ムシャラフ大統領が辞任・・わけがわからなくなるのか?パキスタン情勢
2008年 08月 18日
パキスタンのムシャラフ大統領が辞任しました。
すでに、ムシャラフ大統領の与党は、総選挙で惨敗していました。最高裁判所裁判官を勝手に免官するなどの専横には批判が強まっていました。
そもそもが、ムシャラフ大統領は参謀総長だった1999年のクーデターで政権を掌握しました。
2001年の9.11テロ以降は、アメリカの対テロ戦争に協力。一方で、国内に根強いイスラム過激派への配慮も迫られていました。要は、両者の間でバランスに苦慮していたのです。
完全なアメリカへの協力というわけではなく、パキスタンは、イラクなどで「活躍」するイスラム過激派を大量生産する拠点でもあった。またタリバンなどは、はっきりいえば、アフガンとパキスタンの山岳にまたがって勢力を持っています。大体、もともと、タリバンをソ連への対抗上育てたのはアメリカでした。ですから、はっきりいって「わけがわからない」状態です。
先般の総選挙ではブット元首相が暗殺されるなど混乱。結局、ブット派のPPP(パキスタン人民党)を含む、反ムシャラフ派が圧勝。うまく連合政権を作ろうとしたムシャラフ大統領の狙いも頓挫していました。
非常に危ういバランスの上に成り立っていたムシャラフ政権ですが、とうとう「土俵を割った」形です。
独裁者の退場といえばめでたいことと、基本的には言えるのですが、そうとばかりいえない事情もある。イスラム過激派とアメリカの間でバランスを取れるような人がほかにいるのかどうか、という問題です。
場合によっては核兵器が、イスラム過激派の手に落ちるのではないか、という危惧もあります。
(国際部)
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すでに、ムシャラフ大統領の与党は、総選挙で惨敗していました。最高裁判所裁判官を勝手に免官するなどの専横には批判が強まっていました。
そもそもが、ムシャラフ大統領は参謀総長だった1999年のクーデターで政権を掌握しました。
2001年の9.11テロ以降は、アメリカの対テロ戦争に協力。一方で、国内に根強いイスラム過激派への配慮も迫られていました。要は、両者の間でバランスに苦慮していたのです。
完全なアメリカへの協力というわけではなく、パキスタンは、イラクなどで「活躍」するイスラム過激派を大量生産する拠点でもあった。またタリバンなどは、はっきりいえば、アフガンとパキスタンの山岳にまたがって勢力を持っています。大体、もともと、タリバンをソ連への対抗上育てたのはアメリカでした。ですから、はっきりいって「わけがわからない」状態です。
先般の総選挙ではブット元首相が暗殺されるなど混乱。結局、ブット派のPPP(パキスタン人民党)を含む、反ムシャラフ派が圧勝。うまく連合政権を作ろうとしたムシャラフ大統領の狙いも頓挫していました。
非常に危ういバランスの上に成り立っていたムシャラフ政権ですが、とうとう「土俵を割った」形です。
独裁者の退場といえばめでたいことと、基本的には言えるのですが、そうとばかりいえない事情もある。イスラム過激派とアメリカの間でバランスを取れるような人がほかにいるのかどうか、という問題です。
場合によっては核兵器が、イスラム過激派の手に落ちるのではないか、という危惧もあります。
(国際部)
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by hiroseto2004
| 2008-08-18 19:28
| 国際情勢
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