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by hiroseto2004

タグ:パキスタン ( 20 ) タグの人気記事

1月 13, 2020 18:43 Asia/Tokyo
  • パキスタンでの洪水
    パキスタンでの洪水

パキスタン各地で豪雨や洪水が発生し、少なくとも18人が死亡しました。

IRIB通信がパキスタン首都イスラマバードから報じたところによりますと、パキスタン各地、特に西部バルチスタン州で発生した豪雨のせいで大きな被害が発生し、現在までに数十人が負傷しました。

また、同国南部シンド州でも、豪雨によって4人が死亡、10人以上が負傷しています。


by hiroseto2004 | 2020-01-13 19:35 | 事故・災害・事件 | Trackback
核の先制不使用を放棄すればそれこそ大変なことになります。ぐんと核戦争の可能性が高まります。
インドも、長年、カシミール(の多数派を占めるムスリム)には自治権を
与えて、なるべく衝突を避けてきた(それでも印パ戦争や大規模な衝突が何度も起きていますが)
が、もともとヒンズー教急進派色の強いBJPのモディ政権は自治権剥奪という強硬に。
ヒンズー教徒系の企業による開発を進めたい、という意図がある。
他方で、パキスタンも経済面の必要性からインドと関係改善を
はかっていたが、国内のイスラム急進派の手前、譲歩はしにくい。不味い状況です。
インド大陸をかつて、イギリスが分割統治してきた、その後遺症が核戦争の引き金になりかねない状況ですね。


インドの実効支配下にあるカシミール地方で、同国により厳戒態勢が敷かれる中、イスラム教徒らがインド政府に抗議するデモを開催しました。

フランス24チャンネルによりますと、カシミール地方の住民が抗議デモを開催し、インド政府による一連の制限解除を訴えました。

抗議者らは反政府スローガンを叫び、カシミール住民に対するインド政府の犯罪行為を強く非難しました。

この報道によれば、インド政府はカシミール地方でのインターネットや通話を遮断しているということです。

また、カシミール地方では学校や空港も休業し、来週まで活動を停止することが発表されました。

インド議会が最近、カシミール地方の自治権廃止を決定したことから、この地域の状況はさらに厳しさを増し、ヒンドゥー教徒にとっては同地への移住や土地の売買が容易になります。

インドは長年にわたり、数万人規模の軍隊を配備してカシミール地方を実効支配し、過去30年間で数万人を殺害しています。

カシミール地方の住民は、この地方の処遇は住民投票により決定するとした国連安保理決議の履行を求めていますが、インド政府は常々これに反対しています。

パキスタン外相、「インド国防相の表明は衝撃的」



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by hiroseto2004 | 2019-08-17 20:24 | 国際情勢 | Trackback

印パ両国の緊張が高まっています。

駐パキスタン・インド大使が国外追放処分へ

そうしたなか、イランが両国に対話や平和的解決を呼びかけています。
イランは、インド・パキスタン双方と友好関係にあります。
両国は核保有国ですので、一歩間違えれば核戦争になります。
本当に、対話で解決して欲しいですね。

http://parstoday.com/ja/news/iran-i54856

2019年08月07日23時23分
  • イラン外務省のムーサヴィー報道官
    イラン外務省のムーサヴィー報道官

イランが、インドとパキスタンに対し、対話や平和的な方法を踏襲することで、地域の諸国民の利益に沿った歩みを踏み出すよう求めました。

イラン外務省のムーサヴィー報道官は7日水曜、インドとパキスタンの係争地となっているカシミール地方の最新情勢に反応し、「イランは、友好国および、地域的なパートナー国であるインドとパキスタンの両国に対し、対話や平和的な方法により、地域の諸国民の利益を確保する方向で効果的な歩みを踏み出すよう期待する」と述べました。

インドのモディ首相は5日月曜、同国の憲法第370条の「自治権」に関する条項を削除し、カシミールの自治権剥奪を承認しました。

インド政府のこの措置に加え、さらに同日、カシミール地方の指導者らが自宅軟禁となりました。インド政府はまた、カシミール地方に駐留する軍隊の数を増やしています。

カシミール地方

インド政府のこの措置を受け、パキスタンのクレシ外相は国連に対し、カシミール危機の状況に関する事実調査委員会の結成を求めました。

パキスタンでは市民らが抗議デモを開催し、カシミール地方の住民に対するインド政府の一連の制限措置を非難しています。

インドの政府関係者によれば、同国政府がカシミール地方に関する憲法の条文を変更した原因は、アメリカのカシミール問題への介入をめぐるトランプ大統領とパキスタンのカーン首相の協議にあるということです。

カシミール地方の一部はインドが、また一部はパキスタンが実効支配しており、この両国はいずれもこの地方全域の領有権を主張しています。


by hiroseto2004 | 2019-08-08 17:53 | 国際情勢 | Trackback
2019年07月24日20時05分
  • パキスタンのカーン首相
    パキスタンのカーン首相

パキスタンのカーン首相が、「イランに対するあらゆる挑発行為は、恐ろしい結果をもたらすだろう」と警告しました。

イルナー通信によりますと、カーン首相は23日火曜、アメリカ・ワシントンにある平和研究所で演説し、イランとパキスタンの関係を友好的で順当なものとし、「イランに対するあらゆる挑発行為は、醜悪な結果をもたらすだろう」と語りました。

また、「非常に多くの国が、地域で発生しうる大惨事について何も知らないままでいる。このため、地域での衝突発生に発展するような事態にイランを陥れてはならない」と述べました。

さらに、「イランとの衝突は全て、地域に重大な結果をもたらす。それは、イランが近隣諸国に多くの支持者を有しているからだ」と話しました。

カーン首相は22日土曜、トランプ米大統領の招待により同国を公式訪問しています。


by hiroseto2004 | 2019-07-24 20:28 | 国際情勢 | Trackback
アメリカにひっついていたけどろくなことはなかった。利用されただけだった。
そういうことです。パキスタンの国家安全保障顧問の発言だけに重みがあります。




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by hiroseto2004 | 2018-04-05 21:39 | 国際情勢 | Trackback
パキスタンは、イスラム過激派の巣窟と化していますね。
アメリカはそんなパキスタンには甘く、イランには厳しい政策を取ってきました。
イスラム過激派とは誰が育てたか?一目瞭然ですね。


イランのローハーニー大統領が、パキスタン政府に対し、責任のある措置により、イラン南東部の国境警備隊員に対するテロ攻撃の実行犯を早急に特定し、対応するよう求めました。

26日水曜夜、パキスタンとの国境で、イラン南東部スィースターンバルーチェスターン州の国境警備隊員10名が、テロリストの攻撃を受けて殉教しました。

テロ組織がこの攻撃の犯行声明を出しています。

イラン警察のスポークスマンは、イランの国境警備隊員に対する銃撃はパキスタン領土から行われたとし、「このテロの責任はパキスタン政府が負うべきだ」と強調しました。

イラン大統領府のサイトによりますと、ローハーニー大統領は27日木曜夜、メッセージの中で、このテロで任務の遂行中に殉教した国境警備隊員に哀悼の意を示すと共に、国家安全保障最高評議会と外務省に対し、この問題を最後まで真剣に処理するよう求めました。

パキスタン駐在のホナルドゥースト・イラン大使は、27日、パキスタン首相特別顧問と会談し、パキスタンからのテロ組織による攻撃へのイランの正式な抗議を伝えました。

ここ数年、スィースターンバルーチェスターン州の国境地帯では、イランの市民や国境警備隊員が、パキスタンからのテロ作戦によって殉教しています。


by hiroseto2004 | 2017-04-29 21:43 | 国際情勢 | Trackback
パキスタンとイラクの首都・バグダッドで爆弾テロが相次ぎ、数十人がなくなったとのことです。

改めて、パキスタンとイラクの皆様に、お見舞い申し上げます。

パキスタン南部のシンド州で、爆弾テロにより、72人が死亡しました。

IRIB通信によりますと、16日木曜夕方、シンド州の宗教施設で爆弾テロが発生し、この他、200人以上が負傷しました。

テロ組織ISISが犯行声明を発表しています。

イラン外務省のガーセミー報道官は、このテロを非難しました。






パキスタンで自爆テロ70人死亡 IS犯行か

パキスタン南部にある宗教施設で自爆テロがあり、少なくとも市民70人が死亡し、過激派組織IS=イスラミックステートとつながりのあるメディアがISの犯行だと伝えました。

16日、パキスタン南部シンド州にあるイスラム教の神秘主義スーフィズムを信じる人たちの宗教施設で、男が身につけた爆弾を爆発させ、地元の警察によりますと、少なくとも市民70人が死亡し、150人以上がけがをしました。

警察によりますと、当時、この施設では、スーフィズムを信じる人たちのほか、少数派のイスラム教シーア派の人々も参加して宗教行事が行われていたということです。

事件のあと、過激派組織IS=イスラミックステートとつながりのあるアマーク通信が「ISの戦闘員が、シンド州の宗教施設で身につけた爆弾を爆発させた」としてISの犯行だと伝えました。

パキスタンでは、去年11月にも、同じスーフィズムを信じる人たちの宗教施設で市民40人以上が死亡する自爆テロがあり、この時もアマーク通信がISの犯行だと伝えました。

パキスタンの隣国アフガニスタンには、ISの地域組織が拠点を築いていて、その影響力がパキスタンにも及んでいるのではないかという懸念が強まっています。


バグダッドで爆弾テロ45人死亡 IS犯行か

イラクで過激派組織IS=イスラミックステートに対する大規模な軍事作戦が続く中、首都バグダッドで16日、少なくとも45人が死亡する爆弾テロがあり、治安当局は、ISによる犯行と見て捜査を進めています。

イラクの首都バグダッド南部で、16日、商店街に止めてあった車が爆発し、治安当局によりますと、この爆発で少なくとも45人が死亡、55人がけがをしました。

治安当局は、過激派組織ISとつながりのあるメディアのアマーク通信が「イスラム教シーア派の集まっている場所が狙われた」と伝えていることや、ISがこれまで同様のテロを繰り返していることなどから、ISによる犯行と見て捜査を進めています。

イラクでは、先月、アメリカ軍の支援を受けたイラク軍が、ISが支配する北部の主要都市モスルの東側を奪還するなど、IS掃討に向けた軍事作戦は重要な局面を迎えています。

そうした中、首都バグダッドなどではISによると見られる爆弾テロが続いており、イラクの治安当局は、北部での軍事作戦と合わせて都市部でもISによるテロへの警戒を強めています。



by hiroseto2004 | 2017-02-17 11:27 | 国際情勢 | Trackback
広島ブログ

昨日、アフガニスタン北東部でM7.5の大地震が発生しました。震源の深さが200km以上です。

震源地のアフガンも大きな被害が出ていますが、さらに震源地から遠いパキスタンで被害が大きいようです。

震源が深い地震特有の「異常震域」の可能性がありますね。


それにしても、戦火が絶えないこの地域に、天災とは!?

とにかく、お見舞い申し上げます。

そして、日本が貢献すべきは戦争支援ではなく、こういうときの被災者支援でしょう。

【イスラマバード共同】アフガニスタン北部で26日発生したマグニチュード(M)7・5の地震で、アフガンと隣国パキスタンのメディアによると、両国の…
EXCITE.CO.JP



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by hiroseto2004 | 2015-10-27 08:44 | 事故・災害・事件 | Trackback
広島ブログ

<03 インド・パキスタン若者・ヒロシマの感想> 

<インド>

シャシ・ブシャン・クルリShashi Bhushan Kurli  18才 ジャムシェドプール市
Turamdigh出身

セミナーに参加するために来ました。広島に着いたのは11月1日でした。日本に来る前は、日本
のことなど何も知りませんでした。日本の科学技術が進んでいて、広島と長崎が被爆したという
ことしか知りませんでした。広島に来て、平和記念公園や資料館を見学し、被爆者に会いました。
被爆者に会えたことはすごい成果でした。被爆で多くの人々が殺され、生き残った被爆者も生き
るために闘ってきましたし、今も闘っています。被爆者は僕たちのりっぱなお手本です。被爆者
の話を聞いて、心の中が悲しみでいっぱいになりました。ときどき、人間はどうしてこんな兵器
を作るのだろうかと考えるようになりました。今でも作っていますが、よく恥ずかしくないものだ
と思います。資料館を見学した後も、とても悲しくなりました。僕には被爆の経験はありません
が、被爆によって都市が破壊されるということを学びました。

 どうしても言っておきたいことがあります。日本人は親切ですばらしい人たちだということです。
帰国したら、国の人々にここで経験したことを話します。僕の話を聞いて、他のひとたちも
核兵器に反対するようになると思います


ショバ・ソレンShobha Soren      20才   ジャドゴダ

始めて日本へやって来た時、ここは自分がずっと来たいと思っていた場所だと感じました。
日本の方々がそれぞれ各々の方法で私たちを歓迎してくださり、私は本当にうれしかった
です。ここに来るまで、私は単に観光旅行に参加するのだと思っていましたが、ここを訪れ、
私は私たちがジャドゴダで黒い影に囚われていることを感じました。

多くのヒバクシャの方から話を聞きました。やすらぎ園にいる被爆者の方々は勇敢ですが
同時に病気にも苦しんでいて、孤独です。やすらぎ園にいる多くの方が子供もなく、一人
です。私たちが「さようなら」と彼らに言った時、泣き始める人もいました。私たちに会えて
幸せだったのだと思います。核兵器をなくすために行動を起こさなければならないという気持
ちを私たちの中に起こさせてくれました。なぜなら核兵器をなくすことこそ、有効だからです。
または、唯一の効果的方法だからです。私たちの次の時代へのギフトにもなるでしょう。
私たちの政府は核兵器を作るためにお金を投資しています。インドへ戻ったら、核兵器に
お金を投資しないことを彼らへ伝えたいと思っています。

広島は本当に美しい街です。広島の政府機関は自身の市民を大事にしていました。私は
再び日本を訪れたいと思います。何度も、何度も。


プラチュシュ・プラスンPratyush Prasun    17才     ラーンチ市

この度、広島訪問という素晴らしい機会に恵まれました。来日前、本を読んで前もって広島
について学んでいたのは、いくら開発された都市とは言え、おそらく通りには被爆者がいた
り、破壊された街角が残っていると思っていたのです。しかし来てみると、ここが原爆の被害
を受けたなんてとても信じられませんでした。しかし、平和公園や資料館、原爆病院、原爆
養護ホームを訪問し、被爆の実相はすぐにわかってきました。中でも原爆養護ホームに私の
心は打たれました。被爆者がそこで流した涙を一生忘れることはないでしょう。それに引き替
え、私の国の病院や養護ホームは、患者のための十分な施設も整っていませんし、どれだけ
遅れていることか愕然としました。日本のこれほどの病院を得ることは、インドではまさに夢
物語です。

私が広島でインドを誇りに感じたのは、平和公園の仏教のスローガンや宮島で仏教の教えに
従って建てられた建物を見た時でした。そしてまた訪問中、被爆証言、写真、本などから学ん
だことが私の心を完全に変えてしまいました。母国の原爆をどうしたら廃絶できるか考えるよう
になりました。また、放射線についての講義によって、これまで全く知らなかったことを学び、少
なくともそれがどんなに恐ろしいものかわかりました。そしてまた、小出教授の研究によると、
ジャドゥゴダやランチ周辺で高レベルの放射線が測定されたと知り驚きました。そこで生活する
上で、ただ想像を絶するばかりのことでした。しかし人々は実際そこで暮らし、ドキュメンタリー
「ブッダの嘆き」を見てのとおり、ひどい状況下で我々は暮らしているのです。ですから私の使命
は、ジャドゥゴダ住民を悲惨な生活から救うことだと悟ったのです。また、核の関連ビデオ「核の
影に覆われたイン・パ」を見て、核兵器は安全保障の兵器ではなく、逆に危険に陥れるものだ
ということが明らかになりました。

一方、パキスタンの学生と出会う夢も叶いました。思っていたとおりにフレンドリーな仲間です。
彼らがインドを敬愛してくれているのを知り感動しました。インド国民として、誇りに感じています。
彼らと多くの話し合いの機会を持つことによって、やっと気がついたのですが、両国の紛争に
携わるのは支配層であって、国民同志は常に互いを思いやっているのです。

もう1つ述べておきたいのは、日本の家庭にホームステイする機会を得て、お蔭様で美味しい和食
やインド料理を食べて本当に楽しく過ごすことができました。家族の皆さんが私を自分の息子の
ように接してくださり、心からもてなしてくださいました。洗濯やアイロンかけまでしていただき、
私のスーツケースは母がしてくれたのと同じ状態となりました。

最後に、将来の計画について述べておきたいと思います。ランチに戻ったら、スニハとまず会って、
彼女が勢力を注ぐ活動にボランティアで参加したいと思っています。一方、今回の体験を友人や
家族と分かち合いたいと思っています。彼らに写真、映画、本で実相を伝え、原爆の危険性を
認識してもらい、さらに我々のグループを大きく育てていきたいと思います。また、どうにかして
人々の注意をジャドゥゴダへ引きつけられるよう様々な方策を執りたいと思っています。

PRATYUSH PRASUN
Prat27yush@yahoo.co.in

追伸: 広島から期待したいのは、熱意を持って活動を続けていくことでジャドゥゴダの人々の
力強い支援となることです。広島の原爆資料館のような施設がジャドゥゴダ近郊に作られるべき
であり、そうすれば、原爆や放射線被害について人々に警鐘を与えることになると思います。



カルナ・バラ・ムルム Karuna Bala Murmu    21才   ジャドゴダ

広島、私の夢の地?。この美しい都市を訪れるチャンスがあろうとは思いもしませんでした。しかし
2003年11月1日、私たちはやって来たのです。街の美しさだけではなく、人々は言葉で言い表
わすことができないほどいい方ばかりで、とても礼儀正しくサポートしてくださっています。街同様、
本当に素晴らしい市民です。

今回の訪問は、広島の方々の尽力がなければとても実現しませんでした。友達は、私が日本に
行くと知り、「とてもラッキーね」と言いました。来日し、私もつくづく幸運を感じています。

広島を訪れ、平和公園から宮島に至るまで周囲のものすべてが美しく、とても楽しく過ごしました。
そして一番ワクワクする重大なことと言えば、パキスタンの友達と一緒に過ごしたことです。お互い
に意見交換もしました。彼らはとても真摯で友好的です。
このほか、被爆者を訪ね、被爆証言を聞いたのは貴重な体験で、多くのことを学びました。また、
中学校を訪れ一緒に給食を食べたのも楽しい思い出です。実は広島に来る前、私たちは世界で
孤立していると思っていました。なぜなら、私たちの政府は国民にあまり関心がないみたいだか
らです。しかし、ここに来て日本の人たちのやさしさに触れ、涙がこぼれ出ました。広島の大人
だけでなく子どもたちも、私たちのことを気にかけてくださっているのです。

当初は、今回のミッションを普通の旅と考えていましたが、来てみると結果的に多くのことを学び、
インド国民に伝えることを得たわけです。そしてまた、ホストファミリーの皆様には感謝の念に絶え
ません。私のことを気遣ってくださり、本当によくしてくださいました。
今、私は自分の行動に密かな自信を持っています。広島訪問によって平和と核兵器の知識を
たくさん得ることとなりました。今や、インド国民と世界平和のために何かが出来ると感じています。
「暴力は、問題の解決にはならない。それは人生を直接脅かすものである」。
Karuna Bala Nurmu


ケトゥキ Ketki  16才                ラーンチ市

まず最初に、森瀧春子さんをはじめ、他のメンバーの皆さんのインド・パキスタンへ、そして全世界
に向けて下さっている愛情に対し感謝したいと思います。皆さんは親切にもインド・パキスタン青少年
の平和交流を実現するために大変ご尽力下さいました。
今日、インド・パキスタンは核兵器の影に覆われていると言えます。しかし私はこれにもう一語付け
加えたいと思います。それは、インド・パキスタンは核兵器の悲痛な影に覆われているということです。
これは、科学者たちによってなされた全く衝撃的なことです。我々がこれらの核兵器について考え、
製造を始めるとき、それはただ我々自身を害することにしかなりません。採掘、精錬、とりわけ使用
については、採掘によるジャドゴダでの被害、そしてこれらの核兵器使用によるヒロシマ及びナガ
サキでの被害といった重大な実例というものがあります。その中で、これら核兵器に関する安全性
というものは一体どこにあるのでしょうか?人口を減らすということでしょうか?それともより多くの
孤児を生み出すことでしょうか、何世代にも渡って障害を持つ子どもたちを増やし続けるということ
なのでしょうか?核兵器とは科学者そして政府が持つ単なる夢でしかないと思います。核兵器に
正当性など全くありません。戦争という言葉がありますが、それによって作り出されるものは「最悪
の関係」を意味します。
地球(Earth)という言葉はもちろん誰もが知っている言葉ではありますが、それが何を意味するのか
考えたことがあるでしょうか。それは「心を通じた関係を促進する」ことを意味するのですが、そうでは
なく「憎しみを通じた関係を築く」こととして捉えられているように感じます。現在、我々は宗教の名に
おいて戦いを行っています。しかし、どの宗教が我々に戦うことを教えていると言えるでしょうか?
それは、貪欲という名の宗教でしかありません。それは、はちみつを持ってこさせ、最後には殺して
しまう蟻の貪欲さと同じです。それは、そのような破壊的な核兵器の火の中に人を投げ込む人間の
貪欲さなのです。我々は「地球(Earth)」とは、母のようにそれぞれが必要とするものを満たしてくれ
るものと考えます。では、その自分たちの母親をいくつかに分けてしまい、その上、そのもはや死ん
でしまっている母親のいくつかの部分を獲得するために満たされない生活を続けることを一体誰が
出来るのでしょうか?これは、すべての人にとって全く馬鹿げたことです。また、一体どのようにして、
すべてにとっての母親である地球を分けることが考えられるでしょうか?そして、それを分割した後
でさえ、どうしてそのすでに亡くなっている母親の一部を巡って戦うことが出来るのでしょうか?これ
が、核兵器製造の理由なのです。現在、インドでもパキスタンでも誰も人類愛ということを考えようと
しません。もし考えているのならば、3度にわたる戦争は起きていなかったでしょう。この世界では、
高価なものを贈り物として誰かに買ったり、与えたりしますが、お金のかからない、そして利己的で
ない愛を誰かに対して持つことはなかなかありません。

誰もどの瞬間がそれぞれの人生で最後の瞬間になるかなど分かりません。どうしてこの貴重な瞬間
を憎しみのために無駄にすることが出来るのでしょうか?どうしてこの瞬間を誰をも平等に愛すること
に使うことが出来ないのでしょうか?人間は善悪を判断する力を持っています。

これらが私がずっと思っていたことでした。しかし、広島を訪問し、被爆者の方々と会い、そして平和
資料館、原爆病院等を訪れた後、これらの考えが私の中で走り巡っています。広島内外の年長者
たちの恩恵をもって、私は私の国に平和をもたらすよう最大の努力をしていくつもりです。私は決して
一人ではありません。私を助けてくれるたくさんの日本人、パキスタン人、そしてインド人の友人がい
ます。特にインドでは、すでに平和のために努力しているスネハがいます。この大きなグループを
もって、いつか皆で友好に手を取り合うことが出来るでしょうし、必ず実現するつもりです。必ず我々
はこれを実現することが出来るのです。なぜなら「意志あるところに道は開ける」からです。
Ketki
 E-mail: ketki2moon@yahoo.com


 < パキスタン>  

アシム・カーンAsim Khan     15才  ペシャワール市

この街の悲しい歴史を知ってはじめて、人間の野蛮さというものが理解でき、同時に、人間の寛容さと
献身ということが理解できました。米国は、核兵器を実験するために広島に原爆を投下し、多くの人々
の命を奪いました。人間がどうしてこのような残酷な決断を下せるのか理解できません。他方で、日本人
は、怒りと復讐心を平和への貢献へと転化し、偉大な勇気と寛容さをもって平和の道をたゆまず歩いて
きたのです。これもまた、私にはとても不思議なことではありますが、このことに対し、日本人に心から
敬意を表します。
 かつて、ことごとく破壊された広島は、今、人々が豊かに暮らす世界有数の発展を遂げた都市に
なっています。これは、日本人のものすごい努力の賜物であり、地獄を楽園に作り変えることができて
も不思議ではありません。
 この街は、私にとって平和の使節としてあるだけでなく、平和の達成をめざす私を励まし、支えてくれる
街です。ヒロシマで平和の意味を学んだ私は、平和の大使になります。被爆を体験したヒロシマとヒバクシャ
は、侵攻され、憎しみに燃えた心を平和の灯火で導くことができるのであり、ここに集まったグループ全員
は、ヒロシマの心を、世界中に広めてゆく決意にあることはいうまでもありません。


ザーラ・マルカニ. Zahra Malkani   16才    カラチ市

 数週間前、パキスタンのタール砂漠に行きました。周囲に広がるどこまでも続く砂の海と、果てしない
砂丘の、そのどこかに国境があります。国境線はインドとパキスタンを地上で隔てるものです。この境目
に唯一見えるのは、国境線に向けて空にきらめく一連の光だけでした。ふと気がつくと、鳥の群れが国境線
を横切って飛ぶのが見え、あっという間に、パキスタンからインドに飛んでいきました。私は、突然、奇妙な
幸福感にあふれ、さわやかな気分になりました。鳥たちは、見事に、自由に、何にも拘束されず、国境
もなく、無限の空を飛び回ることができるのです。その美しさ、自由さ、純粋さに私は圧倒され、これは、
私たち人間にはとうていできないことだと思ったものでした。
 ここで、この一週間で、私はついにそれを経験したのです。私の中ですべてのわだかまりが消え、
「自己」を乗り越え、今ここにいる私は、他のみんなと同じように、愛と平和、団結を渇望する謙虚な
一人の人間になりました。経験はとても得るところが大きく、地道で、啓発的で、あらゆる笑いから、
あらゆる涙、あらゆる瞬間、あらゆる言葉、あらゆる訪問まで私の脳裏に焼きついています。あらゆる
経験が、私を変えてゆくのがわかりました。私にこの機会を下さったみなさん、貴重なことを教えてくだ
さったみなさんに感謝し、この経験を生涯大切にするつもりです。この一週間に会った人それぞれが、
何か貴重なことを教えてくださいました。本当です。言葉では十分ではないので、みなさんが私を
変え、意欲を高めてくれたことを実行して証明します。みなさんから学んだことを、決して無駄に
しません。どんなに感謝しているか、言葉では言い表せないほどです。  

ザーラ・マルカニからのメール(パキスタン帰国後、カラチでの会合で発表したもの)
人の心にあるもの、慈悲      哀れみは人の顔に
愛、人の形をした神の現れ    そして平和、人自身が身に付けるもの      
ウイリアム ブレイク
 私は文章を書くのが得意だとはいえませんが、今、広島への旅について書いています。どこから
始めればいいのか、そして一度書き始めれば、どこで終わればいいのか。私の感じた衝撃は一
週間たった今も薄れることなく、私を圧倒し、感情をかき立てます。広島へと出発した時、決して
こんなことは想像できませんでした。17歳で人生を変えるような経験をするとは。ましては、この
旅がこんなにも大きな衝撃を私に与えるとは、想像もできませんでした。

広島に着いた早々から、平和公園を歩き、原爆資料館を見学し、やすらぎ園へヒバクシャを訪問
しました。その一瞬一瞬が有益で、学ぶべきものがたくさんあり、感動を与えてくれました。痛み
や苦痛、そして原子爆弾がもたらした何年にもわたる苦しみを抱えながら、その中で生きていく
人と話をし、話を聞くことで、私はまだそんな苦しみを抱える彼らの中に許す心や忘れようとする
気持ちがあることに気づきました。そんな美しい前へ向いた考え方や、自分たちの力をより良き
方向へ使おうとする姿は私の中の何かを目覚めさせる力があり、心を揺さぶられるものがあり
ました。そんなヒバクシャの方や、ともに過ごしたホストファミリー。そしてもっとも大事な、そこで
出会った友人や、この旅を可能にしてくれた関係者の方、多くの忘れられない人と出会いました。

今、本当に彼らを近くに感じ、大事に思います。私たちはお互い会った瞬間からインドの参加者と
友達になりました。私たちはもはやインド人、パキスタン人という区切りで分けられていないような
気さえしましたが、同時に私たちが抱える偏見や先入観も襲ってきました。しかし、私たちは平和、
そして母なる地球への愛という強い欲望と情熱で1つに結び付けられているのです。その2つをとも
に知っているのに、端と端に分かれて立ち、お互いが心を痛めているのです。他の人と同じように
感激したり、感動したり、奮い起こされたりするのに。私はここで築いた絆を大事にしていくつもり
です。彼らは私に人を愛する力と、信じることを教えてくれました。かつてマザーテレサは言いま
した、「私たちに平和がないのは、私たちがお互いに頼って生きているということを忘れている
からに過ぎない」と。広島で出会った人々は私たちがお互いに頼って生きていることを私に
思い出させてくれました。  

すばらしいヒバクシャとの出会いから、私たちの会話や話し合い。被害者からの痛烈な話や
生存者の気持ちを聞くことは、私たち人類が持つ確信の回復へとつながりました。お互いに
肩を寄せ合い、泣き、笑い、そして歌い踊ること。全ての瞬間に感動し、奮い立てられました。
広島で私は、人がやってしまえる崩壊と裏切りというものを感じました。しかしそれだけでなく、
広島で私は人の持つ愛や許しの心も感じました。それはヒバクシャから学んだものです。平和
への切迫した道。今、私の中にある真実の基礎ともいえるこのような気持ちが人々へと伝わっ
ていくことを強く望みます。人が冷笑したような、あきらめのような第3者的立場を脱ぎ捨て、
愛や平和が唯一の道であることに気づくこと望みます。慈悲や哀れみ、そして平和と愛の力
こそが、私たちの存在の原点であることに気づくことを望んでいます。広島は私にとってそれら
のシンボルであり、慈悲や哀れみ、そして平和と愛といった全ての感情を意味するものです。


トゥーバ・アティーク Tooba Atique 16才   ペシャワール市

 広島へ来るまで、私は戦争や核兵器、そして破壊行為は過去の新聞やテレビ、そして、
その他のメディアの中にだけ存在するものだと思っていました。私はこう思っていました。自分
は平和な家庭に生活し、お金で買うことのできるおいしい食事をし、良い服を着て、病気に苦
しむこともないと。私は与えられた完璧な生活の全てを楽しんでいました。だからなぜ私が
世界中で起こっていることに関心をもつ必要があるのだろうかと思っていました。なぜ誰か
の国で戦争が起こっていることを、誰かが家を失っていることを気遣う必要があるのでしょう
か?おなかをすかせながら眠りに就く誰かのことを、着る服がなく風邪をひいてしまった誰か
のことを、そして、病気で苦しんでいる人、世界中で死んでいく人、なぜ私が気遣う必要が
あるのでしょうか?

 今、1つの答えを見つけました。私は彼らを気遣う必要があります。なぜなら私も人間です。
上に挙げたことは私に起こっていたかもしれないからです。人は自分の状況を選ぶことはでき
ません。それがそれぞれの運命なのだから。そしてまた、そのような状況が私にふりかかる
かどうかも、決して分からないのです。

 この数日間で、私は他国で起こっている戦争を、家を失っている人々がいることを気遣う
ことを教えられました。飢えをなくすこと、病気で苦しんでいる人々のこと。そして特に強く、
世界平和を。

 この旅は核兵器が引き起こす破壊行為について知ることのできる、大変有益なものでした。
核兵器が私たちに引き起こした損害は長く残ります。原爆資料館へ行ったとき、ガイドの方
が私たちに話してくれました。現在製造されている核爆弾は58年前、広島へ投下された
それの35,000倍もの威力を持つそうです。つまり今、核戦争が勃発し、核爆弾がどこかへ
落とされたら、1つ、再び世界のどこかにヒロシマができるのではなく、35,000ものヒロシマ
ができるのです。言い換えれば、核兵器がどこか1か所ではなく、世界の崩壊を招くという
ことです。

今日、私たちがやすらぎ園へ行った時、ある女性が彼女の経験した出来事を話しながら
泣き始めたのです。58年たった今も核兵器が運んでくる痛みを痛感した瞬間です。
二度とヒロシマを繰り返さない。二度とヒバクシャを作らない。 二度と涙を流す女性を
作らない。私はパキスタンの人々に、核兵器は私たちにとって有害であることを伝えて
いくつもりです。これらを繰り返さないために。



シャバナ アッバス アリ Shabana  Abbas Ali    15才    カラチ市

どんな生き物も幸せと平和を求めます。そして人間は意識的にそれらに向けて計画を立
てます。これは私の状況にもあてはまります。今回の広島訪問は私にとって初めての
海外訪問でした。そして、ここを去ろうとする今、私は自分の旅がこのように平和な国から
始まったことを誇りに思い、そして広島を訪問し、人生において初めてこのような学習的な
経験が出来たことを大変嬉しく思っています。

まず日本に到着して最初に感動したことは、美しさと平和ということでした。私は自分の
人生でこのような平和な地を見ることが出来るとは想像もしていませんでした。もう一つ、
私の心を動かしたものは、日本の人々そして彼らのやさしさでした。基本的に平和について
学んだ後で私が考えていることは、世界では善悪の両方が生じるけれども、悪いことを良い
ことに変えようとする人々は多大な働きをしなくてはならないということ、そして大変な努力
をしなければならないということです。私は自分自身をパキスタンの平和大使であると感じ
ています。そしてこの平和学習を終えた後、大きな責任を感じています。私はグローバル
ピースメーカーズが行っている平和活動から本当に多くのことを学びました。平和な世界
をつくりだすために彼らがいっていることの重要さは言葉では説明できません。

もう一つの貴重な学習経験は、被爆者の方々をはじめとする非常に勇敢な人たちに会う
ことが出来たことです。彼らが体験したこと、そして世界に対する気持ちは私の想像を超
えるものです。ヒロシマの人々が行っている活動は、単なる歴史上のことではなく、非常
にすばらしい活動であり、この世界の天使のようだと感じます。

最後に、今回の学習経験を終え、私は今、人種差別をするのではなく、人類のために活動
しようと決心しています。そしてみんなと手と手を取り合って活動し、これらの小さな一歩が
核兵器のない、原爆のない平和な世界を作り出すことにつながるものと確信しています。
今、私は核兵器そしてそれがもたらす被害について理解しており、パキスタンに帰って、
これを自分の家族、友達、その他たくさんの人に伝えていくつもりです。
 E-mail:Shabz_abbas@hotmail.com



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by hiroseto2004 | 2015-05-12 23:56 | 反核・平和2003 | Trackback
広島ブログ

広島瀬戸内新聞経済部 さとうしゅういち

市長と会見

5日は、ハードスケジュール。

まず、9時50分に市役所ロビーに集合。
一行は10時10分より市長にお会いすることに
なりました。私自身は、市役所の友人に
夕方からのフォーラムの横断幕を頼んでいたので、
たずねる。

もういちど、1階へ降りると、スティーブ(リーパーさん)
、それから尾崎先輩が現れる。

が引率者がなかなかあらわれず、森滝さんが
10時少し過ぎに二人をつれて登場。尾崎さんは
午前中はお仕事のため、一旦離れた。

10階の市長室へ上がる。始めてである。
秋葉市長がお忙しい中、我らに時間を
頂いた。

市長にお会いするのは市長選の選挙運動のとき
以来だ。事務所で電話をかけたりしたのが
昨日のように懐かしい。政治を嫌う人もいるが、
私は政治はトイレだ、トイレ掃除は市民の義務と
心得ている。日本国憲法にも「不断の努力」
が謳われているではないか。

市長はあれから九ヶ月、本当によく頑張って
おられると頭が下がる。平和宣言は非常に良い。
過去の政治のシステムのつけから、広島市の
運営も厳しい。しかし、平和でも、町づくりでも、
市民が市長を支えて行かねばならないと思う。
将来のビジョンについても、市のメールマガジン
などで問題提起をされている。

市民が動かなければ総大将がいくら頑張っても
難しい。市政はよくならない。政治はトイレなのだ。
というか、むしろ市民がひっぱていかないと行けない
のではないか。自分自身はどれほど、できているか。
反省点も多い。

そんなことを考えていると、市長のご挨拶。
英語である。やはり世界に誇れる広島市長だ。

印パの一行からは、「日本は本当に美しい国だった」
という感想、原爆資料館を訪れての感想などが出された。

市長からは全員に記念品が渡された。逆に印パの
指導者からは市長に御土産が。

私もどさくさに紛れて市長と握手。カメラ片手で
大変失礼をしてしまった。

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高い関心、原医研

しかし、時間がなくなってきた。
市長室を出ると、今度は広島大学の原医研。

星先生が、原爆被爆者の放射線影響評価に
ついて、講義された。

結構、基礎知識の勉強になった。

レントゲン撮影などのリスクも実は原爆被爆者の
データから類推されるとのこと。

良く出てくる「シーベルト」の定義も。4000ミリ
シーベルトだと、半分の人がなくなるそうだ。
爆心地から1kmくらいだと、放射線の影響だけで
半分が亡くなるとのこと。

日米共同で、放射線の状況を調べなおした
結果、爆発の規模も従来の15Kトンから、16Kトン、
爆心地の高さも580mから600mに訂正されるなど
しているらしい。

短い時間だが最新の研究が聞けて、有意義であった。

印パの若者からも
「放射能はどうやって測定するのか」
など熱心な質問が出された。

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日本の若者と交流

続いて、佐伯区の五日市観音中学校へ移動。
急がないと大変である。尾崎さん、スティーブ、
鈴木さん、山岡さんの車に分乗してバイパスを西へ。

中学校1年生と交流。

5クラスに一行が分かれて生徒に混じって
給食をいただくことに。

まずいな、尾崎さんも森滝さんも他のクラスか。
俺一人では通訳は難しいか。しかし荊尾さんが
来てくれている。なんとかなろう。

しかし、ここでハプニング。私がなぜか、インドからの
若者やシュリプラカッシュ監督を指しおいて「人気者」
になってしまった。「さとうさん」「さとうさん」と握手攻めに。

給食が終ると体育館で国際交流集会。

それにしても手際が良い。夏原先生以下、先生方の
御かげだ。

生徒も、英語で歓迎のメッセージを作成し、読み上げて
くれた。

生徒からは
「インドやパキスタンが広島みたいに平和を大事にする
国になって欲しいか」
との質問。
「YES」
と、インドのメンバーもパキスタンのメンバーも
答える。

集会が終ると教室へ戻る。

掃除のはずだが、時間がない。
すぐに、みんなで折り鶴を折ることに。

私も、適当に折った。小学校から大学まで平和教育は
東京大空襲という私だが、なんとかなった。

折り鶴をインドのメンバーにプレゼント。

その後、校長室で休んだあと、御別れ。

続いて、女学院高校へ急行。

ここはキリスト教の学校。しかし、校長先生は
「宗教で差別することがあってはならない」
と。
3グループに分かれて討論。

ここまでくると私も少しつかれて眠い。

平和運動では先輩の荊尾さんがなんとか
リードしてくださっている。

短い時間だったが、楽しかった。

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核問題フォーラム・・・「核は絶対悪」改めて認識

続いて、メモリアルホールでの公開フォーラムのため、
原爆資料館へ急行。

湯浅さんが待っている。横断幕の準備を行なう。

人の集まりは、選挙期間中で雨と言うこともあり、
集まりは今1つか。まあ、仕方がない。ベストを
尽くそう。

まずは、京大の小出裕章先生からの発表だ。
ジャドゥコダの放射能汚染問題について
である。

ジャドゥコダは、ウラン鉱山が集中する上、
ウラン残土などが、捨て放題になっている
そうだ。ウランを積み出す駅では、ウランが
ばら撒かれて異常な高濃度の汚染に
なっているとのこと。また、道路も、ウラン残土
で舗装されるなど、大変な事態とのことだ。

人々は平気で、放射能で汚染された池の上を
歩く。処分場建設で追い出されて、住んだ先が
池の側とのことだ。そんな中で暮らさざるを得ない
こと。本当に構造的な暴力だと感じた。

ウラン鉱山での汚染は深刻とのこと。たしかに、
原発運転中や、核燃料再処理でのヒバク(主に
セシウム130などによる)もあるのだが、ウラン
の半減期はなんといっても、45億年。未来永劫
続くと言うことが深刻との指摘。

なるほどと、改めて合点。

日本でも他人事ではない。核のゴミ問題は
待ったなしの課題。また、日本はウランを
大量に輸入しているが、その周辺では
深刻な汚染が起きている。

原発は安価というイメージが振りまかれているが、
大量の核のゴミ、大量のヒバクシャの上に
成り立っているものなのだ。そのわりに、
今戦われている総選挙で争点になっていないのは
おかしな話しである。

ゴミ処理によるコスト、そしてヒバクシャを生じるという
人権問題。政治の根本の問題ではないか。もっと
真面目に議論してほしいものだ。

まったく、核とは絶対悪との認識を深めることが
できた。北朝鮮に対抗して核武装を、などという
人は、こうした問題をどう考えているのか。

そんなことを考えていると、小出先生の発表は
終り、印パ二人づつの若者が登壇、中国新聞の
田城明さんをコーディネーターに討論。

ヒロシマのイメージについては、ジャドゥコダから
来た女性はさすがというべきか、放射能被害について
あるていど想像できたとのこと。
その他の人は
「広島には障害者が多いと思ったが最初来てみた印象
は原爆の影響はないのかと思った。しかし、資料館で
恐ろしさを感じ、原爆病院でいまなおくるしんでいる人に
出会った。」
など。パキスタンからの女性はときおり、日本語を
披露するなど「成長ぶり」を見せてくれました。

また、彼ら、彼女らの友達や家族自体は広島にいくことは歓迎してくれ
ていたそうですが、世の中全般としては、核兵器の恐ろしさは知られ
ていないと言うことです。

最後に
「国に帰ったら、友達や村の人に核兵器の恐ろしさを伝えたい」
との頼もしい言葉。

「ヒロシマの人も、つらいことがあって(平和のための)運動を続けて欲しい」
と励ましの言葉も。会場から拍手。

また、久保浩之さんが「乱入」し、
俳句をプレゼントするパフォーマンスも。

それにしても、日本国内で一部にある核肯定論に対抗するためにも、こうした
核の悲惨さを冷静に科学的に示して行くことも重要だと感じる。

時間がオーバーしている。

そのまま、広島都心のレストランに。印パの引率者との食事会だ。
私にとって「原水禁」の大先輩の藤川さんも寝台列車ではるばる来られた。
東京でのことを仕切って下さったそうだ。
http://www.misatoya.net/gensuikin/

しかし、時間がない。尾崎先輩に、いきなり茶付けを頼んでくれるよう
たのむ。

飲み物と茶付けをいただくと、あたふたと森滝さんや湯浅さん、尾崎さん、
シュリプラカッシュらに分かれを告げ、席を立ち、家路についた。

帰ったのは夜中の0時半だった。

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楽しかった1週間もいよいよおわり

印パ青少年平和交流も、いよいよ、最終盤。

6日は、昼間は原爆養護ホーム見学と本県が
世界に誇る世界遺産・宮島見学。

ただし、経済部長は、仕事で欠席。
夕方、1時間休暇を取り、歓送会の会場、
アステールプラザへ。三次発16:30のバスで、
バスセンターは17:55ころ。プラザには、
18:10くらいにつきました。

若者は感想文を書いている途中。

秋葉市長が登場。

尾崎さんの司会で歓送会が始まる。先輩と
呼ぶのはやはり国際交流では、経験が
ゼロだった私を鍛えてくださったとい意味で
本当に感謝しているから。

森滝さんが挨拶。

両国の引率者からも感謝の挨拶。

市長からも御言葉。市長は英語で話された。
わたしも、市長くらい、流暢になれればよいが
そうもいかない。

「平和と愛の連鎖をつくってほしい、暴力の
連鎖を断ち切って欲しい、」
と訴え。

印パの若者だけでなく、日本の我らも頑張らねば。
北朝鮮の核問題、それを口実にした日本の戦争
協力。日本自身核のゴミ問題を抱えているし、
核利用の過程で他国のウラン鉱山の周辺
住民に迷惑をかけている。

そのことは、もちろん、今回の主要課題ではないが、
心に留め置き、頑張らないと行けない。

もちろん、そのとき、ジャドゥコダの問題をきちんと
伝えていくことが重要だろう。核が絶対悪であるという
反面教師だから。

料理は、宇品の新しいインド料理店のもの。
森滝さんが、市長に料理を勧められる。市長も
お忙しいのに本当によく来てくださった。天下の
広島市長である。感動している。

皆で、乾杯。

歓談した。

しかし、喋る方はともかく、聞くほうはなかなか苦戦。
ナスリ―ンさんの「american tiger and afghan cat」を
「medical tiger and---」と聞き違え、市長に「通訳」
していただく一幕も。

それでも、印パのメンバーと大変仲良くなれた。

しばらくすると、印パのわかもたちが前に出て、
歌を歌う。

インドの若者は市長にも歌うよう促す。

市長もそれに気軽に応じてナガサキの歌を歌って
くださった。

市長も、お忙しいのでしばらくするとおかえりになった。
エレベーターまで見送る。

「君も頑張ってください」と市長から声をかけていただき、
感動。

以降は日本の若者、インドの若者、アメリカの自称「若者」、
日本の自称「若者」が前に出て歌う、踊る。

なぜか、尾崎さんが日本語で話して、俺が英訳するという
異常事態も途中で生ずる。2度とないことだろう。逆は
これからもしょっちゅうだろうが。。

私も前に出る羽目に。すると、どこからか、「よしえ」
と尾崎さんを呼ぶ声が。たちまち、みんなで「よしえ」
コール。
結局「春が来た」を歌った。

楽しい時間もあっという間に過ぎた。

日本側からプレゼント。一方、ナスリーンさんからは
私はパキスタンの陶器をペン立てとして頂く。

この会場は九時までだ。大急ぎで片付け、下へ下がる。
名残は惜しいが御別れだ。私は明日の見送りはもちろん
行けない。後は任せた、リーパーさん。ジャームズさん。

ホストファミリーのみなさん御疲れ様。下準備に
活躍の益見さん、山岡さん。女学院生の諸君。
もちろん、森滝さん、尾崎さん。通訳のリーパーさん、
澤田さん。よしお君。御疲れ様でした。

広島瀬戸内新聞経済部としても、平和を草の根外交で作り出して
行くことを推進していきたいものだ。国家間でなかなか
難しいことも個人間ではやりやすいこともある。

なかなか、両国とも厳しいだろうが頑張って欲しい。
遠方からになるが励まして行きたいし、我々も
足元の課題に取り組んでいきたいものだ。




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by hiroseto2004 | 2015-05-12 23:54 | 反核・平和2003 | Trackback