手放しには喜べぬ「キャリア女性」増加・・やり直しの利く社会を!
2007年 10月 25日
いわゆる国家公務員一種試験採用の事務系職員のうち、女性が25%を超えたそうです。
私は、女性が、意思決定の場面にさらに多く入ることは大いに推進していくつもりです。「女性と政治キャンペーン」への参加など私の行動を見ていただければそれは明らかです。
しかしながら、このニュースを見ると、「よいこと」とはおもうのですが、「手放し」には喜べません。
以下のような課題はあります。
第一に、キャリア制度そのもの不公平性です。地方自治体では上級職などは止めているところが多いのです。昇給の格差もかなり縮小しています。国もそれに見習うべきではないでしょうか?
女性の登用をするならキャリアからだけでなく、公平に、適材適所で登用していくべきだと思います。
第二に、たとえば、文部科学省は40。9%が女性ということです。現場には、小中学校など女性教員が多いですから「いかにもさもありなん」という感じです。旧文部省時代から伝統的に女性にも大物官僚も結構多いので違和感はない。
ですが、「従来から女性が多い」ところだけでなく、たとえば、国土交通省とか農林水産省とか、財務省とかそういうところにもっと女性が多くなったらよいと思います。
「こどものことだから女性に任せておいてもいい」という風土はないでしょうか?それではいけない。
道路だって女性が半分は利用するし、広島県の山間部でも建設現場には女性が多い。タクシーの運転手さんも、農業従事者の方々もしかりです。だからこれらの政策決定の分野にももっと女性が必要です。
■階級格差拡大とセットの「女性進出」か?
第三に、一見、男女格差が縮小したように見えますが、ジェンダー差別が解消したというよりも、むしろ「階級格差の拡大」の影響で女性が進出しているように見える部分があるのではないか?と思うのです。
すなわち、「日本型社民主義」のもとでは乱暴に言えば、
エリート男性>非エリート男性>エリート女性>非エリート女性
という構図があったのです。
ところが、エリートと非エリートの格差が拡大し、なおかつ固定化した。
このため、「非エリート男性」と非エリート女性が、大きく後退した。
エリート男性>エリート女性>>非エリート男性>非エリート女性
この結果、エリート階層の女性が、大きく進出したように見えるのです。
これは、階層格差が大きいインドやバングラディシュなどで、故インディラ=ガンディー首相など、結構「女性のえらい人」が多いのとよく似ています。
実は、もっといってしまうと、大昔の日本、中世以前はこれに似ていた。女性の武将、大名もいたのです。北条政子は鎌倉幕府の最高権力者でしたし、戦国時代でも「鶴姫様」のような例はあります。
皮肉ですが、ここ10年ほど、新自由主義を進める過程で「日本の中世化」が進んでしまった。そこでは、「庶民の声」は切り捨てられ、階級が固定化していったのです。
むろん、逆に言えば、近代社会は「エリート女性」をも(言い方はわるいが)家に押し込めることで、非エリート男性にも社会で活躍する機会を与えた、そういう意味での「女性を犠牲にした一定の階級平等」を達成したともいえます。
日本も明治政府が、欧州の近代の価値観(男性だけが市民)を導入し、家制度を庶民まで確立したのです。戦後も、憲法とは裏腹に、サラリーマン家庭を中心にいわゆる「バックラッシュ派」が主張するところの男女の役割がきっちり分離した家族像が定着し、左右両陣営ともそれを暗黙の前提としたのです。
■積極的な平等策を!
さて、今、日本に住むあるいは、地球上に住む人間として私たちは何をすればよいか?
それは、機会の平等を徹底保障することです。しかし「機会の平等」を保障しようと思ったら、実は、「大きな政府」でなければならないのです。
恵まれた家庭の人は、別に政府が何をしなかったら、圧倒的有利になってしまうのです。
低所得者家庭に生まれた子どもでも、自由に進路が選べるようにするには、教育費の負担を減らすことが大事です。あるいは、低所得で、医療などの基本的なサービスにも事欠く人には、まず、セーフティネットをきちんと保障する。それにより、健康的な生活を維持し、自立ということになっていくのです。
■依然根強いジェンダーバイアス
一方で、ジェンダーバイアスをなくしていく取り組みの必要性はこれっぽちも下がってはいません。とくにそれは、個別の職場、地域、社会の中で根強くある。
庶民の間でも、各種統計を見ても男女間での所得差は、決して小さくなっていません。厳然と男女の役割分担、いや「分離」は明確にあるのです。
非正規雇用も、同じ職場、同じ会社の中で見れば、やっぱり、女性が圧倒的に多い。(男性は、逆に事務仕事の派遣社員に就職を希望しても、書類審査で却下され、雇用機会均等法違反で訴えた例もあります。)。
地域へ出れば、普段の地域活動は女性が汗を流しているのに、なぜか自治会長のポストには男性が多い。民生委員も女性が多いのに、協議会の会長は男性が圧倒的に多い。
「仕事をするのは女性、持ち上げられるのは男性」という構図がある。そしていざ、災害となると女性の視点があまり反映されないというわけです。
世間的に見れば大手企業や役所などの「エリート」といわれるような職業でもジェンダーバイアスはかたくある。
たとえば、男性の係長には仕事の相談をするが、女性の課長には、仕事よりも、お客様からもらったお土産のケーキの切り方についてお伺いを立てるとか、そういう「笑えない実態」もまたあるのです。
政治家でも、女性は「票が取れる」という理由でちやほやするが、彼女が何か政策に影響を与えようとすると、男性が結束してバッシングするという実態も思想の左右問わずあります。
一方で、男性もしんどい。経済的な扶養義務を負わされた、あるいは、仕事しか生きがいがなくなった中高年男性の自殺率は高い。仕事で失敗した、経営している企業がつぶれると、煮詰まってしまう人が本当に多い。あるいは、若い男性が就職できないでいると、冷たい視線が注ぐ。女性なら逆に何も言われない。本当は、飯が食えないで問題大有りなのにです。こういう男性を苦しめるバイアスも強くあります。
■いまこそ憲法の完全実施を
人生の選択肢を選べるように、国策として、教育や医療、雇用などでのセーフティネットをきちんと整備するとともに、各職場や地域、家庭などでのジェンダーバイアスをなくしていくような施策を平行して進めていく必要があります。
これが、新しい政治のあり方だと思います。
成功した女性をねたんで、男性がバックラッシュに走ったりするのは不毛ですし、逆に、エリートの女性の中にみられがちなのですが、たとえば猪口邦子・衆院議員のようなネオコン・ネオリベラルの女性が「フリーターは待ち組」などといって、弱者をこけにするようなことも不毛です。
「日本はやりなおしがきかない」といわれていたが、一昔前は実は、たとえば、中小企業に勤める人でも、正社員のまま技術を生かして会社を移ったりしていました。あるいは、起業率も昔のほうが高かった。新自由主義政策の下、中曽根政府以降、とくに小渕政府以降、階層格差が拡大してその流動性が低下していると思います。
これからは「やりなおしがきく」社会、そして、生まれや生い立ちにとらわれない社会をつくることです。言い換えれば以下の日本国憲法の条文を完全実施することです。それが新しい政治です。

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「キャリア」採用、女性の比率が最高に
私は、女性が、意思決定の場面にさらに多く入ることは大いに推進していくつもりです。「女性と政治キャンペーン」への参加など私の行動を見ていただければそれは明らかです。
しかしながら、このニュースを見ると、「よいこと」とはおもうのですが、「手放し」には喜べません。
以下のような課題はあります。
第一に、キャリア制度そのもの不公平性です。地方自治体では上級職などは止めているところが多いのです。昇給の格差もかなり縮小しています。国もそれに見習うべきではないでしょうか?
女性の登用をするならキャリアからだけでなく、公平に、適材適所で登用していくべきだと思います。
第二に、たとえば、文部科学省は40。9%が女性ということです。現場には、小中学校など女性教員が多いですから「いかにもさもありなん」という感じです。旧文部省時代から伝統的に女性にも大物官僚も結構多いので違和感はない。
ですが、「従来から女性が多い」ところだけでなく、たとえば、国土交通省とか農林水産省とか、財務省とかそういうところにもっと女性が多くなったらよいと思います。
「こどものことだから女性に任せておいてもいい」という風土はないでしょうか?それではいけない。
道路だって女性が半分は利用するし、広島県の山間部でも建設現場には女性が多い。タクシーの運転手さんも、農業従事者の方々もしかりです。だからこれらの政策決定の分野にももっと女性が必要です。
■階級格差拡大とセットの「女性進出」か?
第三に、一見、男女格差が縮小したように見えますが、ジェンダー差別が解消したというよりも、むしろ「階級格差の拡大」の影響で女性が進出しているように見える部分があるのではないか?と思うのです。
すなわち、「日本型社民主義」のもとでは乱暴に言えば、
エリート男性>非エリート男性>エリート女性>非エリート女性
という構図があったのです。
ところが、エリートと非エリートの格差が拡大し、なおかつ固定化した。
このため、「非エリート男性」と非エリート女性が、大きく後退した。
エリート男性>エリート女性>>非エリート男性>非エリート女性
この結果、エリート階層の女性が、大きく進出したように見えるのです。
これは、階層格差が大きいインドやバングラディシュなどで、故インディラ=ガンディー首相など、結構「女性のえらい人」が多いのとよく似ています。
実は、もっといってしまうと、大昔の日本、中世以前はこれに似ていた。女性の武将、大名もいたのです。北条政子は鎌倉幕府の最高権力者でしたし、戦国時代でも「鶴姫様」のような例はあります。
皮肉ですが、ここ10年ほど、新自由主義を進める過程で「日本の中世化」が進んでしまった。そこでは、「庶民の声」は切り捨てられ、階級が固定化していったのです。
むろん、逆に言えば、近代社会は「エリート女性」をも(言い方はわるいが)家に押し込めることで、非エリート男性にも社会で活躍する機会を与えた、そういう意味での「女性を犠牲にした一定の階級平等」を達成したともいえます。
日本も明治政府が、欧州の近代の価値観(男性だけが市民)を導入し、家制度を庶民まで確立したのです。戦後も、憲法とは裏腹に、サラリーマン家庭を中心にいわゆる「バックラッシュ派」が主張するところの男女の役割がきっちり分離した家族像が定着し、左右両陣営ともそれを暗黙の前提としたのです。
■積極的な平等策を!
さて、今、日本に住むあるいは、地球上に住む人間として私たちは何をすればよいか?
それは、機会の平等を徹底保障することです。しかし「機会の平等」を保障しようと思ったら、実は、「大きな政府」でなければならないのです。
恵まれた家庭の人は、別に政府が何をしなかったら、圧倒的有利になってしまうのです。
低所得者家庭に生まれた子どもでも、自由に進路が選べるようにするには、教育費の負担を減らすことが大事です。あるいは、低所得で、医療などの基本的なサービスにも事欠く人には、まず、セーフティネットをきちんと保障する。それにより、健康的な生活を維持し、自立ということになっていくのです。
■依然根強いジェンダーバイアス
一方で、ジェンダーバイアスをなくしていく取り組みの必要性はこれっぽちも下がってはいません。とくにそれは、個別の職場、地域、社会の中で根強くある。
庶民の間でも、各種統計を見ても男女間での所得差は、決して小さくなっていません。厳然と男女の役割分担、いや「分離」は明確にあるのです。
非正規雇用も、同じ職場、同じ会社の中で見れば、やっぱり、女性が圧倒的に多い。(男性は、逆に事務仕事の派遣社員に就職を希望しても、書類審査で却下され、雇用機会均等法違反で訴えた例もあります。)。
地域へ出れば、普段の地域活動は女性が汗を流しているのに、なぜか自治会長のポストには男性が多い。民生委員も女性が多いのに、協議会の会長は男性が圧倒的に多い。
「仕事をするのは女性、持ち上げられるのは男性」という構図がある。そしていざ、災害となると女性の視点があまり反映されないというわけです。
世間的に見れば大手企業や役所などの「エリート」といわれるような職業でもジェンダーバイアスはかたくある。
たとえば、男性の係長には仕事の相談をするが、女性の課長には、仕事よりも、お客様からもらったお土産のケーキの切り方についてお伺いを立てるとか、そういう「笑えない実態」もまたあるのです。
政治家でも、女性は「票が取れる」という理由でちやほやするが、彼女が何か政策に影響を与えようとすると、男性が結束してバッシングするという実態も思想の左右問わずあります。
一方で、男性もしんどい。経済的な扶養義務を負わされた、あるいは、仕事しか生きがいがなくなった中高年男性の自殺率は高い。仕事で失敗した、経営している企業がつぶれると、煮詰まってしまう人が本当に多い。あるいは、若い男性が就職できないでいると、冷たい視線が注ぐ。女性なら逆に何も言われない。本当は、飯が食えないで問題大有りなのにです。こういう男性を苦しめるバイアスも強くあります。
■いまこそ憲法の完全実施を
人生の選択肢を選べるように、国策として、教育や医療、雇用などでのセーフティネットをきちんと整備するとともに、各職場や地域、家庭などでのジェンダーバイアスをなくしていくような施策を平行して進めていく必要があります。
これが、新しい政治のあり方だと思います。
成功した女性をねたんで、男性がバックラッシュに走ったりするのは不毛ですし、逆に、エリートの女性の中にみられがちなのですが、たとえば猪口邦子・衆院議員のようなネオコン・ネオリベラルの女性が「フリーターは待ち組」などといって、弱者をこけにするようなことも不毛です。
「日本はやりなおしがきかない」といわれていたが、一昔前は実は、たとえば、中小企業に勤める人でも、正社員のまま技術を生かして会社を移ったりしていました。あるいは、起業率も昔のほうが高かった。新自由主義政策の下、中曽根政府以降、とくに小渕政府以降、階層格差が拡大してその流動性が低下していると思います。
これからは「やりなおしがきく」社会、そして、生まれや生い立ちにとらわれない社会をつくることです。言い換えれば以下の日本国憲法の条文を完全実施することです。それが新しい政治です。
日本国憲法(一部略)
第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

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by hiroseto2004
| 2007-10-25 12:56
| 新しい政治をめざして
|
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