エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

カテゴリ:歴史( 134 )

「吉良からすればテロ」「人々の不満が幕府に来ないように利用されたのでは」

本日は、職場の老人ホームのレクの時間に私が「刃傷松の廊下」を唄いました。大変盛り上がりました(笑)
その上で、
「でも、吉良は悪い人ではなく良い政治をしていたと言う説もあります。吉良からすればとんだ災難でしょう。」
「浅野が刀を抜いたのに相手を討ち漏らしたのは士道不覚悟でカッコ悪かった。だから、大石内蔵助も引っ込みはつかなかったでしょう。」
「幕府も人々の不満が幕府に来ないように吉良を悪者にするよう仕向けたこともあるのでは?実際に吉良の屋敷は襲われ易い郊外に移された。幕府も吉良が討たれる環境整備はしたのでは?」
「【主君のために最後までやる】と言う考え方が広まるのは幕府にとっても都合が良かったろう。」
等とお話しさせていただきました(笑)。
みなさん結構うなずいてくださりほっとしました。
by hiroseto2004 | 2018-12-14 21:37 | 歴史 | Trackback
【**天皇】と呼ばれ出したらもうその人は危うい【備忘録】

自治体の首長や議長、会社でずっと君臨する社長・会長、組織に君臨するトップを【**天皇】と呼ぶことがある。

単にその地位に居るだけでなく、その人に逆らうと、酷い目に遭うとか、その人への批判がタブーみたいな雰囲気があるとき、【**天皇】と呼ばれる。

しかし、【**天皇】と呼ばれて打倒されなかった人はいまだかつていなかった。

天皇というのは現行憲法や、平安中期から江戸時代(後醍醐天皇を除く)にかけては、統治どころか君臨すらしていない。

だから【**天皇】というのは、権力と権威を集中させていた古墳時代末期~奈良時代くらいの天皇に近いと思う。

そして、古墳時代末期~奈良時代くらいの天皇はまさに暗殺されまくりなのだ。

たぶん、人々もうんざりするのだろう。それで、それに便乗した皇位簒奪を狙うものに暗殺される、ということだろう。だけど、皇位を奪った人も、結局暗殺され・・の無限ループ。

 近代立憲主義の大切さを実感する。近代立憲主義は、結局の所、「やり過ぎ」を防ぐことで、権力や権威を持っている人も守るのだ。
by hiroseto2004 | 2018-12-14 20:57 | 歴史 | Trackback
大嘗祭公費支出はおかしい

秋篠宮がおっしゃるとおり、大嘗祭に公費支出はおかしい。大嘗祭は皇室の私的な宗教イベントであり、皇室の私的活動費にあたる内廷費で賄うべきだ。
秋篠宮さまは三十日、五十三歳の誕生日を迎えられる。これに先立ち、東京・元赤坂の宮邸で妻の紀子さまとともに記者会見に臨み、皇太子さまが新天皇に即位後の来年十一月に行う宮中祭祀(さいし)の「大嘗祭(だいじょうさい)」について「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と疑問を呈し、皇室の私的費用の「内廷費」で対応すべきだとの考えを示した。政府は公費の「宮廷費」から支出する方針を決めており、皇族が公の場で、政府方針に異を唱えたのは極めて異例。 (小松田健一)
 秋篠宮さまは会見で、「宗教行事と憲法との関係はどうなのかという時に、やはり内廷会計で行うべきだと思っています」と述べた。三十年前の平成の大嘗祭のときからの持論だったという。
 前回は大規模な大嘗宮の建設などで二十五億円を超える宮廷費が支出された。同じ規模なら、天皇家と皇太子家の生活費を含む内廷費(年間約三億二千万円)では賄いきれないが、「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、できる範囲で身の丈に合った儀式で行うのが、本来の姿ではないかなと思います」と語った。宮内庁長官にも持論を伝えていたといい、「話を聞く耳を持たなかった。非常に残念なことだった」とも話した。
 即位関連儀式は、内閣の助言と承認に基づく国事行為と、宗教色のある私的な皇室行事に大別される。大嘗祭を含む一連の宮中祭祀は皇室行事だが、政府は「重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格が認められる」との理由で前回と同様、宮廷費から支出する方針を決めている。
 また、長女眞子(まこ)さま(27)と国際基督教大学の同級生だった小室圭さん(27)との結婚が、二〇二〇年まで延期された件は「問題をクリアしなければ、婚約に当たる納采(のうさい)の儀を行うことはできません」と述べ、現状の正式婚約に難色を示した。小室さんの母と知人との間に金銭トラブルがあるとの複数の週刊誌報道を念頭に置いたとみられる。
 秋篠宮さまは来年五月一日に皇太子さまが新天皇に即位すると、新たに設けられる地位の「皇嗣(こうし)」となり、皇位継承順第一位の皇族として実質的な皇太子の役割を担う。
◆平成大嘗祭 経費25億円
<大嘗祭> 天皇が即位後、初めて迎える新嘗祭(にいなめさい)。古事記や日本書紀にも記述があり、奈良時代以前から行われていたとされ、皇位継承に伴う最も重要な宮中祭祀と位置付けられている。皇室財政が窮乏した15世紀の戦国時代に中断し、江戸時代の17世紀後半の東山天皇の即位時に復活した。具体的な所作は明らかにされていないが、新穀を天照大神(あまてらすおおみかみ)や祖先に供え、天皇自らも食して五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国の平安を願う。平成の大嘗祭は1990年11月22~23日に行われ、皇居・東御苑に儀式を行う「大嘗宮」を建築。経費総額は25億6000万円で、国費の宮廷費から支出した。
 一連の即位儀式をめぐり憲法の政教分離規定に反するとして各地で訴訟が起きたが、いずれも原告が敗訴。95年の大阪高裁は原告の訴えを棄却したが「政教分離規定違反の疑いを一概に否定できない」と指摘した。最高裁は国費投入について憲法判断をしていない。

問題は、「秋篠宮の「御言葉」で公費支出は取り止め」となると皇族の発言が国政に影響を与えたことになり、違憲になってしまう。それはそれで、立憲主義の破壊で危険だ。

「国民の声」(具体的にはたとえば日本共産党が躍進する中での政権交代とか)か、現在、一部市民有志により、大嘗祭予算支出違憲訴訟が提起されている中での「違憲」の「司法判断」か。これが根拠になる形で公費支出取り止めが望ましいと思う。

ちなみに大嘗祭は天皇即位後初めての新嘗祭のことを言う。しかし、皇極天皇のころにまだこのイベントが始まったばかりの頃は、大嘗祭と通常の新嘗祭の区別がなかったという。

通常の新嘗祭よりでかいイベントとしての本格的な大嘗祭を最初にやったのは天武天皇とされる。
だが、天武天皇は実権はあったが、名目上はあくまで近畿日本(ひのもと)国の王であり、当時の列島を代表する政府の倭国の天皇ではなかった。(日本国を建国した文武天皇により追贈されたと推定される。)大嘗祭そのものは、即位とも結び付かなかった。

当時は倭国・高市天皇(たけちてんのう)が皇位にあったと推定される。

大嘗祭を始めたのはその倭国・高市天皇だが、高市天皇は696年に藤原不比等と文武天皇の凶刃に倒れ、倭国は滅亡。日本国としての大嘗祭を始めたのは日本国の初代天皇・文武天皇だろう。

by hiroseto2004 | 2018-11-30 16:58 | 歴史 | Trackback

大山古墳は、2万パーセント、天皇陵ではないと思います。
近畿地方で活躍していた勢力は、その後、九州を本拠とする倭国の分派
による「東征」で滅ぼされたのでは無いかと思います。

少なくとも、「ここに埋葬されている人物がいわゆるヤマト王権(大和朝廷)の始祖で、
そのヤマト王権(大和朝廷)がいままでずっと続いている、という史観は大嘘であると断言します。

そして、おそらく、近畿地方をある時期は蘇我氏が支配していたと思います。
入鹿vs倉山田石川麻呂の内部分裂に漬け込まれ、ある時期(7世紀前半頃、倭国が評を設置)に九州に本拠のある倭国に吸収されていったのではないか?

そんな風に推測しています。





by hiroseto2004 | 2018-11-22 20:19 | 歴史 | Trackback

トランプ=後醍醐天皇

トランプ=後醍醐天皇

トランプというのは後醍醐天皇みたいなところもある。
ポストモダンが、格差拡大に無頓着だったことに便乗し、(ラストベルトのアフリカ系の民主党支持労働者や女性も含めた支持を得て)白人男性中心の政治が一時的に復活した。
鎌倉幕府の乱れに乗じて、足利高氏ら武士も味方にして政権を取った後醍醐天皇そっくりだ。
ただし、長続きはしないのは両者共にだ。新しい時代への交代時期に、古いものが一時的に復活するというのは
古今東西ある。
ただし、一方的に退歩して、国自体が滅びることもある。今の日本はそっちになりかねない。

by hiroseto2004 | 2018-11-08 07:31 | 歴史 | Trackback
個人レベルの請求というのは、正直、日韓基本条約の時は余り想定していなかったのではないか?
当時、独裁だった朴正煕政権としては、「個人」としての韓国人が、声を上げる
ということは想定していなかった、と思います。
他方、日本向けには、個人の請求権も含めて政府が代理で受け取ったことにした。
そのあたりで手を打って、日本からの支援を期待した。
このあたりに問題のありかがあると思います。
独裁だった時代の韓国と、民主主義の時代の韓国。
韓国政府がしかるべき補償をすべきとの意見。
いや、そもそも、個人の請求権は入っていないから、被告の日本企業がすべきという意見。
両方一理はある。しかし、とにかく残された時間は短い。
当事者が納得できる解決を!




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by hiroseto2004 | 2018-10-30 21:58 | 歴史 | Trackback
古代史の隠ぺいの解明も重要だ【備忘録】

日本の古代史の隠ぺいも、現代の日本社会/政治に大きな影響を与えていると思う。

やはり、今の「日本」が近畿地方を首都としてずっと存在し、明治で江戸=東京に移ったというストーリーが、土台にある。

そして、第二次世界大戦にアメリカに負けた以外は国が滅ぶほどは負けたことがない、という「神話」だ。

少なくとも、古事記・日本書紀は、「日本」政府誕生直後の記録であって、それが故に、相当ねつ造がある。神武天皇をそのまま信じる人は殆どいないが、7世紀の天智天皇とかあの辺の歴史もそのまま信じるというのもおかしいと思う。
むろん、今では蘇我入鹿暗殺=大化の改新ではなくなっている。それはそれで大事な進歩だと思う。

そして、大山古墳(俗に言う仁徳天皇陵)の発掘も宮内庁と堺市が共同で始めるという。どういう意図かはわからないが、良いことだ。(たぶん、今上天皇も反対はしないだろうし、次期天皇もそうだろう。)。

むろん、古事記や日本書紀に出てきた話が全て空想というわけでもなく、似たような事件をつなぎ合わせたり、逆に分割したり、というのが真相だろう。

繰り返しになるが、本社社主は、白村江の戦いで、天皇(高市天皇)が捕虜になったと思っている。東アジアにおいて王が自ら軍の先頭に立ち、No2がが留守を預かるというのはよくあることだ。劉邦と蕭何、劉備と諸葛亮(丞相)、曹操と夏侯惇(大将軍)がそうだ。NO1が前に出て、No2が留守を固めた。

 多くの日本人にとって故地であり、九州からすればすぐ北隣で安全保障上も極めて大事な百済を奪還するために、高市天皇自ら(勝敗自体はかなり唐を舐めて)楽観し、突っ込んだのだろう。これまでは、数に任せたいい加減な戦術で、新羅とかにはそれなりに勝っていたのがわざわいし、唐に大敗。高市天皇らが捕虜になった。だから、NO2の天智が、NO3だった天武と共同で政権を運営したのだろう。

唐はしかし、新羅と結局、仲違いし、高市天皇を解放する。その結果、倭国で内ゲバが発生した。NO1の高市とNo3の天武がNo2の天智を挟撃・打倒したのだろう。
その後、679年に水縄断層で九州北部全体がひっくり返るような地震(M7.2)起き、九州からヤマト(天武の地元だった?)へ首都が移転。移転先のヤマトでも南海トラフ地震が発生。天災=皇帝の不徳とされるため、高市の権威は失墜。696年、高市天皇は板蓋宮ならぬ藤原京大極殿で持統・文武・不比等に暗殺され、倭は滅亡した。国号はその後「日本」に変っている。

 ともかく、戦時中から異常に、日本人が捕虜に対して冷たく、囚われた人に「自己責任バッシング」が起きる一因は、「高市天皇が白村江で捕虜になった」という事実を隠している(日本書紀では、筑紫君薩夜麻とかいてあるが、当時の首都は太宰府だったのだから、筑紫君=天皇の暗喩であろう。)ことへの反作用ではないか、と本社社主は疑っている(^_^)。

都合が悪いことを隠していると、人間、やたら、同じ状態の人間を叩きたくなるものだ。そういう場合は、いい加減に、真実を直視した方が良いのではないか?

 また、我々が今住む「日本」自体が、間違いなく、白村江の戦いで天皇が捕虜になるほどの壊滅的な敗戦を契機に倭を滅ぼして建国されたものであると言うこともいい加減、認めちまったほうがいいだろう。

「日本がアジアの国に負けるなんてあり得ない」というのは、妄想に過ぎないのである。

今は、特に経済面でそのことをきちんと直視した方が良いと思う。

【備忘録】神風日本と言うけど、冷静に考えると白村江と「朝鮮出兵」でも負けてるんですけどね

蒙古を二度の元寇で撃退したために、「神風が吹いた」と言われた。
そして、「神国日本」などと盲信してしまった。
だが、そもそも、元寇は、防衛戦争が故の有利さがあった。日本軍(鎌倉幕府)も、実を言うと「それなり」に戦術は考えていて、元寇を撃退したのは決して「神風のおかげばかりではない」ことが、最近の研究では有力である。

一方で、日本は、近代以前も二度も敗れている。
倭(当時の首都は九州・太宰府)が高市天皇(政府の公式記録は筑紫君薩夜麻)自ら乗り込んで唐・新羅と戦った白村江の戦い(663年)は高市天皇以下大半が捕虜となる大敗で、「倭」が滅亡し、近畿を基盤とする「日本」(現皇室を藤原氏が操縦)に政権交代した。(途中、高市天皇の不在のために、天智が政権を一時奪取するが、高市天皇帰国後に天武が高市天皇に味方し天智親子を打倒し政権を奪取。本拠地の近畿に遷都。(献帝を奉じて許昌に遷都した曹操のような状態)。さらに天武の妻の持統・孫の文武が高市を暗殺し、政権交代完成。家康親子が三成(=天智)を倒し、さらに秀頼(=高市天皇)を倒した過程にも似てなくもない。)

そして、豊臣秀吉による朝鮮出兵も、明に敗れた。そして、豊臣政権はかつての同盟者・家康に打倒された。かつて、九州倭国(高市天皇)が、近畿日本に政権交代したように。「日本国王」が豊臣秀吉から徳川家康に替わったのである。
(じつは、天皇はこの時代は大日本帝国憲法下は言うに及ばず、日本国憲法下の現在よりも重みがなかった)。

日本は、二度も過去に負けて政権交代につながっているのに「神国日本」を本気で信じて、三度負けたのが大日本帝国であり、それは「明治維新」の末路でもあったように思う。


by hiroseto2004 | 2018-10-26 22:03 | 歴史 | Trackback

日常的に戦没者の遺骨

今でも沖縄では、日常的に戦没者の遺骨が出てきます。


by hiroseto2004 | 2018-10-26 06:02 | 歴史 | Trackback
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天皇陛下と日本共産党が不参加、政府の明治維新150年式典

白村江と第二次世界大戦 日本は、二度滅んでいる

日本は、二度滅んでいる。

一度目は663年の白村江の戦い。くどいようだが、総司令官の高市天皇(政府の公式記録は筑紫君薩夜麻)も唐軍の捕虜となる大惨敗だった。このときの倭軍の戦法は、極めてずさんなもので、完全に唐と新羅を舐めきっていた。

九州を中心とする倭国(日本を代表する政府)はこの戦いで事実上滅亡した。倭国政府はふるさと・朝鮮半島南部への影響力を完全に失った。(百済というのは間違いなく、今上天皇のふるさとに間違いなく、ご自身が認めておられるのだから間違いないだろう)。首都・太宰府(と推測される)は、敵地ともろに向き合う場所になってしまった。

その後、倭国は壬申の乱を経て、大和を中心とする「日本」に生まれ変わっている。持統天皇(上皇)の指導の下、大陸に謙虚に学ぶ政策を進めた。

もう一度の滅亡は第二次世界大戦だ。その滅亡の背景には、当然、明治維新以降の歴史がある。
そこを忘れたら、また、大変なことになりかねないだろう。
というか、経済面から言えばじつはもう、大変なことになっている。二度あることは三度あるというが、まさか、こんなに早く、「三度目」が来ると思う人はそう多くないかもしれない。
「日本凄い」と「明治への郷愁」だけで、過去(バブルくらい)の「成功体験」をいつまでも忘れられなければ間違いなく、同じことの繰り返しになるだろう。

by hiroseto2004 | 2018-10-24 20:58 | 歴史 | Trackback
天皇陛下と共産党が不参加。
個人的には、両者の不参加は大変結構だと思います。
本社社主は、戊辰戦争でいわゆる賊軍にルーツを感じるので、明治維新を一方的に祝う話には乗れません。
そもそも、明治維新から敗戦までの天皇のありかた自体が、日本の歴史の中でも特殊ですからね。



by hiroseto2004 | 2018-10-23 17:46 | 歴史 | Trackback