ヒロシマ報告・・8月5日(4 )
2008年 08月 05日



8月5日午後は、広島市内各地で「ひろば」が開催されました。
広島市中区県民文化センターでは「女性の広場・・ヒロシマを繰り返さないために、米軍再編、原子力空母母港化を許さない」がありました。
林泰子(のぶこ)さんが、挨拶。
「広島では、学力向上が優先され、平和学習がおろそかになっている。しかし、ラジオで「我が子にかつて学校で習ったことを教えている」というお母さんの声を聞いた。状況は厳しいが、それぞれのところでやれることをがんばろう」と呼びかけました。
森田節子さんが、被爆証言。森田さんは、県立第二女学校の生徒です。
もちろん、動員にかり出されました。森田さんたちのクラスは、前日までは、今の袋町で作業がありました。しかし6日だけ東練兵場(広島市東区)にいたので助かりました。
被爆時、光った瞬間、はっとおもうまもなくとばされました。
立ち上がると、みんなボロボロでした。みたら震えた、ということ。
東照宮に上がり、救護を受けようとしたが、見下ろすと、人がたくさんいます。仕方がないので広島駅にいてもどうしようもない。宇品線の上を歩いていきました。夢のような状態で進みました。鉄橋をわたりましたが怖くなかった。
トラックは、通ったが道をつくるために死体や動けない人を動かすだけでした。
学校はつぶれていました。女専にいくと、友だちはひとりもいなかったのです。家にかえると母も血だらけでした。近所の人の助けで森田さんを手当てをしました。
その日から高熱でうなされました。両親の必死の看病で助かりました。
3ヶ月くらいしてなんとか学校にいくようになりました。
高校時代は、男子の中に放り込まれました。不登校におちいり、寄宿舎のある女子高に転校するなど苦労したそうです。
ついで、ピース・デポの中村桂子さんが、「ヒロシマをくりかえさないために、米軍再編成、原子力空母母港化を許さない」というタイトルで問題提起しました。
その上で
「私たちは被爆者と同じことはできない。しかしヒロシマという場所からどうすればいいか、微力ながら伝えたい」と前置き。
「東京湾に原発ができていつ大事故になるかもしれない。ヒバクシャがまたでてしまう」
「軍事力で平和をつくれるという幻想がある。目の前に迫っている危機にとりくまなければならない。」
としました。

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by hiroseto2004
| 2008-08-05 15:00
| 反核・平和
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