高裁は行政の「説明責任」を問うべし
2007年 09月 29日
私は、地方公務員として8年間、勤務しています。労働行政、福祉行政などの職場を歴任してまいりました。ちょうど、私が勤務を始めた2000年ころから、行政の業務執行のあり方は大きく変わりました。
その経験から、本事件の一審判決について、意見を述べさせていただきます。
一審判決は、いわば、行政による「説明責任」を、現代、ことに21世紀には入ってからの行政の仕事のやり方から見ても、軽視していると考えます。
1990年代、情報公開を自治体や国に求める国民の運動が盛んになりました。1999年行政機関の保有する情報の公開に関する法律(情報公開法)も制定されました。同法の第一条は以下のような条文となっています。
第一条この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。
この精神は、行政と言うものは、広く課題意識が共有化された上で行われるべきだということです。
これにより、21世紀に入ってからは、行政の業務のあるべきあり方も、国民からは不十分と言う批判をいただきながらも大きな変化を遂げました。
この法の精神は、全ての業務執行の背骨として貫かれるべきものです。
したがって、現在の行政において、「表面上、個々の行為が条文に照らして違反ではない」ということだけでは、全く不十分なのです。「国民に対して公になっても説明できないこと、納得を得られにくいようなことはしない」というのが業務執行の大前提となっています。
例えば、「功績により表彰されることが内定した人」がいるとします。その人の名前を公表していいかどうか?あるいは,受賞するなら公表することになるがよいか?そのつど,きちんと,対象の方に意向を伺うのが常識です。
このような対象者にとり「良いこと」でさえも,きちんと相手を尊重するのです。それを怠れば上司に叱責されることでしょう。これが、今の行政の業務のあり方です。
まして、対象者にとって「悪いこと」なら,なおさらです。訴訟の対象となっている事件において被告は、原告に対して「首を切る」という「致命的に悪いこと」を、原告に情報を秘匿して行ったのです。
もちろん,「重大なことだからこそ」隠した,というのが今回の事件です。そこに凶悪性があります。
一応,それなりに神経を使って仕事をしている多くの行政職員にとっても、この一審判決は、あまりに行政の説明責任を免除されすぎていると感じるのではないでしょうか?下手をすれば「今、神経を使って仕事をしている我々の努力は何なのか?」ということになりかねません。
「説明責任」は,行政職員自身も守ります。議員や市民も、法外な要求、表に出てはいえないような要求を行政に行うことは控えるようになります。
そして,「説明責任」の遂行は行政と市民、また、本件であれば、原告と被告の課題認識を、話し合いにより共有化することが、その神髄です。よりよい行政の追求の王道です。それが行われないことは、逆に言えば、現代の行政のあり方としては落第点です。説明責任を果たすこと自体が、いまや「公序良俗」の一環として定着しているのです。
一審判決は,多くの点で,「説明責任」を不問とした点が致命的な欠陥であると思います。
例えば、判決文は、「それにもかかわらず、後任館長人事に関する情報についても、同様、原告に情報を開示していなかったことが認められる( しかも、平成16年1 月10 日における山本事務局長の対応〔前記1( 9) カ〕によると、意図的に情報を秘匿していたことは明らかである。)。」
「やむなく雇止めとなる原告にとって、「すてっぷ」の事業の責任者である館長の後任候補者選びは, 最大の関心事である。山本事務局長が原告に対して、後任侯補者関係の情報を秘匿した真意については、不明といわざるを得ないが、この情報の秘匿が、後日、原告の被告らに対する不信感を募らせる最大の原因となったことは否めない。」
としているのにも関わらず、
「もっとも、被告豊中市や被告財団において、館長職を雇止めとなる予定の原告に、後任人事についての意見を聞かなければならないという義務があるとまではいえず、後任侯補者関係の情報を秘匿したこと自体をもって、違法ということはできず、少なくとも、本件組織変更の必要性を否定する事情とはいえない。」
としています。
だが、後任に誰が来るか、これは、責任ある館長だからこそ、原告にとって、とくに大事ではないでしょうか?重要な事業をどう引継ぐか、今後の事業展開戦略をどうするかなどを考えれば、後任についても、きちんと相談することが、「ベストな行政」の追求ではないでしょうか?
説明責任の遂行が欠けた行政行為は、21世紀に入ってからの基準でいえば、市民の人権を決定的に侵害しており、また、ベストな行政の追求を怠っていることになります。被告豊中市の行動は、公序良俗に反する行為であると考えます。
説明責任を果たさず、「裏でこそこそ」と言うのは、実は、男性(一部男性文化に浸った女性)が中心になって、行政や政治を牛耳っている時代の悪しき残滓ではないかとも思います。
これを打破するために、きちんと意思決定の場に多くの女性を送ることも必要ではないか、と思う次第です。
■判決文http://fightback.fem.jp/1sin_hanketu.pdf
■弁護団声明http://fightback.fem.jp/press07_9_12bengodan.html
■原告声明http://fightback.fem.jp/press07_9_12mitsui.html
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ーン)
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その経験から、本事件の一審判決について、意見を述べさせていただきます。
一審判決は、いわば、行政による「説明責任」を、現代、ことに21世紀には入ってからの行政の仕事のやり方から見ても、軽視していると考えます。
1990年代、情報公開を自治体や国に求める国民の運動が盛んになりました。1999年行政機関の保有する情報の公開に関する法律(情報公開法)も制定されました。同法の第一条は以下のような条文となっています。
第一条この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。
この精神は、行政と言うものは、広く課題意識が共有化された上で行われるべきだということです。
これにより、21世紀に入ってからは、行政の業務のあるべきあり方も、国民からは不十分と言う批判をいただきながらも大きな変化を遂げました。
この法の精神は、全ての業務執行の背骨として貫かれるべきものです。
したがって、現在の行政において、「表面上、個々の行為が条文に照らして違反ではない」ということだけでは、全く不十分なのです。「国民に対して公になっても説明できないこと、納得を得られにくいようなことはしない」というのが業務執行の大前提となっています。
例えば、「功績により表彰されることが内定した人」がいるとします。その人の名前を公表していいかどうか?あるいは,受賞するなら公表することになるがよいか?そのつど,きちんと,対象の方に意向を伺うのが常識です。
このような対象者にとり「良いこと」でさえも,きちんと相手を尊重するのです。それを怠れば上司に叱責されることでしょう。これが、今の行政の業務のあり方です。
まして、対象者にとって「悪いこと」なら,なおさらです。訴訟の対象となっている事件において被告は、原告に対して「首を切る」という「致命的に悪いこと」を、原告に情報を秘匿して行ったのです。
もちろん,「重大なことだからこそ」隠した,というのが今回の事件です。そこに凶悪性があります。
一応,それなりに神経を使って仕事をしている多くの行政職員にとっても、この一審判決は、あまりに行政の説明責任を免除されすぎていると感じるのではないでしょうか?下手をすれば「今、神経を使って仕事をしている我々の努力は何なのか?」ということになりかねません。
「説明責任」は,行政職員自身も守ります。議員や市民も、法外な要求、表に出てはいえないような要求を行政に行うことは控えるようになります。
そして,「説明責任」の遂行は行政と市民、また、本件であれば、原告と被告の課題認識を、話し合いにより共有化することが、その神髄です。よりよい行政の追求の王道です。それが行われないことは、逆に言えば、現代の行政のあり方としては落第点です。説明責任を果たすこと自体が、いまや「公序良俗」の一環として定着しているのです。
一審判決は,多くの点で,「説明責任」を不問とした点が致命的な欠陥であると思います。
例えば、判決文は、「それにもかかわらず、後任館長人事に関する情報についても、同様、原告に情報を開示していなかったことが認められる( しかも、平成16年1 月10 日における山本事務局長の対応〔前記1( 9) カ〕によると、意図的に情報を秘匿していたことは明らかである。)。」
「やむなく雇止めとなる原告にとって、「すてっぷ」の事業の責任者である館長の後任候補者選びは, 最大の関心事である。山本事務局長が原告に対して、後任侯補者関係の情報を秘匿した真意については、不明といわざるを得ないが、この情報の秘匿が、後日、原告の被告らに対する不信感を募らせる最大の原因となったことは否めない。」
としているのにも関わらず、
「もっとも、被告豊中市や被告財団において、館長職を雇止めとなる予定の原告に、後任人事についての意見を聞かなければならないという義務があるとまではいえず、後任侯補者関係の情報を秘匿したこと自体をもって、違法ということはできず、少なくとも、本件組織変更の必要性を否定する事情とはいえない。」
としています。
だが、後任に誰が来るか、これは、責任ある館長だからこそ、原告にとって、とくに大事ではないでしょうか?重要な事業をどう引継ぐか、今後の事業展開戦略をどうするかなどを考えれば、後任についても、きちんと相談することが、「ベストな行政」の追求ではないでしょうか?
説明責任の遂行が欠けた行政行為は、21世紀に入ってからの基準でいえば、市民の人権を決定的に侵害しており、また、ベストな行政の追求を怠っていることになります。被告豊中市の行動は、公序良俗に反する行為であると考えます。
説明責任を果たさず、「裏でこそこそ」と言うのは、実は、男性(一部男性文化に浸った女性)が中心になって、行政や政治を牛耳っている時代の悪しき残滓ではないかとも思います。
これを打破するために、きちんと意思決定の場に多くの女性を送ることも必要ではないか、と思う次第です。
■判決文http://fightback.fem.jp/1sin_hanketu.pdf
■弁護団声明http://fightback.fem.jp/press07_9_12bengodan.html
■原告声明http://fightback.fem.jp/press07_9_12mitsui.html
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by hiroseto2004
| 2007-09-29 15:52
| ジェンダー・人権(裁判)
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