「原爆投下の後で、皆さんが(球団を)作ってくれたことの感謝を忘れてはいけない」と松田さんは語る。松田さんは、母と祖母が被爆した「被爆2世」だ。「僕らの世代は直接関係ないが、父母の世代は大変だったと思う」と話した。
現在も8月6日に近い日のホームゲームを平和と核兵器廃絶を願う「ピースナイター」として開催するなど、球団としても平和の大切さを伝える活動は続く。松田さんは「カープが生まれた歴史の中にあった被爆という事実を忘れてはいけない。我々としても、次の世代に伝えていきたい」と力を込めた。【吉川雄飛】
【速報中】ノーベル平和賞に日本被団協
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241011/k10014606851000.html
68年間にわたり核兵器廃絶 世界に訴える活動
日本被団協は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、原爆投下から11年後の1956年に結成されました。
当時は、日本のマグロ漁船、「第五福竜丸」の乗組員が、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被ばくしたことをきっかけに国内で原水爆禁止運動が高まりを見せていました。
日本被団協は、それから68年間にわたり、被爆者の立場から核兵器廃絶を世界に訴える活動や被爆者の援護を国に求める運動を続けてきました。
東西冷戦のさなか、国連の軍縮特別総会に3回にわたって代表団を派遣し、被爆者が、みずからの体験をもとに「ノーモア・ヒバクシャ」と訴え核兵器の廃絶を迫りました。
また、国連や世界各地で原爆の写真展を開くなど地道な活動を続け、原爆投下から60年となる2005年のノーベル平和賞の授賞式では、ノーベル委員会の委員長が、日本被団協について「長年、核廃絶に取り組んできた」と敬意を表しました。
核兵器の開発や保有などを法的に禁止する核兵器禁止条約の交渉会議では、日本被団協が中心となっておよそ300万人分の署名を集め採択を後押ししました。
その後はすべての国が条約に参加することを求める「ヒバクシャ国際署名」を続けておよそ1370万人分あまりの署名を国連に提出。
また、核兵器禁止条約は2021年1月に発効し、おととし6月にオーストリアで開かれた初めての締約国会議では、日本被団協から派遣された被爆者が核兵器廃絶への思いを訴えました。
近年では新型コロナウイルスの影響や被爆者の高齢化によって被爆体験を伝える催しの中止や縮小を余儀なくされてきましたが、オンラインを活用して被爆者の証言を伝える取り組みにも力を入れています。
ノルウエー・ノーベル平和委員会は、日本被団協の受賞理由について、核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が2度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが評価され、平和賞の受賞に至ったとしています。
日本のノーベル平和賞は、非核三原則を表明し、NPTに署名をした佐藤栄作元総理大臣が1974年に受賞して以来、50年ぶりです。
受賞理由は
ノルウエー・ノーベル平和委員会は、日本被団協の受賞理由について、核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が2度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが評価され、平和賞の受賞に至ったとしています。
日本被団協 箕牧智之代表委員「本当にうそみたい」
ことしのノーベル平和賞に日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が選ばれたことについて、広島市役所で発表の中継を見守った広島の被爆者で、日本被団協の箕牧智之代表委員は、「本当にうそみたいだ」と涙を流して喜びました。
海外メディアも速報で伝える
イギリスのBBCやアメリカのCNNなどの海外メディアも日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞に選ばれたと速報で伝えました。
今年のノーベル文学賞に決まった韓国の女性作家、ハン・ガン(韓江)さんは10日、受賞の知らせを受けた時は「ソウルの自宅で息子と夕食を終えたばかりだった」と振り返り「とても驚いたし、大変光栄に思う」と喜びを語った。ノーベル賞公式サイトが電話のやりとりを公開した。
10日は仕事をせずに、散歩や読書をして過ごしていたというハンさん。スウェーデンのストックホルムで受賞が発表されたのは、韓国時間で同日午後8時。発表直後から多くの祝福の声が寄せられた。「息子も驚いていたが、まだあまり話していない。私はお酒を飲まないので、これから一緒にお茶を飲もうと思う」と話した。(共同)
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