「ジェンダーの憲法学」と題した講演会が県立広島大学教授の若尾典子さんを講師に24日、I女性会議(Iは実際には筆記体)広島県本部の主催で、広島市中区のWEプラザでありました。
主催者の佐藤事務局長が、「自民党総裁選挙でマスコミがにぎわっている。何か大切なものが隠されてきたような気がする。そんな中、大事なものを見失わないため今回の講座を企画した」と挨拶。講師を紹介しました。
以下は若尾さんのお話の概要です。
「あるところで、講演をさせてもらったとき,主催者からストップがかかり、「ジェンダーの憲法学」というタイトルが使わせてもらえなかったことがあった。それくらい、ジェンダーという言葉が使いづらくなっている」
と、ジェンダーバッシングが強まっている現状をエピソードで語りました。
「何かの審議会などがあると,校長先生たちは,口をそろえたように,上から指令があるように『性教育などとんでもない』と話される」ということです。
「安倍さんが登場していやだなあ、と思ったが、今回のようなこと(退陣)になった。こういうときは、悲観的にならず、運動の足腰を鍛えるチャンスだと思う。」
「一方で、若い人が運動にいないということはある。憲法を守ろう、というのは、そうはいっても食べていける人の話。「日々が戦場」という人もいる。高校の授業で習ったことくらいで、「アメリカに押し付けられた」と思い込んでいる人もいる。
一方、私の大学の学生には、一応「憲法で国民が幸せになれるもの」というが、一方で、ニートなどの人を、「やる気のない人」と思い込んでいた学生もいた。同世代でも何とかやっていける人と、日々孤立している人々がいる。
また、大学院生も増やしすぎて就職できない。そういう中で、年配者を疎ましく思う人も多い。」
「学生でも4年生の夏が危なく、うつ病になりやすい。家族の問題が結構多い。ほっとする場ではなく、ほっとできていない。おびえている」。
そして、本題に入りました。
「今、家族をあるべき姿から遠ざけようとしているのが女性たちだと、しているのが、日本国憲法を変えようという潮流。」
「24条については改正論がずっとあり、リベラルな憲法学者の間でも、保守派がうるさいから削ってもいいとかそういう人がいる。その人たちによれば,憲法は単に権力を制限するだけの規範だということです。」
「しかし、24条は画期的なものだった。今でもお元気なベアテ・シロタ・ゴードンさんが、22歳のとき、占領軍に呼び出されて、つくった。ちなみに、両性の平等や家族についての条項はアメリカにもない。しかし、日本の戦前の家族は、天皇国家を維持する政治組織だったので、これを打破する24条の審議や民法の改正では、象徴天皇制と同じくらいもめた」というのです。
「それでも、民法改正について、日本の女性たちが女性議員に7万通の手紙を出し、嫁制度(家制度)の廃止をさせた」、というわけです。戦後最初の総選挙で39人の女性議員が誕生していたことも背景にあったそうです。
「日本の女性たちもがんばった」と何度も若尾さんは強調されました。
「憲法では両性の平等、民法の婚姻に関する条項(氏)については、「話し合い」で決めることになりました。
しかし、なぜ、24条の画期性が評価されなかったか?」
「私自身も、自分が結婚するときは、自分の姓が夫のものに変わることが当たり前だと思っていた。法学部の大学院生でありながら。やっている学問は戦後のものでも、行動は明治のままだった」といって笑いを誘いました。
そんなことになったのはなぜか?
「戦後、高度経済成長の中で性別役割「分離」がおきてしまった。夫は外で仕事、妻は家事育児、というのがむしろ戦前以上に強化された。戦後は「女性が自分たちで決めたからいいじゃん」というとで、役割分業が固定化されてしまった面もある」
「また、夫婦の話し合いで婚姻後の姓を決めるのですが、その「話し合い」はほとんど実体はない。でも、「個人の自由」ということで、個人的な問題にされてしまった」
「買春を容認する風土もある。日本は最近も人身売買で槍玉に上がった。」
「オーストリアなども1975年までは女性は自動的に夫の氏を名乗る、とされ、そのとしにようやく、日本並みに話し合い、になった。96年には夫婦別姓になった。日本は追い抜かれてしまった。しかし、このことをみてもわかるように、「日本が特殊に遅れていたわけではない」」。
「その後、女性差別撤廃条約などが登場し、24条の画期的な面が注目されるようになりました。」
「女性差別撤廃条約は日本などアジアだけでなく、欧米の古臭い文化にも厳しい目が向けられた条約なのです。」
「アメリカでは,24条に相当する条項を挿入するのに失敗しているのです。」
と,日本の「先進的」な側面も強調しました。
「表面上、自己決定に任せるだけではいけない。積極的に家族の領域に「人権」が必要。」
「問題を個人的なものに摩り替えるのではなく,政治で解決していくことが必要」
「口先では、多様性を大事にするといいながら、典型的な家族像しか頭にないと、DVなどのサインを見落としてしまう。現実の多様性をそのまま受け止めよう」
「世話する力(CARE)と非暴力を希求しよう。私たちの進んだ憲法を誇りに思おう」として結びました。
そして、質問に答える形で、
「また、少子高齢社会も必ずしも悪いものではない。大変だという議論にはくみしない。介護や育児で個々人に負担がかからないようにすることが大事。社会福祉についてはあるていど先行投資が大事ではないか。投資をしたところはやはりそれだけの力を持つ。」
「ジェンダーフリーというよりもむしろジェンダーに敏感になることが大事」
「現在の教育では,「指導」が実質的に「強制」になってしまっている。処分をちらつかせての『指導』なので,『強制』になっている。」
などと述べられました。
日本も進んでいたところがあり、24条は画期的であるということを再確認できました。
しかし,一方で、うわべだけの「自己決定」にまかせていたら、事態が改善しないので,政治できちんと解決するべき問題なのだ,ということなわけです。
平等といいながら、実際は、ジェンダーの中で固定化(若尾さんの言葉を借りれば「役割分離」)されてしまうということ。立派な条文はあっても、それを生かす取り組みが必要なのだ、ということを再確認しました。
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ーン)
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主催者の佐藤事務局長が、「自民党総裁選挙でマスコミがにぎわっている。何か大切なものが隠されてきたような気がする。そんな中、大事なものを見失わないため今回の講座を企画した」と挨拶。講師を紹介しました。
以下は若尾さんのお話の概要です。
「あるところで、講演をさせてもらったとき,主催者からストップがかかり、「ジェンダーの憲法学」というタイトルが使わせてもらえなかったことがあった。それくらい、ジェンダーという言葉が使いづらくなっている」
と、ジェンダーバッシングが強まっている現状をエピソードで語りました。
「何かの審議会などがあると,校長先生たちは,口をそろえたように,上から指令があるように『性教育などとんでもない』と話される」ということです。
「安倍さんが登場していやだなあ、と思ったが、今回のようなこと(退陣)になった。こういうときは、悲観的にならず、運動の足腰を鍛えるチャンスだと思う。」
「一方で、若い人が運動にいないということはある。憲法を守ろう、というのは、そうはいっても食べていける人の話。「日々が戦場」という人もいる。高校の授業で習ったことくらいで、「アメリカに押し付けられた」と思い込んでいる人もいる。
一方、私の大学の学生には、一応「憲法で国民が幸せになれるもの」というが、一方で、ニートなどの人を、「やる気のない人」と思い込んでいた学生もいた。同世代でも何とかやっていける人と、日々孤立している人々がいる。
また、大学院生も増やしすぎて就職できない。そういう中で、年配者を疎ましく思う人も多い。」
「学生でも4年生の夏が危なく、うつ病になりやすい。家族の問題が結構多い。ほっとする場ではなく、ほっとできていない。おびえている」。
そして、本題に入りました。
「今、家族をあるべき姿から遠ざけようとしているのが女性たちだと、しているのが、日本国憲法を変えようという潮流。」
「24条については改正論がずっとあり、リベラルな憲法学者の間でも、保守派がうるさいから削ってもいいとかそういう人がいる。その人たちによれば,憲法は単に権力を制限するだけの規範だということです。」
「しかし、24条は画期的なものだった。今でもお元気なベアテ・シロタ・ゴードンさんが、22歳のとき、占領軍に呼び出されて、つくった。ちなみに、両性の平等や家族についての条項はアメリカにもない。しかし、日本の戦前の家族は、天皇国家を維持する政治組織だったので、これを打破する24条の審議や民法の改正では、象徴天皇制と同じくらいもめた」というのです。
「それでも、民法改正について、日本の女性たちが女性議員に7万通の手紙を出し、嫁制度(家制度)の廃止をさせた」、というわけです。戦後最初の総選挙で39人の女性議員が誕生していたことも背景にあったそうです。
「日本の女性たちもがんばった」と何度も若尾さんは強調されました。
「憲法では両性の平等、民法の婚姻に関する条項(氏)については、「話し合い」で決めることになりました。
しかし、なぜ、24条の画期性が評価されなかったか?」
「私自身も、自分が結婚するときは、自分の姓が夫のものに変わることが当たり前だと思っていた。法学部の大学院生でありながら。やっている学問は戦後のものでも、行動は明治のままだった」といって笑いを誘いました。
そんなことになったのはなぜか?
「戦後、高度経済成長の中で性別役割「分離」がおきてしまった。夫は外で仕事、妻は家事育児、というのがむしろ戦前以上に強化された。戦後は「女性が自分たちで決めたからいいじゃん」というとで、役割分業が固定化されてしまった面もある」
「また、夫婦の話し合いで婚姻後の姓を決めるのですが、その「話し合い」はほとんど実体はない。でも、「個人の自由」ということで、個人的な問題にされてしまった」
「買春を容認する風土もある。日本は最近も人身売買で槍玉に上がった。」
「オーストリアなども1975年までは女性は自動的に夫の氏を名乗る、とされ、そのとしにようやく、日本並みに話し合い、になった。96年には夫婦別姓になった。日本は追い抜かれてしまった。しかし、このことをみてもわかるように、「日本が特殊に遅れていたわけではない」」。
「その後、女性差別撤廃条約などが登場し、24条の画期的な面が注目されるようになりました。」
「女性差別撤廃条約は日本などアジアだけでなく、欧米の古臭い文化にも厳しい目が向けられた条約なのです。」
「アメリカでは,24条に相当する条項を挿入するのに失敗しているのです。」
と,日本の「先進的」な側面も強調しました。
「表面上、自己決定に任せるだけではいけない。積極的に家族の領域に「人権」が必要。」
「問題を個人的なものに摩り替えるのではなく,政治で解決していくことが必要」
「口先では、多様性を大事にするといいながら、典型的な家族像しか頭にないと、DVなどのサインを見落としてしまう。現実の多様性をそのまま受け止めよう」
「世話する力(CARE)と非暴力を希求しよう。私たちの進んだ憲法を誇りに思おう」として結びました。
そして、質問に答える形で、
「また、少子高齢社会も必ずしも悪いものではない。大変だという議論にはくみしない。介護や育児で個々人に負担がかからないようにすることが大事。社会福祉についてはあるていど先行投資が大事ではないか。投資をしたところはやはりそれだけの力を持つ。」
「ジェンダーフリーというよりもむしろジェンダーに敏感になることが大事」
「現在の教育では,「指導」が実質的に「強制」になってしまっている。処分をちらつかせての『指導』なので,『強制』になっている。」
などと述べられました。
日本も進んでいたところがあり、24条は画期的であるということを再確認できました。
しかし,一方で、うわべだけの「自己決定」にまかせていたら、事態が改善しないので,政治できちんと解決するべき問題なのだ,ということなわけです。
平等といいながら、実際は、ジェンダーの中で固定化(若尾さんの言葉を借りれば「役割分離」)されてしまうということ。立派な条文はあっても、それを生かす取り組みが必要なのだ、ということを再確認しました。
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by hiroseto2004
| 2007-09-24 21:56
| ジェンダー・人権
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