イラク戦争開戦5周年 「心の再建を」高遠菜穂子さん、広島で語る
2008年 03月 20日
「イラク戦争開戦5年、イラクに平和を!3.20ヒロシマ集会」(広島県平和運動センター、広島県原水禁、憲法を守る県民会議主催)が20日午後、広島市中区の原爆資料館地下でありました。
12時15分から、広島県内の労働組合員ら170人が、原爆ドーム前での戦争に抗議する座り込みを行いました。
その直前、共産党系市民団体や全労連系労働組合の方々らでつくる「平和と憲法を守る広島共同センター」の方々も、11時半から集会を行い、12時にはピースウォークに出発しました。社民党や民主党の支持者が比較的多いこちらの座り込みの準備をしていた私たちに、共産党の方がにこやかに挨拶に見えられ、「先に行きます。頑張ってください」と声をかけていかれました。
座り込み終了後、原爆資料館に移動し、イラクへの人道支援で活躍する高遠菜穂子さん(三番目の写真)にお話に耳を傾けました。
高遠さんにはイラクの実情と彼女が取り組んでいるイラク支援についてお話いただきました。
以下は彼女のお話の概要です。
高遠さんは、イラク戦争開戦後も、バグダッドのストリートチルドレンの支援に奔走していました。2004年4月に、イラクで拘束されました。その後はイラクには直接いける状態ではなくなりました。しかし、ヨルダンに二ヶ月に一回は行き、イラクにいるメンバーと連絡を取りながら、支援を行っています。
高遠さんが拘束されたのは、2004年4月ですが、そのときから、イラク西部のファルージャへのアメリカ軍の攻撃は激化していました。11月には攻撃がさらに激しくなりました。そのときに撮られた生々しい遺体の映像に、会の参加者は息を呑みました。
また、フセイン政権が倒れた後、国境警備がなくなったため、地続きの国境から過激派が入り込み放題になりました。このために、イラクは、事実上、世界中のいろいろな武装勢力が覇を争う土俵になってしまいました。
2005年1月、国民議会選挙が行われました。アメリカなどは「民主化が進んだ」と言っていますが、実際には、分断が進みました。
イラクはスンニ派とシーア派に分かれて争っているというイメージがあります。しかし、戦争までは、家族の中でスンニ派もいればシーア派もいる。キリスト教徒もいればクルド人もいる、という按配で、共存が実現していたのです。
ところが、治安が悪い状態で強引に選挙を強行したために、スンニ派は選挙にいけなかった。投票に行こうとして殺された人もいます。だから、スンニ派政党はボイコットしたのです。
そして、2005年5月にアメリカの傀儡政権が発足しました。しかし、そのとき、内務大臣には、シーア派過激派のリーダーが就任し、シーア派の過激派をイランから呼び寄せ、警察官にしたのです。
そして、スンニ派を警官に採用されたシーア派過激派が殺害していきました。
かくて、イラク人はバラバラになっていきました。シーア派の過激派に脅されたスンニ派の人は、スンニ派の過激派に頼らざるを得ない。逆も然りです。
北部のクルド人地区では、ずっと治安は良かったが、最近ではトルコ(アメリカの同盟国)の越境攻撃もあり、反米感情がにわかに高まるなど、情勢は流動的です。
また、西部の「激戦地」ラマディでは、治安が改善し、アメリカが復興のシンボルとしてビルの建設などを進めています。ブッシュ大統領は、「アメリカ軍の増派の成果」としていますが、実際は違うそうです。
現地の部族長たちが、アメリカとも交渉し、自主的に連合を組んで、治安の改善に取り組んだから、というのが実態だそうです。
高遠さんは、「あくまでこれは一側面」と断りながらも「アメリカ側の情報だけではなくイラク側の情報も伝えたい」と結びました。
彼女は、現在は、「イラク再建プロジェクト」を、イラクの現地のカシームさんと二人三脚で行っています。
カシームさんは、サダム政権の共和国防衛隊の兵士でした。仲間の戦死を目の当たりにしました。高遠さんとカシームさんは、バグダッドでたまたまであったが、当初は意見は全然すれ違っていたそうです。非暴力での再建を説く高遠さんに対して、カシームさんはアメリカへの怒りに燃えていたからです。しかし、高遠さんが、生活再建で実績を挙げるのをみて、だんだん考え方が変わってきたのです。
高遠さん自身は、ヨルダンから指揮をとっています。しかし、イラク国内では、とくにファルージャでは、学校の再建で雇用を85人分創出するなどしています。
子どもを殺され、過激派に参加していた人も学校の再建に参加し「自分の子どもはもういないが、他にこんなにこどもたちがいる。子どもたちのために仕事をしたい。また、仕事があったら呼んで欲しい」といい、武装勢力から足を洗ったそうです。
「怒りの渦を脱し、心の再建を」と高遠さんは呼びかけています。拘束されたときも、そのことを、粘り強く、英語が話せる武装勢力のひとりに話したそうです。
もちろん、困難もあります。高遠さんが見せてくれたビデオで、カシームさんは、「占領下で、軍事と、人道援助がごちゃ混ぜにされて受け取られている」という事態を訴えていました。
高遠さんは、最後に、イラクホープネットのホームページを紹介し、非暴力による支援活動への協力を呼びかけました。
その後、米兵による相次ぐ暴行事件に抗議する特別決議、米軍と自衛隊のイラクからの撤退を求める集会アピールを採択し、集会を終えました。
高遠菜穂子さんブログ
http://iraqhope.exblog.jp
イラクホープネット
http://iraq-hope.net/
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