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エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004

カテゴリ:歴史( 195 )

以下のことは押えておく必要がありますね。
・韓国の人たちは「いつかまた同じ屈辱を味わう羽目にならないように、過去を記憶し続け、警戒し続け、少しでも問題があると考えれば早めにその芽を潰して」おきたい。
・民主化を契機に、独裁政権がなあなあにしてきた歴史問題がクローズアップされてきた。
・独裁政権と民主化した後の韓国では、日本で言えば江戸時代とそれ以降くらい違いがある(ように
韓国人は認識している)。
・韓国側も日本に対する経済的な地位が、相対的に上がってきて自信を持ってきた。
・日本の政治家も、アホな発言(歴史修正主義的な発言)をことあるごとに繰り返してきたから信用されていない。



by hiroseto2004 | 2019-08-17 18:07 | 歴史 | Trackback
まさに、歴史の転換点になった事件。
海軍は一週間前には事件発生を把握していた。そして、事件発生後も詳細に情報を収集し
記録していた。最後の「事実とは何か?」というメッセージがNHKスタッフの良心の叫びのように
聞こえました。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190815
私たちが知っていたのは、“真相”の一断面に過ぎなかった―。
今回NHKは、あの歴史的事件の一部始終を記録した「極秘文書」を発掘した。1936年2月26日、首都・東京の中枢で首相や大臣が襲撃された、近代日本最大の軍事クーデター「二・二六事件」。これまで、事件に関する主な公的記録は、完全非公開で“暗黒裁判”と言われた陸軍の軍事裁判資料とされ、事件をリアルタイムで記録した1次資料はなく、多くが謎とされてきた。事件から83年がたった今、見つかった「極秘文書」によって、青年将校たちの反乱と、その鎮圧にいたる「4日間」の詳細が明らかとなったのだ。
文書を密かに記録していたのは海軍。事件発生直後から現場に解き放った「調査部隊」や、密かに設置された「見張所」からまさに分単位で緊迫の状況を記録していた。陸軍の幹部が事件の裏で行っていた知られざる会談や、海軍が、反乱を超えた大規模な内戦まで想定して備えていたことなど、文書に残されていた「新事実」の数々に、解析に当たった専門家も息を呑んだ。  

二・二六事件後、軍国主義を強め戦争に突入していった日本。首都東京を大混乱に陥れ、国家の運命を分ける転換点となった歴史的事件の全容に迫る。

by hiroseto2004 | 2019-08-15 22:10 | 歴史 | Trackback
もうひとつの「亡国の敗戦」白村江の戦い

第二次世界大戦と並ぶもうひとつの大きな「亡国の」敗戦は663年(唐の記録では662年)「白村江の戦い」(百済救援戦)だ。
九州王朝倭国の斉明天皇と、その摂政のサチヤマ(高市天皇)が指揮を執った。しかし、倭国軍は緒戦で斉明天皇が唐の奇襲で討ち死に(あるいは討ち死にはしなかったが、白村江の戦い後、唐軍の大宰府進駐を受け、伊予朝倉へ遷都。)。さらに白村江で唐に大敗し、サチヤマも捕虜になってしまう。倭国は首都を大宰府から肥後大津に移す。
この隙をついて近畿日本の蘇我倉山田石川麻呂天皇の婿養子で、中大兄皇子が火事場泥棒。妹の中宮天皇、ついで息子の大友天皇をピンチヒッターの倭国の天子に押し込む(日本書紀では太政大臣)。
しかし、高市天皇が帰国し、蘇我入鹿天皇の息子の天武天皇に援軍を要請。大友天皇を打倒し倭国天子の座を奪還するも九州は荒れ果て、近畿へ移る。倭国は高市天皇が踏ん張るも、結局696年に百済王の藤原不比等と天武天皇の孫の近畿日本の文武天皇に暗殺され、倭国は滅亡した。まさに白村江は九州王朝倭国にとっては「亡国の敗戦」、近畿日本にとっては「火事場泥棒」のチャンスだった。
by hiroseto2004 | 2019-08-15 18:32 | 歴史 | Trackback
NHKスペシャル「かくて”自由”は死せり ある新聞と戦争への道」

上記番組では、「日本新聞」が軍部強硬派とともに、1930年のロンドン軍縮条約について、
「統帥権干犯」だと騒いだことを紹介していました。
当初は、国民は立憲民政党の濱口雄幸総理を熱狂的に支持していたが、「日本新聞」の論調に
野党第一党・立憲政友会の鳩山一郎が便乗。のちにそれが政党政治への致命傷となることも知らずに・・。
そして、濱口は東京駅頭で狙撃される。
それから、1年もたたずに、1931年、満州事変が発生。
おりしも、大不況で閉塞感があったところに発生した満州事変を国民は支持するようになってしまった。
あまりにも、急転直下の変化ですが、こういうことは常に起きうる。
自由は、いとも簡単に失われてしまう。その恐ろしさをコンパクトにまとめた番組でした。
永久保存し、何度でも上映会を開きたい。そんな番組です。


by hiroseto2004 | 2019-08-14 20:45 | 歴史 | Trackback

九州王朝倭国滅亡で失脚した?柿本人麻呂

柿本人麻呂については謎が多い。
通説(賀茂真淵など)では官位は六位以下、おそらく正八位の下級官吏で終えたとされる。
しかし、「古今和歌集」の真名序では五位以上を示す大夫を付して「柿本大夫」と記され、仮名序に正三位である「おほきみつのくらゐ」とされている。
正三位と正八位では、相撲で言えば、大関と幕下の下位くらい違う。二位まで行けば左右両大臣であり、横綱、三位なら公卿で大関、五位で幕内、という感じだろうか。
また、「続日本紀」には、人麻呂が高官だった記録はない。
しかし、だ。
柿本人麻呂が、九州王朝倭国においては、正三位で、常に高市天皇の寵臣中の寵臣だったのではないか?
その権勢をバックに、多様な交友関係もあったのだろう。持統天皇時代に活躍した、とされるが、この時代は実際には「高市天皇時代」であろう。持統とされる女性は、「懐風藻」では、「皇太后」とされている。というより、そもそも、持統とされる女性自身が近畿日本天皇家の人間であり、蘇我王朝の女系の祭祀を扱う人間であって、政治権力を振るう人間ではなかったろう。
しかし、696年8月12日の「本当の大化の改新」で、高市天皇が後の近畿日本・文武天皇と藤原不比等により暗殺された。

このクーデターで柿本人麻呂も失脚。位を落とされ、流罪になったのではないか?
九州王朝でしか高官に就いておらず、近畿日本では幕下扱いの人間なら、近畿日本天皇家の歴史書「続日本紀」が、柿本人麻呂を高官と描かなかったのも当然だ。しかし、他方で、「大関から幕下まで落とされた」人麻呂の悲劇的な人生に同情する声も高く、歌聖として、持ち上げられた可能性はあると思う。


by hiroseto2004 | 2019-08-14 16:45 | 歴史 | Trackback
NHKスペシャル「かくて”自由”は死せり ある新聞と戦争への道」。
素晴らしい番組でした。
男子普通選挙が成立した1925年に「日本新聞」が創刊されてから、
1930年の統帥権干犯問題、そして、1935年の天皇機関説否定まで。
大正デモクラシーの時代が暗転し、
同新聞の掲げた「日本主義」に時代が染まっていく様子を描いています。
また、ある、長野県のリベラルだった当時の青年が、一挙に、「日本主義」
に染まっていく有り様も、日記などを通じて明らかになっています。
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by hiroseto2004 | 2019-08-13 06:32 | 歴史 | Trackback(1)
696年の本日(九州年号大化2年7月10日)、新益(藤原)京で後の日本国初代の文武天皇と藤原不比等が九州王朝倭国のラストエンペラーの高市天皇を暗殺、高市腹心の柿本人麻呂三位を逮捕・流刑にするクーデター発生。
倭国を滅ぼし、日本国に王朝交替した。これが本当の「大化の改新」であり、日本国の事実上の建国記念日である。

by hiroseto2004 | 2019-08-12 06:20 | 歴史 | Trackback

これは、NHK,良い報道です。平沼と言えば、観念右翼の政治家。

政党を潰すために帝人事件をでっち上げたとも言われています。

その平沼は、「欧洲の天地は複雑怪奇」と声明して総理を辞しています。

戦前最大の右派新聞 約10年分見つかる

昭和初期に発行され、戦前、最大の右派メディアとも呼ばれた日刊紙、「日本新聞」の紙面、およそ10年間分がほぼ完全な形で残されていたことが分かりました。

これまで多くが失われたとされていて、日本が戦争へと向かっていった道筋を解き明かす貴重な資料として研究者の間で注目を集めています。

見つかったのは、大正14年から昭和10年まで発行されていた日刊紙、「日本新聞」です。

元総理大臣、平沼騏一郎が設立した団体の、資料の収蔵庫に保管されていたもので、創刊から休刊するまでの10年間、およそ3000日分の紙面がほぼ完全な形で残されていました。

日本新聞は、発行部数およそ1万6000部と多くはないものの、政官財に幅広い読者を持ち、戦前最大の右派メディアとして右派思想を広めたとされていましたが、現在は多くが失われ、初期の数年間については内容もほとんど知られていませんでした。

紙面は見開き4ページで、創刊号には編集方針として天皇中心の国家体制を絶対のものにする「日本主義」と呼ばれる思想が掲げられています。見出しには「共産主義の致命的欠陥」や「赤化売国派を掃蕩せよ」などの激しいことばが並んでいます。

日本は、昭和の初めから急速に国家主義的な風潮が広がったとされていますが、日本新聞を詳しく分析することで当時の言論や思想の移り変わりをひもとく手がかりになると期待されています。

日本の近代思想史が専門の京都大学大学院の福家崇洋 准教授は「記事を分析することで、大正デモクラシーで自由をおう歌していたはずの日本社会がどのように変化していったのか、クリアに把握できるはずだ」と話しています。

日本新聞とは

日本新聞とは
「日本新聞」は、大正から昭和初期にかけて司法大臣や鉄道大臣を務めた政治家、小川平吉が大正14年に創刊しました。当時、気鋭の国粋主義者や民族主義者らが社説や記事を執筆し、およそ1万6000部が発行されました。

創刊の際には、支持者としてのちに総理大臣を務める近衛文麿や東条英機など政治家や軍人、財界トップらが名前を連ね、当時の右派メディアの中では異例の日刊紙として国の中枢から地方の有力者まで幅広い支援者、読者を獲得していました。

日本新聞は10年間にわたっておよそ3000日分が発行され、昭和10年に休刊となりました。残された紙面は戦争中に多くが焼失したほか、戦後は右派メディアへの厳しい風当たりなどから失われてしまい、現在は後半のおよそ5年分しか見つかっていませんでした。

by hiroseto2004 | 2019-08-09 07:22 | 歴史 | Trackback
何故、日本はもっと早く降伏できなかったか?
毎年この時期になると、「何故、日本はもっと早く降伏できなかったか?」ということをいつもにまして思います。ヒロシマ、ナガサキだけでなく、福山大空襲も岩国大空襲も大阪大空襲8・14(京橋空襲)も避けられたのではないか?
ちなみに現代でも最後まで新自由主義グローバリズムに殉じようという国が日本のように見えます。
アメリカが新自由主義グローバリズムから離脱しつつあるなかで日本はやめられない。かつてナチスドイツが消滅しても戦争を継続した大日本帝国のように。



by hiroseto2004 | 2019-08-08 09:37 | 歴史 | Trackback
欧米主流の長年の「ダブスタ」と、新自由主義グローバリズムが招いた「自由な世界」への挑戦【歴史・哲学】

「自由な世界への挑戦」現象を嘆く旧西側知識人は多い。
「自由な世界への挑戦」の第一は、ロシアや中国によるものだろう。また、エルドアン(土)のように、ロシア側に事実上寝返った指導者もいる。
第二は、西側ないし民主主義国家内部における「これまでの人権や民主主義を重んじる」秩序への「挑戦」である。マリーヌ・ルペン(仏)、サルビーニ(伊)、カチンスキ(ポーランド)、オルバン(ハンガリー)、モディ(印)そして、トランプ(米)、安倍(日本)などだ。
 第二の西側ないし民主主義国家内部における「これまでの人権や民主主義を重んじる」秩序への「挑戦」の背景には新自由主義グローバリズムによる庶民の疲弊がある。庶民のメシをこの30年間の西側の主流派は軽視してきた。その反動で、庶民は、主流派への反感から、「労働者の味方」を自称したトランプや、反移民と福祉充実を組み合わせたルペン、あるいは、一定の再分配と反移民を組み合わせたカチンスキらを支持するようになった。
日本においては、安倍総理は、最初、「TPP反対」や「財政出動」を呼号して、いかにも「反新自由主義グローバリズム」っぽいイメージを出してまんまと政権を民主党から奪還した。
 第一については、これは19世紀以来の西側の身から出た錆だ。昔は中東やアフリカなどを植民地支配しまくり、今は、中東空爆しまくりだ。人権、民主主義など「きれいごと」を看板にしつつ、いまなお、戦争という最大の人権侵害を中東などで米英仏などは続けている。米英仏が、中東などでうさんくさく思われ、中国やロシアになびく国が増えるのも身から出た錆というものだ。
 プーチンや習近平、あるいは、原発推進・憲法改悪・クルド弾圧のエルドアン被疑者らを持ち上げるつもりはない。しかし、西側の主流派も、反省をした方が良い。

 一つは、これまでの植民地支配まくり、空爆まくりの自分たち自身を反省することだ。アルジェリアでは最近、フランスの核実験に謝罪や補償を求める動きが出ているが、フランスは真摯に向き合うべきだ。それなしにいくら人権だの民主主義だのお題目を唱えても、うさんくさいだけだ。

 もう一つは、新自由主義グローバリズムからの卒業だ。
 日本の場合は、やや複雑だ。安倍ジャパンは中国やロシア、エルドアン被疑者のような権威主義と、西側主流のような新自由主義グローバリズムを同時に進めていることだ。こんな国はちょっと珍しいし、その点は一番危機感を持たねばならないのは日本人だろう。


by hiroseto2004 | 2019-08-07 20:16 | 歴史 | Trackback