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庶民派知事で何があっても心配いらない広島を ヒロシマ庶民革命


by hiroseto2004

東京大空襲語られなかった33枚

「シリーズ激動の昭和3月10日東京大空襲語られなかった33枚の真実」が放送されました。

警視総監の特命で空襲の記録写真を撮った石川光陽カメラマンを主人公にした、ドキュメントです。

1944年、サイパンやテニアンが陥落。東京はアメリカのB29の射程圏に入ります。

最初の司令官のハンセル准将は無差別爆撃を避けようとしていた。

なぜならアメリカは日本の重慶爆撃を「非人道的」と非難していたからです。

しかし、アメリカの司令官がカーティス・ルメイ将軍に変わると無差別爆撃を開始した。

低空による無差別爆撃を指令したのです。操縦士たちの間でもかなり反発があったそうです。

さて、石川さんは最初の無差別爆撃である有楽町の空襲被害現場を撮影しようとすると憲兵に暴行されたりしました。

その頃、アメリカは、大掛かりな実験をしていた。アメリカ軍の恐ろしさを思い知りました。

まず、日本家屋を実際に作り燃焼実験をした。

さらに関東大震災を徹底的に研究し、火が広がりそうな場所を狙ったのです。

また、焼夷弾開発ではスタンダードオイルが大変儲かったそうです。

当時の実験場を案内したアメリカ軍の広報官はたしかに「大量破壊兵器」と焼夷弾を表現しました。

東京大空襲の朝、現場を取ろうという、石川さんをまた、憲兵が脅かしますが石川さんは「邪魔するな」と一喝します。

アメリカ軍の行為は、まさに残虐で許し難い。

しかし大日本帝国軍というものも自己保身のため、国民を犠牲にしていったことがよくわかります。軍は死体を「その他」とまとめてしまった。

がその一つ一つに人生があったのに・・

石川さんはその後も写真を撮り続けた。しかし戦時中は公表されなかった。

敗戦の後は、今度はアメリカが空襲記録を隠そうとした。残虐行為を知られないために。(これは広島、長崎も一緒)。

アメリカは石川さんの上司に圧力を掛けて写真を出させようとした。

そこで上司は写真は警察のものではなく、石川さんが勝手に撮ったことにした。

アメリカ軍に呼び出しを食らったがそれでも渡さなかった。

石川さんは地中にネガを埋めた。

石川さんは1989年、八十五歳まで生きました。

今、広島、長崎、沖縄はそれなりには語られたが、東京大空襲にはそのための慰霊施設がないのです。

関東大震災の犠牲者の慰霊堂に間借りさせてもらっているだけである。

一方、カーティス・ルメイ将軍は勲章を日本政府から1964年にもらいます。

かつて国民を犠牲にした日本政府から、日本国民を焼き殺した総大将に外国の元首にしか送られない、勲一等旭日大章が送られてしまいました。

航空自衛隊創設に貢献したということで・・

しかし、ようやく東京大空襲の被害者は裁判闘争に立ち上がっています。
生存者たちも地獄だった。自分の卒業式ために家族が集まり自分だけが家族で生き残ってしまったひともいます。プールに飛び込んで、まとわりつく他人をどんどん振り払いなんとか助かった人もいます。

被爆者と一般戦災者の間を分断しようと政府はしてきました。

もっといえば軍人には手厚いが民間人の被害者には冷たい。

まさに国策の誤りで国民に迷惑をかけたのに。

しかし、もうそうはさせない。

◇  ◇  ◇

なお、10日、東京大空襲被害者たちの第二次提訴が東京地裁に行われました。


東京大空襲犠牲者遺族会
http://www.geocities.jp/jisedainitakusu/



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by hiroseto2004 | 2008-03-11 08:05 | 反核・平和 | Trackback