんの「KO負け」により、小泉純一郎さん、そして安倍晋三さんのネオコン政治が終わりました。小泉純一郎さんの政治では、たとえばトヨタの会長が、経済政策を決める「経済財政諮問会議」民間委員として政府に大きな影響力を持っていたために、上記の私が提案するような政策はしにくかったかもしれません。しかし、そういう政治には、参院選でノーがつきつけられたのです。
与野党は、「ポスト・ネオコン」政治の、生活に密着した切実な課題として、環境問題として、福祉問題として、含蓄の深い、交通問題に取り組んでいただきたいと思います。
なるほど!と思ったら下をクリックお願いします!
人気blogランキングへ
http://member.blogpeople.net/tback/09077 自・ENDキャンペーン)
介護福祉関連記事(ブログピープル)
(上のバナーは弊社作成)
(以上4つは「雑談日記」ご作成)
[線路を走行]75歳男性が車で 「道路と思った」 岩見沢
こんな事件がありました。実は、他人事ではないのです。
高齢社会になり、高齢者の運転者は増えています。
そうした中で、高齢者が「加害者」となるような事故も増えています。
http://careworker.seesaa.net/article/5826837.html
(日本介護新聞HPより)
逆走事故の半分以上が高齢者だという。
高齢者だから、ということで差別をするわけではありません。
しかし、そうはいっても、一般論として、年をとれば動体視力は落ちてくる。判断もしにくい。そういう意味からすると、車の運転というのは危険を伴う。普通の事務作業や家事などは結構元気でこなせてもです。
むろん、高齢者が免許を返上する制度もある。しかし、日本の交通事情を考えると、免許を返上しろと安易にはいえない実態があります。
■安易に免許返上をいえない社会
小泉純一郎内閣の下で、私鉄やバスに「撤退の自由」が認められた。企業は我先に、採算の取れない路線から撤退しました。
そのため、2003年には可部線が可部以北が廃止されました。
私も、広島県内を行動していて「あれ、バス停があるのにバスが来ないぞ」そして近所の人にきくと、「ああ、もうバスは廃止になっとる」という経験を何度もしています。
そういう状況で、その地元の高齢者だって暮らしていかないといけないのです。
いや、都市部だって、そんなに公共交通が便利とはいえないかもしれない。広島市でも、たとえば、南区の東部とか、東区の内陸部あたりは、鉄道がないために結構不便だったりします。福山市もこれだけの大都会で、私鉄なり路面電車的なものがなく、バスの便もよくありません。地元最大手のバス会社が行き詰まり、他社に吸収合併され、リストラが加速しています。
みな人間年をとる。そして、高齢者に家にずっと寝ていろ、というわけにはいかない。(家や施設、病院で他人の世話になる人ばかりだったら今度は福祉費用が莫大になるでしょう)。しかし、体力が落ちた人の運転は、自分自身だけでなく、他人を傷つける可能性が高い。
そうなれば、やはり、「体力が落ちた人でも安心して移動できる」ということを人権として確立するしかないのです。そのことは、若い者にとっても、交通の安全性向上ということで、割が合います。
■道路特定財源見直しで
私は、ずばり言ってしまえば、道路特定財源の見直しの中で、公共交通機関もある程度充実させることです。
道路特定財源は、無駄が多いといわれて久しい。小泉・安倍総理の下で一定の見直しは進められた。しかし、まだまだ実際には必要もない道路の掘り返しなどが多すぎます。筆者の家のそばでも、なぜか、真夜中に二日連続、道路で意味不明の工事があり、睡眠を妨害されたばかりです。(実際、「使途不明」のような、工事が多いと、筆者の友人の元国会議員から聞きました)。
電車は、「独立採算性」で走っているが、自家用車はそうはいっても税金で整備された道路の上を走る。
これが、実は、社会的に見て、過剰にクルマ社会化を加速する誘引にもなっているのです。「経済効率性」という意味からも過剰なクルマ社会になっているのが日本です。トヨタが「自立した企業」として一部の人にもてはやされているが、トヨタもしっかり国のお世話になっていることをわすれてはいけません。
たしかに、大昔、自民党政治の元で「我田引鉄」(代議士が選挙区に鉄道を引かせる)ということはあった。それは問題だったと思う。しかし、だからといって、人々の「交通権」を保障しなくて良いということではない。「我田引鉄」がまずかったのは、「**先生のおかげ」という意識が人々にも強く、「自分たちの権利」として捉えていなかったことではないでしょうか?鉄道を引かせるだけ引かせておいて、自分たちは車に乗り、鉄道のその後を考えないという無責任な態度はなかったか?
そして「羹に懲りて膾を吹く」という按配で、ネオコン路線がはびこった。中曽根康弘さんが国鉄民営化の中でローカル線を廃止し、小泉純一郎さんが規制緩和で地方の路線をつぶしたわけです。
これからは、「交通権」の保障として、公共交通へのシフトを考えるのです。あるいは、福祉や環境問題として総合的な視野から考えるのです。
都市部では、低床のLRTのような形で使い勝手の良い公共交通を充実させる。農村部でも、できるだけ自治体などが責任を持ち、事業者と連携しながら、高齢者にとくに使い勝手のよいコミュニティーバスなり、コミュニティー大型タクシーなりを整備する。それは、場所にもよるでしょう。
その財源を道路特定財源を振り替える形で出していく。それが、安全な道路にもつながると思いますが、いかがでしょうか。
■ポストネオコン政治の重要課題のひとつに
小泉さんが総理になったとき、道路特定財源を見直すというので、こういう方向での改革をしてくれるのかと思いきや、そうではなく、ただの分捕り合戦の様相になったのが残念です。
安倍さんの「KO負け」により、小泉純一郎さん、そして安倍晋三さんのネオコン政治が終わりました。小泉純一郎さんの政治では、たとえばトヨタの会長が、経済政策を決める「経済財政諮問会議」民間委員として政府に大きな影響力を持っていたために、上記の私が提案するような政策はしにくかったかもしれません。しかし、そういう政治には、参院選でノーがつきつけられたのです。
与野党は、「ポスト・ネオコン」政治の、生活に密着した切実な課題として、環境問題として、福祉問題として、含蓄の深い、交通問題に取り組んでいただきたいと思います。
なるほど!と思ったら下をクリックお願いします!
人気blogランキングへ
http://member.blogpeople.net/tback/09077 自・ENDキャンペーン)
介護福祉関連記事(ブログピープル)
(上のバナーは弊社作成)
(以上4つは「雑談日記」ご作成)
by hiroseto2004
| 2007-09-16 09:32
| 環境・街づくり
|
Trackback