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by hiroseto2004

ロバート・カトナー「新ケインズ主義の時代 国際経済システムの再構築」を読んで

ロバート・カトナー「新ケインズ主義の時代 国際経済システムの再構築」(日本経済新聞社・佐和隆光訳)を読んで

以下の・ロバート・カトナー「新ケインズ主義の時代 国際経済システムの再構築」(日本経済新聞社・佐和隆光訳)は、冷戦崩壊後しばらくたった、1993年9月の発刊ですが、今こそ再読をお勧めしたい本です。

カトナーは、冷静が崩壊した今こそ、アメリカは覇権国としての地位から解放された。従って、レッセ・フェ-ルを放棄すべきである。そして、それに変わり、ケインズがブレトン・ウッズ会議で提唱していたような新しい国際経済システムを構築すべきだ、と要求しています。

また、IMFについても痛烈に批判しています。そして、IMFに指導を受けていなかったアジア諸国は、健全に発展したと指摘しています。しかし、残念ながら、その4年後、アジア通貨危機で韓国などはIMFの指導を受けたが塗炭の苦しみにあえいでいくことになります。

このように慧眼だった、カトナーの主張ですが、当時の先進国の指導者たちは、資本主義の勝利に酔いしれ、このような主張には耳を貸しませんでした。

そして、それによる矛盾が今噴出している状態なのではないか?いまこそ、再読をお勧めしたい本です。

http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E2%80%95%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%86%8D%E6%A7%8B%E7%AF%89-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/453214230X

以下は1996年に主幹が書き留めた感想を中心にした「平和と国際経済システム」という文章です。

・・・・・

貿易、通貨などの、国際経済システムおよびそれが円滑に機能するかどうかは、人類の歴史上、戦争・平和の問題となどと、大きく関わってきたといえる。現在も大きな戦争こそ起きてはいないが、環境問題、南北問題など地球上の人類の存続に脅威となる問題には、国際経済システムおよびその良否が密接に関わってきたと言っても過言ではない。本稿ではそうした国際経済システムの歴史と現状の分析をつうじて、その「平和」問題への関わりを明らかにするとともに、今後の国際経済システムの抱える課題を探っていきたい。

19世紀~WWI(パックス=ブリタニカ)

金本位制度が1870年代に完成した。それが持つ自動調節機能により、経済政策は必然的に自由放任(金融政策)となった。また、貿易、投資もイギリスが圧倒的競争力背景に関税引き下げ(例:1846年穀物法廃止)、貿易の急激な伸びは世界経済の成長の原動力となった。ただし、1880年代から、ドイツ、アメリカは、幼稚産業保護のため、関税率上げて自国産業保護を図った。
金本位制の自動調節機能とは以下のようなものだ。

国際収支赤字(公的決済収支(IMF方式)赤字)ーー民間部門は(為銀を仲介として)中央銀行に円を支払って金を受けとり、赤字分を外国に支払うーー金流出=通貨供給量減少ーーー金利上昇=投資停滞ーー物価下落ーー日本製品競争力増大ーー輸出増大、輸入減少:また、この間高金利ーー資本流入ーー資本収支黒字増大ーーー国際収支(=資本収支と経常収支の合計)改善国際収支黒字ーーー金が日銀に流入、円(通貨供給増大)ーー金利低下、設備投資増加ーー物価上昇、競争力低下輸入増大、輸出減少、経常収支悪化ーー:この間、低金利ーー資本流出、資本収支赤字悪化ーー国際収支悪化ーー均衡へ。

金本位制のもとでの国内金融政策と国内均衡金本位制では、上記のような、国際収支自動調節機能が、存在。しかし、逆にそのことは、国際収支赤字ーー自動的に金融引き締め、黒字ーー自動的に金融緩和ーとなり、中央銀行の金融政策独立性は、ない。

しかし、金本位制下、物価、賃金が硬直的であるため深刻な不況あり得る。非自発的失業あるのに賃金下がらない時:国際収支赤字ーーー自動金融引き締めーー物価下落となっているが、賃金下がらずーー労働需要減少ー失業増大ーー消費低迷や、金融引き締めによるデフレ効果で、債務の実質負担増大ーーコストカット努力ーー失業増大ーー消費低迷ーー深刻な不況に金融緩和必要だがーー金本位制では通貨供給増やしても効果がない(金が日銀からその分流出するだけ)

結局、国際収支の均衡のため、国内均衡(完全雇用、物価安定犠牲にせねばならなかった。

こうした、欠点はイギリスが証券投資などを通じ資本輸出、流動性を供給(パックス=ブリタニカのもと、その絶大な信用背景に)したため、大きな問題にならなかった。

しかし、産業面で1880年代以降、ドイツ、アメリカ(南北戦争後、広大な国内市場背景に発展)の追い上げが進んだ。資本主義の発展にともない、独占資本の成立、余剰資本投下地を求め植民地争奪が、激化した。

こうしてドイツとイギリス、フランスの対立を中心に第一次世界大戦が発生した。大戦中は、軍事費捻出のため金本位制停止となった。


第一次大戦から第二次大戦までーー国際公共財の空白と混乱ーー
金本位制度が復活(1919米、1925英、1930日(関東大震災、金融恐 慌で遅れる。)した。

イギリスは、大戦後、多くの資産を失い、代わってアメリカが債権国の地位にの しあがった。いまや、資本のながれはアメリカからドイツなど欧州へ(例:ドー ズ案、ヤング案)と変化した。

ただ、日、英は旧平価で金本位制復帰し、戦前と比べ物価上昇急であったため国際競争力低下し、国際収支赤字、金流出となった。 一方、ドイツは戦後の苛酷な賠償金とハイパーインフレーションに悩んでいた。シュトレーゼマンの登場、アメリカの支援(ドーズ案、ヤング案)でなんとか一息ついた。

ここへ、一次産品供給過剰、などを背景にNY株価暴落、アメリカ大恐慌が襲った。 各国は、、為替引き下げ競争に走り、さらに関税率引き上げなどを中心とする近隣窮乏化政策をとり国際対立は激化した。国内の総需要を国内産業に振り向けるブロック化の時代である。

アメリカは、ニューディール政策=一国ケインズ主義をとり、スムート=ホーレイ法(1930)で、輸入を制限した。

イギリスは、1931年金本位制離脱、1932年、オタワ協定によりイギリス連邦以外に高関税を課し、植民地を犠牲にした景気回復に走った。

ドイツは、アメリカが資金引き上げたため恐慌深刻化し、ナチスの台頭した。債務軽減も時すでに遅く、ドイツはアウタルキー形成、対外侵略へと向かっていった。

日本は,金解禁による不況と大恐慌でダブルパンチを受け、満州侵略、為替レート引き下げ(ソーシャル=ダンピング)による近隣窮乏化政策をとった。

こうして、国際対立激化は激化し、第二次世界大戦となった。

こうなった原因は、(日独の侵略を免罪するものでは決してないが)

1)アメリカの基軸国、国際公共財提供者としての自覚不足。(たしかに、ドイツ支援は行なったが、大恐慌が始まると、引き上げ。また、政治面でも、国際連盟提唱者でありながら、不参加とちぐはぐな態度をとった。)

2)それと関連して、政策協調システムや、国際的な通貨・貿易機関の不在

3)もともとイギリスなどの金本位制復帰に無理があった。

などが挙げられよう。


パックス=アメリカーナの時代--アメリカによる国際公共財提供--

GATT・IMF体制の成立と覇権国アメリカ

第二次世界大戦後、アメリカが、覇権国として、国際通貨や、国際秩序などの国際公共財を提供する、パックス=アメリカーナの時代が到来した。

特に、冷戦の勃発により、西側の団結のため、アメリカが率先して、国際流動性や、自国の市場を提供し、国際経済システムが、結果的に円滑に機能することになった。


ブレトン=ウッズ体制の発足

第二次世界大戦終了直前、アメリカのブレトン=ウッズで戦後の国際経済体制のアウト=ライン決める会議が、行なわれた。

これは、戦前、管理された国際経済体制がなかったため、却って、世界経済ブロック化を招いた苦い経験に基づいていた。通貨体制では、二案が出された。

イギリス:ケインズ案ーー世界中銀的な国際清算同盟構想(人工通貨バンコールを発行 世界経済の円滑化を図る)背景に、「通貨の暴力」が二度の大戦を起こし たことへの反省から、国際経済への参加への権利証としての国際通貨構想 と考えられる。この他、黒字国に、景気拡大を義務づけるなど、協調した 国際経済体制を目指した。

アメリカ:ホワイト案:いまのIMFとして採用された。イギリスと比べればマネタリス ト的。

IMF体制の軸は以下のようなものである。

金=ドル本位制。ーー各国に通貨交換義務。(ドルと)

ーー米は1オンス=35ドルで金と交換義務。

ただ、IMF自体マネタリスト的だが、結局、冷戦勃発が背景にあるとはいえ、マーシャル=プランなどで、でアメリカが国際流動性を供給することになり、欧州復興に貢献した。(ケインズの正しさ証明した形である。)

GATT:自由貿易を自由、無差別、多角的に推進。なお、ITO(国際貿易機関)憲章もできたが、各国の反発も強く、結局アメリカ議会の反対で流産した。

一方、途上国はかやの外との批判も行なわれ、このことから、1970年、UNCTAD(国連貿易開発会議)で、途上国に対する一般特恵関税承認が、承認された。

実際にはかなり柔軟でルールと例外のモザイクであった。例えば、関税同盟は、、無差別からの逸脱だが、貿易創出効果>貿易転換効果なら容認し、。また、様々な義務離脱承認(ウエーバー条項)し、このことで、国際的法的義務と国益を調整、かなり、成功した要因になった。

また、戦後の貿易は産業内貿易中心であったことも、保護主義も抑えた。

何より、アメリカが、冷戦のなか、西側の団結を維持するため、国内消費市場を開放したのが、大きかった。

こうした、ブレトン=ウッズ体制=パックス・アメリカーナのもとしばらくは、安定した通貨・貿易体制の下、貿易や投資が円滑に機能、高度成長を続ける。もちろん、南北問題、環境問題の発生もその裏側にあったことは忘れてはならない。


途上国のブレトン=ウッズ体制への異議

そして、実際、途上国側は、次第に、団結して、国際経済体制、特に自由貿易体制を修正するよう求めた。なぜなら、途上国の輸出する一次産品は、需要の所得弾力性が弱く、故に、世界経済の成長程には、途上国は成長できなかった。(1960年代、先進国の平均成長率5.2%,途上国のそれは、4.9%だった。)また、現実に、一次産品の流通は、先進国の多国籍企業が担っていた。さらに、セーフガードも、実際には、途上国からの農産物、軽工業品に適用され、途上国に不利な状況であった

このため、1964年、国連貿易開発会議(UNCTAD)が、開催され、自由・無差別原則への修正要求、例えば、特恵関税や、一次産品の市場原理によらぬ人為的管理などが要求された。

また、1970年代には、「資源ナショナリズム」も高まった。これらの、運動は、 GATTの第四部の追加(途上国への相互主義免除)、1970年のUNCTADでの特恵関税承認、一次産品の一時的値上がりなどの実を挙げ、1974年の「新国際経済秩序宣言」で最高潮に達した。

しかし、1970年代以降、それは急速に影響力を失った。理由は、1)先進国が不況で、譲歩の余裕をなくしたこと、2)発展途上国も、オイルショックによる、産油国富裕化、アジアNIESの成功と、産油国以外の途上国、累積債務問題に陥った、中南米などに、階層分化、大同団結の基盤が失われたことだ。


ブレトン=ウッズ体制の動揺と崩壊


さて、ヨーロッパ経済も回復してくると、トリフィンの「ディレンマ」が発生ーーー世界に準備通貨供給し、国際経済体制安定化のためアメリカの国際収支は赤字の必要ーーしかし、赤字だとドルの信用が揺らぐ。

また、対外不均衡時の調整は為替レート調整が認められていた。が、資本取り引き制限、財政金融政策などの明確な規定がない。

その後、1960年代に入り、アメリカの金融政策が拡大的であったこともあり、国際通貨体制動揺した。1968年二重価格制度においこまれ、、赤字で不況のフラン、ポンドの切り下げが、市場の売り投機にさらされて行なわれた。

こうしたなか、1970年、人工通貨として、SDR(特別引出し権)創設し、国際流動性の確保が図られた。なおもベトナム戦争などもありアメリカの国際収支赤字続き、日、独はインフレ輸入。(変動相場制ならインフレ分をドル安で調整できる。)

ドルの過剰とドルの信認回復せず、アメリカの金準備はついに100億ドルを割り込む寸前まで減少した。1971年、金ードル交換停止が宣言された(ニクソン=ショック)。これは事実上の、「ドル本位制度」への移行ともいえる。これ以降、アメリカは自国通貨建てで借り入れ、インフレにより、債務を目減りさせるという、変動相場制に安住した金融節度喪失状態に陥ったともいえる。

1971年12月ーースミソニアン合意ーードル8%引き下げ

1972年2月主要国は変動相場制移行

1976年:ジャマイカ会議ーーブレトン=ウッズ体制正式終了。


ブレトン=ウッズ体制後の国際経済(体制)

通貨制度においては、世界共通の価値尺度なく、為替の激しい変動で貿易・投資に悪影響が、懸念される。

変動相場制の利点=としては、:1)各国が独自の金融政策実行可能。2)対外 不均衡を国内物価の変動によらず、為替レート変動で調整可能。3)当局の介 入なくとも、円安のときには、円買い投機、円高なら、円売り投機をする人が いるので、勝手に相場が調整されると、フリードマンは考えた。また、自国財への需要急増(政府の財政支出拡大もそうだが)を、円高で調整できる。 などが、挙げられる。

変動相場制の問題点:1)市場レート、各国のファンダメンタルズと違った 動きーーバブル的投機に曝され、投資、貿易に悪影響。 2)変動相場制のメリット1)~2)に安住、政府が赤字垂れ流しの危険。 3)金融面でのショックに弱い(金融政策有効の裏返し)

固定相場制のメリット:1)過度の相場の変動なしーー貿易・投資に便利 2)当局に安易に拡大的金融政策や赤字垂れ流しなどをさせない。

デメリット: 1)財、労働力、資本市場の統合不十分ーーもし、不況なら 統合十分なら、労働者も好況の国へいって働けるが、不十分だと そうもいかない。かといって金融政策無効だ。3)インフレが輸入されてし まう (日独もこれに嫌気がさして、ブレトン=ウッズ体制崩壊容認した。

EUについては、現在、通貨統合へ(99年の予定)向かっている。欧州は生産要素市統合十分なので、「最適通貨圏」といえるのかもしれない。、しかし、実施には経済の安定(財政赤字、インフレ率など)の条件満たし、マクロ政策の統合を実施せねばならない。このため、前途は危うぶむ声も多い。

一方、依然、アメリカドルは、基軸通貨であり、その動向に、途上国を始め、世界は振り回された。アメリカが、その特権を放さないことは、現代世界にとって、おおきな問題を引き起こした。


IMF体制の不公平性ーーアメリカと累積債務危機ーー
現行IMF体制の不平等さの象徴が、1980年代の途上国の債務危機である。

特に、中南米における債務危機の背景は、1)これらの諸国自体が、「輸入代替型」工業化をとり、それが、1960年代までは、順調であったが、規模の経済がいかせず、産業も非効率となったこと、2)工業化のための外貨獲得は、やはり、一次産品、対外借り入れに大きく依存し、また、アメリカの銀行が、国内の金融自由化に伴う利益減少を補うため、中南米に大きく貸し込んみ、この結果、中南米は借金依存の度合を深めた、ことなどがある

そこへ、1980年代の世界不況、また、レーガノミクスによる高金利、不自然なドル高が襲った。

1980年代始めのレーガノミックスでは、大幅減税と軍拡を、ファイナンスするため、高金利政策をとったことは、債務を抱える途上国に大きな打撃を与え、債務危機の一因となったのである。

さて、こうしたなか、アメリカは、自らは、ネットで巨額の債務国に転落したが、中南米を始め、途上国には「借金取立人」としてふるまった。

ここで、アメリカの影響力の強いIMFが、とる政策は、第二次世界大戦後の欧州にとった、流動性供給よりか、借金のとりたてに比重がおかれた。

そして、いつもどおり、為替切り下げ、緊縮財政、自由放任の、ワンパターンな「安定化政策」を、債務国に呑ませた。

だが、これには、大きな問題がある。それら、途上国の主要輸出品たる、一次産品は需要の価格弾力性が低いため、自国通貨の切り下げは、交易条件を悪化させただけで、収入の増加に思ったほど結びつかなかった。

しかも、工業化を行なう過程で必要な資本財は、価格が上昇するから、輸入インフレを招く。こうして、多くの途上国が、過去何度も、成長をIMFに阻害された。

これに対する反論は、債務を免除してしまえば「モラル=ハザード」を引き起こすというものである。

だが、現実の世界の歴史とは、債務軽減、免除の歴史といえる。

そうすることで、健全な成長を遂げられた国は多い。例えば、日本が、アメリカに苛酷な賠償金を払わされたら、今の日本の発展はあったであろうか?

それに、銀行自身も、ハイリスクを覚悟で、高金利融資を、途上国に行なったわけで、そのリスク込みで、高収益を上げていたわけである。

それを、政治力を使って取り立てようというのは、自由放任,自己責任といいながら、自己矛盾である。

さらに、アメリカ自身は、基軸通貨国としての地位を乱用し、浪費を続ける一方、日本などに対し、80年代、米国債の買い支えなど、「体制維持金融」を行なわせ、ドルの延命に協力していた。

同じ債務国でありながら、アメリカは、IMFの監督下にはおかれなかったのである。結局、IMF体制とは、アメリカが節度を失った以上、アメリカの都合の良いように、主権を返上させる機関に成り下がった。

また、IMFが融資することは、「お墨付き」を与え、各国の援助を引き出す、「呼び水効果」があるという。しかし、それでも、アメリカの都合に、援助が左右されるという点への反論にはならない。

また、東欧・ロシアの市場経済への移行においてもIMFは、マクロでの「安定化」政策=財政緊縮、自由放任、為替切り下げなどの、ショック療法と、構造改革、すなわち、市場経済の枠組たる、金融システム、社会保障、その他の整備などの、二本柱を、融資の条件とした。

しかし、構造改革は、長期的に進行するものなので、「安定化」とタイムラグがおき、大きな混乱を生じた。市場経済化への過程で、均質なメニューを各国の条件を無視して行なうには無理があった。

自由放任を、呑ませることで、得られるものは、途上国を、世界資本市場に結び付けることであった、といえよう。

いっぽう、幸運なのは、アジアNIESである。これらの国は、輸出志向型工業化を進めたということも大きいが、1)土地改革が行なわれ、中南米より、所得格差が小さいこと、2)官民協調で輸出を優遇、3)外資が国内を支配するのを免れたことで、「プラット=フォーム」経済化を免れた。そして、何より、中南米と同じく、政府による産業政策を行ないながら、4)自由放任主義のIMF、世界銀行と衝突することがなかったことである。


現在、国際資本移動の大半が直接金融、それも短期の証券投資である。これは、累積債務にはならない反面、投機が、国の通貨を大きく不安定にする。メキシコ通貨危機はその好例である。これを、経済学では、「市場の監視」が強まったという。

しかし、実際に「市場の監視」は、途上国に集中、一方のアメリカは、やはり、協調で守られている。ここでも手を縛られるのは結局途上国側である。

アジア諸国はしかし、外資の大半が直接投資のため、メキシコのような大きな混乱は起きなかった。


冷戦崩壊と国際経済体制

日本、ドイツの発展、ついでアジアNIESの発展に伴い、これら諸国と、アメリカなどの間に、貿易摩擦がおきた。アンチダンピング、輸出自主規制など二国間主義、一方主義(スーパー301条)の横行した。「強いアメリカ」を狙ったレーガノミクスも、結局、「双子の赤字そ」、米国自身の純債務国転落を招き、そして、プラザ合意以降の、ドル暴落を避けつつのドル安誘導も、米国の競争力回復には至らなかった。

そして、1980年代末、冷戦が崩壊した。

このことは、まず、市場経済を全世界に広めることとなった。

いっぽうで、イデオロギー対立よりも、経済・地域指向が強まった。それは、地域主義の台頭へとつながっていく。

そして、経済力が低下し、すでに、冷戦末期から自国利益優先の方向をとりはじめていたアメリカもその例外ではなく、今や、敵の消失したいま、国際公共財を維持するインセンティヴも薄れた。そして、アメリカではクリントンが政権につくと、「戦略的貿易政策」は、とみに強まった。そして、APEC、NAFTAの地域機構、そして、二国間交渉なども利用した、「きめ細かな国益の追求」を指向している。

こうしたなかGATTのUR(ウルグアイラウンド)で包括的な貿易機関WTOが発足(1995年)した。 ここでは、アメリカが競争力をもつ農産物の自由化や、サーヴィス貿易、知的所有研などについてのルールがとりきめられた。

WTOは、実際には、二国間交渉の切札として利用(例:日米自動車交渉での日本側)の側面も強い。

一方で冷戦後とみに台頭してきた地域主義(EU、NAFTA,APEC)のWTOとの整合性は懸念されるが、実際は、経済的な交流増大から現状追認として起きた、APEC、政治要素が大きいEU、アメリカの影響が強いNAFTAを同列に論じるのは、無理があろう。

また、自由貿易を絶対視するのはいかがなものか、疑問が残る。あとで述べるが、完全な自由放任は世界政府ができるか、全ての経済政策が、統一されるまで事実上不可能であろう。




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