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エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

2020年 08月 05日 ( 24 )

無罪を確定してほしい。
あれも食うな、これも食うなでは、QOLが低下してしまいますからね。

ドーナツ無罪判決に介護関係者らが上告しないよう申し入れ
2020年8月5日 15時42分

長野県の特別養護老人ホームで、ドーナツを食べた入所者が死亡し、業務上過失致死の罪に問われた准看護師に2審で無罪判決が言い渡されたことについて、医療や介護に携わる関係者が、検察に対し上告せずに無罪を確定させるよう申し入れました。

長野県安曇野市の特別養護老人ホームに勤める准看護師の60歳の女性は、おやつの確認を怠ってドーナツを食べた85歳の女性を死亡させたとして業務上過失致死の罪で起訴され、1審では罰金20万円の有罪判決を言い渡されましたが先月28日、2審の東京高等裁判所で1審の判決が取り消され無罪を言い渡されました。

これについて医療や介護の関係者でつくるグループは、東京高等検察庁に上告を断念するよう申し入れ5日にオンライン上で会見を開きました。

申し入れでは「全国の介護関係者が現場の萎縮を懸念していたが、2審の判決は懸念を払拭(ふっしょく)し現場できちんと判断して仕事をしていれば刑事責任に問われることはないことを示した。画期的な判決で、介護の質を担保し高齢者の生活の質の向上に資する」として、上告を断念するよう求めています。

会見で、日本赤十字看護大学の川嶋みどり名誉教授は「現場では看護師などが、自分も罪に問われるのではないかとおそれていたが、介護の未来に安心と希望を与えてくれた。無罪を確定させてほしい」と話しました。

by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:44 | 介護・福祉・医療 | Trackback

冷戦崩壊後最初の平和宣言であり、荒木市長最後の平和宣言。あのころは希望に満ちていましたね。しかし、それはとくに911テロ以降、暗転していきます。


平和宣言

あの日、一発の原子爆弾が、一瞬のうちに広島をこの世の地獄に陥れた。

無残にも、尊い人命が数知れず喪われ、辛うじて生き残った者も、放射能の恐怖に苛まれる日が続いている。

この45年の間、ヒロシマは、被爆の苦悩の中から、戦争の過ちを繰り返さないとの決意のもとに、世界恒久平和を願い、核兵器廃絶と戦争の否定を訴えて来た。今や、ヒロシマの悲願は人類の悲願である。

長かった不信と対立の歴史にも、漸く信頼と協調の兆しが見え始めた。

東西対立の象徴であったベルリンの壁が取り払われ、冷戦体制は終焉に向かい、新たな世界平和秩序が模索されており、人類は新しい歴史への一歩を踏み出した。

米ソ両首脳は、本年6月、戦略核兵器の実質的削減に合意するとともに、なお一層の核軍縮を目指す交渉の開始も取り決めた。また、化学兵器廃絶に向けての協定が調印され、通常戦力削減についても早期の達成が約定された。こうした、人類の運命が破滅から生存へと転じる軍縮の流れを、ヒロシマは、高く評価する。核保有国は世界の世論に応え、即刻、核実験の全面禁止に踏み切り、核兵器廃絶への道を急ぐべきであり、各国は全面完全軍縮への更なる努力を行うべきである。

日本政府は、緊張緩和の動向を踏まえ、日本国憲法の平和主義の理念に基づき、軍事費を抑制し、国是とする非核三原則の空洞化を阻止するための法制化を実現させ、率先してアジア・太平洋地域の非核化と軍縮に努めるとともに、世界の平和秩序を構築するため、積極的な外交政策を展開しなければならない。

本年3月、原爆ドーム保存工事が、国の内外から寄せられた多くの浄財と平和への熱い思いに支えられて、完成した。広島平和記念資料館の来館者は、初めて一年間に150万人を突破するに到った。核兵器廃絶を求める世界平和都市連帯推進計画に賛同する都市も50か国、287都市に達した。これらの事実は、強く平和を願う多くの人々の意志を示すものである。

本日は、ここ広島において、女性国際平和シンポジウムを開催し、平和の実現や核兵器廃絶のために、女性が果たすべき役割を討議する。

ヒロシマは、今後とも、原爆被害の実相を世界に知らせるとともに、核軍縮に向けての国際世論を高めるため、国際的な平和研究機関の設立を推進する。

ここに、ヒロシマは訴える。

核実験を即時全面的に禁止し、核兵器を廃絶することを。

米ソを始めとする核保有国は、40数年間にわたって強行した核実験の被害の全貌を明らかにするとともに、速やかに、環境や住民被害への対策を講じることを。

世界の指導者をはじめ、次代を担う青少年が広島を訪れ、被爆の実相を確認することを。

ヒロシマはまた、飢餓と貧困、人権抑圧と地域紛争、難民、地球環境破壊等のため、苦難に喘ぐ人々にも思いを致し、国際協力により、これらの問題が一日も早く解決されるよう切望してやまない。

本日、被爆45周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に、衷心より哀悼の誠を捧げるものである。ヒロシマは、日本政府が、原子爆弾被爆者実態調査の結果を生かし、国家補償の理念に立った画期的な被爆者援護対策を早急に確立するよう強く求める。また、朝鮮半島や米国等に在住する被爆者の援護が、積極的に推進されるよう心から念願するとともに、平和への決意を新たにするものである。

1990年(平成2年)8月6日

広島市長 荒木 武


by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:35 | 反核・平和 | Trackback

被爆60年。秋葉市長による「平和宣言」。秋葉さんは2020ビジョンを当時、すすめておられました。


平和宣言

被爆60周年の8月6日、30万を越える原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが幽明(ゆうめい)の界(さかい)を越え、あの日を振り返る慟哭(どうこく)の刻(とき)を迎えました。それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻(とき)でもあります。この決意は、全(すべ)ての戦争犠牲者や世界各地で今この刻(とき)を共にしている多くの人々の思いと重なり、地球を包むハーモニーとなりつつあります。

その主旋律は、「こんな思いを、他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならない」という被爆者の声であり、宗教や法律が揃(そろ)って説く「汝(なんじ)殺すなかれ」です。未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります。9年前の国際司法裁判所の勧告的意見はそのための大切な一歩です。また主権国家の意思として、この真理を永久に採用した日本国憲法は、21世紀の世界を導く道標(みちしるべ)です。

しかし、今年の5月に開かれた核不拡散条約再検討会議で明らかになったのは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮等の核保有国並びに核保有願望国が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。

これらの国々は「力は正義」を前提に、核兵器の保有を入会証とする「核クラブ」を結成し、マスコミを通して「核兵器が貴方(あなた)を守る」という偽りの呪(まじな)いを繰り返してきました。その結果、反論する手段を持たない多くの世界市民は「自分には何もできない」と信じさせられています。また、国連では、自らの我儘を通せる拒否権に恃(たの)んで、世界の大多数の声を封じ込めています。

この現実を変えるため、加盟都市が1080に増えた平和市長会議は現在、広島市で第6回総会を開き、一昨年採択した「核兵器廃絶のための緊急行動」を改訂しています。目標は、全米市長会議や欧州議会、核戦争防止国際医師の会等々、世界に広がる様々な組織やNGOそして多くの市民との協働の輪を広げるための、そしてまた、世界の市民が「地球の未来はあたかも自分一人の肩に懸かっているかのような」危機感を持って自らの責任に目覚め、新たな決意で核廃絶を目指して行動するための、具体的指針を作ることです。

まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。それは、ジュネーブでの軍縮会議、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。

さらに国連総会がこの特別委員会の勧告に従い、2020年までに核兵器の廃絶を実現するための具体的ステップを2010年までに策定するよう、期待します。

同時に私たちは、今日から来年の8月9日までの369日を「継承と目覚め、決意の年」と位置付け、世界の多くの国、NGOや大多数の市民と共に、世界中の多くの都市で核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開します。

日本政府は、こうした世界の都市の声を尊重し、第一委員会や総会の場で、多数決による核兵器廃絶実現のために力を尽くすべきです。重ねて日本政府には、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。

被爆60周年の今日、「過ちは繰返さない」と誓った私たちの責任を謙虚に再確認し、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧(ささ)げます。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

2005年(平成17年)8月6日


by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:31 | 反核・平和 | Trackback

1991年の平岡市長最初の平和宣言。はじめて日本の第二次世界大戦における「加害責任」に言及。


平和宣言

8月6日のきょうは、広島市民にとって悲しく、つらい日である。そして、平和への決意を新たにする日であり、世界の人びとに記憶し続けてほしい日である。

46年前のきょう、広島は一発の原子爆弾によって壊滅し、数知れぬ命が失われた。それは人類が初めて体験した核戦争であった。ヒロシマはその体験から、核戦争は人類の絶滅につながることを知り、苦しみや憎しみを乗り越えて、絶えず核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けてきた。

人類はきょうまで、かろうじて核戦争は回避してきたが、無謀な核実験の続行や原子力発電所の事故などで、放射線被害が世界の各地に拡がりつつある。もうこれ以上、ヒバクシャを増やしてはならない。

ヒロシマはいま、新たにチェルノブイリ原発事故の被害者らに医療面からの救援を始めたが、ヒバクシャはぼう大な数にのぼっている。ヒロシマは国際的な救援を世界に訴え、その先頭に立ちたいと思う。

先のイラクによるクェート侵攻は決して許されるべきことではない。しかし、湾岸戦争は、多くの死傷者や難民を続出させたうえに、地球の破滅を招きかねない環境破壊をもたらした。私たちは、武力によることなく紛争を解決する道を確立しなければならない。

日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人びとに、大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う。ことしは、太平洋戦争が始まって50年に当たる。私たちは、真珠湾攻撃から広島・長崎への原爆投下に至る、この戦争の惨禍を記憶し続けながら、世界の平和をあらためて考えたい。

平和とは単に戦争のない状態を言うのではない。私たちは、飢餓、貧困、暴力、人権抑圧、難民生活、地球環境破壊など、平和を脅かすあらゆる要因を取り除き、人間が安らかで豊かな生活のできる、平和の実現に努力したい。

世界は冷戦後の新世界秩序の模索を始めている。核軍縮にも大きな進展がみられた。平和への重い扉は少しずつ開き始めた。それを開けるのは私たち一人一人の英知と努力である。

ヒロシマは世界に訴える。

核実験を直ちに全面禁止し、核兵器を一日も早く廃絶しよう。

戦争の空しさと愚かさ、平和の尊さを自覚し、人類の幸せを実現しよう。

ヒロシマの訴えは人類生存への叫びにほかならない。世界の指導者は、この声に耳を傾けてほしい。

私たちは、国際協力のあり方を真剣に考え、世界平和に貢献しなければならない。日本国憲法の平和理念を遵守し、平和の尊さを教える教育を推進しなければならない。国家補償の精神に基づいた被爆者援護法を速やかに実現しなければならない。朝鮮半島や米国など海外在住の被爆者にも、援護の施策を講じなければならない。これらの実現のため、日本政府の一層の努力を求める。

きょう、被爆46周年の平和記念式典を迎え、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の意を表するとともに、平和への不断の努力を市民の皆様とともにお誓いする。

1991年(平成3年)8月6日

広島市長 平岡 敬


by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:27 | 反核・平和 | Trackback
1967年、山田市長の最初の平和宣言。「原子力の開発は、明らかに20世紀科学の輝く勝利を意味したが、この近代科学の偉大な成果が殺戮と破壊のために使われるか、はたまた、福祉と建設のために使われるかによって、人類の運命はまさに大きく決しようとしている。」チェルノブイリや福島を経たいまからみればナンセンスな発言ですが、当時はこれが主流な考え方だったのでしょう。2011年は311後の最初の平和宣言。政府に対してエネルギー政策の見直しを迫っています。市民運動が市長の背中を押したともいえるでしょう。

平和宣言

昭和20年8月6日、この日を紀元として世界は転換しなければならないことをわれわれは悟った。

人類は、いま、生か死か、破滅か繁栄かの岐路に立っている。

原子力の開発は、明らかに20世紀科学の輝く勝利を意味したが、この近代科学の偉大な成果が殺戮と破壊のために使われるか、はたまた、福祉と建設のために使われるかによって、人類の運命はまさに大きく決しようとしている。

世界の平和は、大国間の武力と恐怖の均衡の上に辛うじて保たれ、まさに累卵の危きに等しい。核兵器を中心とする強大な武力の対立は、一触即発、人類をついに自滅戦争に導くおそれなしとしない。

この不安と危険からのがれる道は、も早や、ほかにはない。人類連帯の精神に立ち、寛容と信頼、互嬢と規律による新しい世界に法秩序を打ち立てることである。切実な国際間の友情と高邁な世界法の支配下にあって、戦場に代わる相互理解の場を用意し、あらゆる国家、あらゆる民族のために協同互助、共存共栄を保障する世界新秩序を確立し、戦争の悲劇をこの地上から永遠に葬り去らなければならない。これこそ、人類の英知に導かれた永久平和の創造であり新世紀の誕生である。

眼から去るものは心からも去る。22年前、一瞬にして20数万の生命を失い、今なお多くの被爆者が生命の不安におののきつつある広島の悲劇を忘れることなく、これを世界の体験として受けとめ、全人類が戦争の完全放棄と核兵器の絶対禁止を目ざし全知全能を傾注することを強く訴えるものである。

本日、ここに原爆犠牲者の霊を弔うに当り、このことを広く世界に宣言する。

1967年(昭和42年)8月6日

広島市長 山田 節男


平和宣言

66年前、あの時を迎えるまで、戦時中とはいえ、広島の市民はいつも通りに生活していました。かつて市内有数の繁華街であった、ここ平和記念公園の地にも、多くの家族が幸せに暮らす姿がありました。当時13歳だった男性は、打ち明けます。――「8月5日は、中学2年生の私にとっては久しぶりに一日ゆっくり休める日曜日でした。仲良しだった同級生を誘って、近くの川で時間の経つのも忘れて夕方まで、砂場でたわむれ、泳いだのですが、真夏の暑いその日が彼との出会いの最後だったのです。」

ところが、翌日の8月6日午前8時15分に、一発の原子爆弾でそれまでの生活が根底から破壊されてしまいます。当時16歳だった女性の言葉です。――「体重40キロの私の体は、爆風に7メートル吹き飛ばされ意識を失った。意識が戻ったとき、辺りは真っ暗で、音の無い、静かな世界に、私一人、この世に取り残されたように思った。私は、腰のところにボロ布をまとっているだけの裸体で、左腕の皮膚が5センチ間隔で破れクルクルッと巻いていた。右腕は白っぽくなっていた。顔に手をやると、右頬はガサガサしていて、左頬はねっとりしていた。」

原爆により街と暮らしが破壊し尽くされた中で、人々は、とまどい、傷つきながらもお互いに助け合おうとしました。――「突然、『助けて!』『おかあちゃん助けて!』泣き叫ぶたくさんの声が聞こえてきた。私は近くから聞こえる声に『助けてあげる』と呼びかけ、その方へ歩み寄ろうとしたが、体が重く、何とか動いて一人の幼い子供を助けた。両手の皮膚が無い私は、もう助けることはできない。…『ごめんなさい』…。」

それは、この平和記念公園の地のみならず、広島のいたるところに見られた情景です。助けようにも助けられなかった、あるいは、身内で自分一人だけ生き残ったことへの罪の意識をいまだに持ち続けている人も少なくありません。

被爆者は、様々な体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を願い、毎日を懸命に生き抜いてきました。そして、被爆者をはじめとする広島市民は、国内外から心温まる多くの支援を受け、この街を蘇らせました。

その被爆者は、平均年齢77歳を超えながらも、今もって、街を蘇生させた力を振り絞り、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求し続けています。このままで良いのでしょうか。決してそうではありません。今こそ私たちが、すべての被爆者からその体験や平和への思いをしっかり学び、次世代に、そして世界に伝えていかなければなりません。

私は、この平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝えたいと考えています。そして、人々が集まる世界の都市が2020年までの核兵器廃絶を目指すよう、長崎市とともに平和市長会議の輪を広げることに力を注ぎます。さらに、各国、とりわけ臨界前核実験などを繰り返す米国を含めすべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取組を強力に進めてほしいのです。そのため、世界の為政者たちが広島の地に集い核不拡散体制を議論するための国際会議の開催を目指します。

今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。

また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでいます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「原爆は二度とごめんだ」、「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という思いを新たにし、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

平成23年(2011年)8月6日

広島市長 松井 一實



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by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:23 | 反核・平和 | Trackback

浜井市長が政権を奪還してはじめての平和宣言。61年たったいまもほとんど情勢がかわっていないことに気付かされます。


平和宣言

本日、われわれは、第14回目の記念すべき日を迎えた。

ただ1個の爆弾が40数万の人口を擁した都市を一瞬のうちに廃墟と化せしめ、20余万の尊い人命を一挙に葬り去ったばかりでなく、10数年を経た今日、なお、あの魔の閃光を浴びた人々の生命を奪い続けている。

われわれ広島市民がひたすらに念願し、訴えつづけてきたことは、人類連帯の精神に立って、すべての民族、すべての国家が小異をすてて大同につき、一切の戦争を排除し、原水爆の全面禁止をなし遂げなければならないということである。

いまや、世界は、原水爆による破滅の危機に直面している。原子力時代の戦争は、勝利の望みのない戦争であって、それは、人類の自滅を意味することを深く認識しなければならない。平和共存のための新しい国際関係と秩序を打ち立てることこそ、人類に課せられた緊急の要務であることを確信するものである。

われわれは、今日ここに原爆死没者の霊を弔うにあたり、重ねてこれを全世界に訴え、われわれもまた決意を新たにして、目的達成のために献身することを誓うものである。

1959年(昭和34年)8月6日

広島市長 浜井 信三


by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:14 | 反核・平和 | Trackback
1955年の平和宣言。浜井市長から保守系の渡辺市長に「政権交代」して初めての
宣言でしたが、被爆者の健康問題を前面に出すなど、おもったより良い内容でした。
当時の市民運動の盛り上がりも市長の背中を後押ししたかもしれません。


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by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:11 | 反核・平和 | Trackback
1954年。ビキニ環礁での水爆実験で被爆者が大量に出た事件を受けての平和宣言。

平和宣言

本日、われわれは、被爆9周年の悲しむべき日を迎えた。あの日投下された1個の爆弾は一瞬にして20余万の貴き人命を奪い去ったばかりでなく今なお、残存した市民の生命を脅かし続けている。

しかも、今や、原子爆弾につぐにさらに恐るべき水素爆弾の出現を見全人類の運命は愈々滅亡の脅威に曝されるに至った。人類史上これにまさる危機があったであろうか。

われわれ広島市民は、自らの不幸と思いを合わせてこれを坐視するに忍びず、ここに重ねて人類が再びその惨劇を繰り返すべからざることを警告し、一切の戦争排除と原子力の適当なる管理を全世界に訴えると共に、われわれもまた決意を新たにして平和確立のためにまい進せんことを謹しみて地下の諸霊に誓うものである。

1954年(昭和29年)8月6日

広島市長・広島平和協会長 浜井 信三


by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:06 | 反核・平和 | Trackback

占領下ではなくなった中ではじめて出された「平和宣言」。

あいかわらず簡潔です。


平和宣言

時は空しく過ぎるものではない。7年の間、私たちは心にうけた恐ろしい傷あとをじっとみつめてきた。思えば人間の犯しうる過失の余りにも深刻なのに戦りつせずにはいられない。

けれども私達は人間の善意と寛容とを信じている。

己の尊厳を汚すことなく、むしろそれを生かすことによって、かえって世界に通じる道のあることを信じたい。

ひとりの心の中に愛情の火を点じ、ふたりの心の中にそれを受けつぎ、やがてはそれがひとつの聖火へと燃えつづけるとき、きっと世界は良心の環によってひとつに結ばれるに違いない。

私達は素直に反省し、このことを個人としての、また市民としての責任において考え、かつ実践することを尊い精霊たちの前に誓うものである。

1952年(昭和27年)8月6日

広島市長 浜井 信三


by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:03 | 反核・平和 | Trackback

前年は朝鮮戦争で平和祭中止となり、この年は市長あいさつ。


市長あいさつ

平和実現への一里塚

6年前の本日、わが広島市は一瞬にして壊滅し20数万の市民がその尊い命を失いました。この言語に絶する戦災は戦争による人類の破滅を示唆し、恒久平和招来のためには、いかなる努力をも払わなければならないことを強く教えたのである。われわれはその深き意義に思いを致し、いよいよあらん限りの力を傾け、さらに子々孫々にもわたるねばり強い努力を継続することによって必ずこれを完遂しなければならないと固く覚悟するものである。

8月6日は実にこの恒久平和実現の大道に一里塚を打建てる日である。われわれ広島市民は、この日を迎えることに過去を顧み、将来をいましめて一歩一歩大理想の実現にまい進する決意を新たにすべきで、犠牲者の霊を慰めるとともに平和への深き祈りを捧げて、30万市民うって一丸となり平和都市建設の礎とならんことを誓うものである。

1951年(昭和26年)8月6日

広島市長 浜井 信三


(この年は、平和宣言として発表されず、市長あいさつとして読み上げられた。)


by hiroseto2004 | 2020-08-05 19:00 | 反核・平和 | Trackback