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by hiroseto2004
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タグ:ポストモダニズム ( 30 ) タグの人気記事

【思想・哲学】和風ポストモダニズム「糸井天皇」の炎上と「新自由主義リベラルシニア」の落日ーー新型コロナウイルスであぶり出された日本社会に蔓延した「本当のウイルス」

日本におけるポストモダニズムの「天皇」糸井重里(「糸井天皇」)がまた炎上した。

今度は「スポーツのかわりに医療現場を中継しよう」という提案だ。

「糸井天皇」はポストモダニズムの「相対化」の手法を乱用しているうちに、善悪の判断がつきにくくなったのだろう。

そもそも、ポストモダニズムとは、「人権とか民主主義とかご高説をたれているわりに、植民地支配しまくり、核実験しまくり、空爆しまくりで、ジェンダー面でもいうほど立派ではない」西洋近現代の偽善を撃つ、という歴史的意義は否定できないだろう。

しかし、日本のようないわゆる村社会では、ポストモダニズムは、なんでもかんでも相対化してしまうことを通じて、被抑圧者が抑圧者に対して声をあげにくくなるだけになりかねない。昭和のDV男などはただただ粗暴なだけだった感があるが、最近の若手DV男は表面上男女平等の立場にたっているように装い、ポストモダニズムのレトリックを巧妙につかい、相対化で自分を正当化している傾向がある。いじめ加害者しかりである。はては、ポストモダニズムの相対化手法は「安倍さんもがんばっているから批判するな」的に悪用され、権力をあまやかしている。

しかし、そもそも、民主主義国家においては、権力とは批判されるためにある。そして権力批判なくして発展なしだろう。

「糸井天皇」と同世代の思想に「新自由主義リベラルシニア」がある。経済的には新自由主義グローバリズムを支持しつつ、アンチ自民というかアンチ古い自民党というスタンスだ。具体的には都市部の在住でわかいときは、大手企業正社員や正規公務員で、組合で社会党などを支持。自民党の支持基盤であった、医者や中小企業、農民を憎んでいた。そして、00年代以降は民主党ネオリベノの前原さんとか、自民党でも新自由主義グローバリズムの小泉さんらを支持した。むかし社会党が強かったのに、いまは自民党のネオリベが強いという地域が結構あるが、上記の「新自由主義リベラルシニア」で説明できる。
彼らは時間に余裕があって、ネット上で意見を発信すること洪水のごとし。そこそこ退職金や年金もあって余裕はある。他方で、自分らの時代の就職がよかったことや学費が安かったことをたなにあげて就職氷河期や、いまの学生を見下す傾向もある。そして、新型コロナウイルスでつぶれる中小企業なんぞつぶれてしまえ、などという暴言、医療従事者なんてどうでもよいという暴言などをかきこんでおられる。
中小企業支援の現場の公務員もこうしたシニアにいきどおっている。
安倍政権の補償がすすまないのも、ひとつは、こうした「新自由主義リベラルシニア」に議員が耳を傾けすぎるせいだ。
だが、彼らのいうとおりにしていたらどうなるか?
中小企業がつぶれて新しい産業がおこればいいが、現実にはそうならない。余計に総需要が後退して、さらに倒産や失業が増えるだけになりかねない。
さらに絶望したわかいひとたちが、犯罪にはしることもかんがえられるし、実際にそういう事件もおきはじめている。
「新自由主義リベラルシニア」のみなさんは、後輩の足を引っ張らないでいただきたい。政治家もこういう人たちに耳をかたむけすぎないでいただいたい。
正直、「和風ポストモダニズム」と「新自由主義リベラル」という珍妙な思想はこの20年~30年かけて日本社会に浸透したウイルスのようなものだ。新型コロナウイルスで彼らの無責任さは十分暴露された。
日本の場合は、近代合理性、近代民主主義の足元をかためなおすことだ。経済政策でいえば、憲法25条にもどづいた政治をいまからでも地道につくっていくしかない。








by hiroseto2004 | 2020-04-30 18:52 | 新型コロナウイルス | Trackback
元「県政の天皇」県議女性参院議員派の買収容疑で捜索 環境破壊や財政赤字、保健所潰しのA級戦犯
安倍総理は現代の後醍醐帝
村社会のポストモダニズムの終焉



by hiroseto2004 | 2020-04-09 22:52 | 新型コロナウイルス | Trackback

ポストモダニズムがマスコミから批判精神を奪った《思想・哲学》

昔も自民党や財界はそれなりに腹黒かったと思う。違いはマスコミによる批判がいまは弱いことだ。
昔はNHKが大手企業を、民放が国を批判するという役割分担で、腐敗を牽制してきた。財界も自民党もそれなりに腹黒かったが、抑制せざるを得なかった。

しかし、日本では村社会が残ったまま、ポストモダニズムの導入が進んだ。「なんでもかんでも相対化」は批判精神を奪い、堕落を招いただけだった。

それが特にマスコミで酷かった。その結果が安倍政権である。

イスラエルでも、首相のネタニヤフ被疑者がマスコミに便宜を図ったとして書類送検されている。これが当たり前だ。安倍総理と寿司を食って喜んでいるマスコミ人は恥を知るべきだ。

それと共に日本は、まず近代合理主義、立憲主義からやり直した方がいい。労基法を守ろうとか、文書は改竄しないとかそのレベルからやり直しだ。ポストモダニズムはそれからだ。


by hiroseto2004 | 2019-09-14 19:57 | 思想・哲学 | Trackback
【備忘録】安倍一派に悪用された「ポストモダニズム」改革

冷戦崩壊後のポストモダンの日本では、「政治主導」が一世を風靡した。
その主導者は、小沢一郎さん(後に民主党入党と同時に社民主義寄りに転向)、当時は小沢腹心だった小池百合子さん(後に自民党入党、のち都民ファーストとと転進)、あるいは前原誠司さん(民主党代表)と言ったあたりだろう。
アメリカやイギリス的な二大政党制を金科玉条とし、官僚支配を打破する。そういう方向性は、大都市のプチブルインテリ層を中心に一定の支持を集めた。
クリントン夫妻とかブレアあたりが政策面ではモデルとなっていたと思う。
ところが、今、起きているのは、安倍一派による政治主導悪用である。
すなわち、小選挙区制を軸とした現行選挙制度(いわゆる政治改革法)のもとでは、与党議員は総理に反抗すれば、再選の道をほぼ断たれる。また、官僚は、内閣人事局制度の下、総理に「殿、ご乱心を」とは言いにくい。
そうした中で、腐敗が進んだ。行政文書改ざんという、民主主義国としての資格も疑われる状況に転落した。

日本というムラ社会にポストモダンな改革を適用した結果は、ゴロツキ田舎政治への退行という皮肉な結果になったのだ。
まず、今の日本においては「国民が公務員に憲法を遵守させる」という「近代」(モダン)として当たり前の所から再出発するしかないのだ。




by hiroseto2004 | 2018-03-15 06:58 | 安倍ジャパン | Trackback
ポストモダニズムの相対主義+ムラ社会→安倍ジャパン+ダウンタウン的ないじめ・暴力容認の気風↑

ポストモダニズムの相対主義は、結局の所、日本というムラ社会では、陰湿ないじめとか暴力容認とかそういうものを甘やかす結果になったと思う。

「虐められる方も悪い」
「村八分にされる方にも落ち度」
とか、そういう屁理屈がまかり通るようになった。間違いなく、そういう屁理屈を振り回す人たちにポストモダニズムは相対主義という武器を与えてしまった。

1990年代以降、「世の中の建前と反対のことさえすればウケる」的な流れが、次第に勢力を増していった。

「建前と反対のことをする俺格好いい」的な勘違いである。
そして、そういう人たちや流れを、ポストモダニズムも甘やかしたのだ。

その結果が、昨年の吉本隆明による慰安婦像を巡る恥ずかしい発言であり、ダウンタウンによる「ベッキーへのタイキック」事件である。

もちろん、繰り返し、わたしも主張しているように、他方で、相対主義と日本のムラ社会の風土の結合は、「権力批判はダサい」という気風も生んだ。相対化に便乗して、権力批判を怠ることは、日本というムラ社会の中では楽な道である。楽な道であるが、別の言い方をすれば堕落だ。その堕落の先頭にマスコミが立っている。その結果は、安倍ジャパンであることは言うまでもない。

by hiroseto2004 | 2018-01-12 23:57 | 思想・哲学 | Trackback

価値観が多様化した状態でムラ社会が残るとどうなるか、という社会実験

日本は、現在、
「人々の生き方や価値観が多様化した状態で、ムラ社会的思考が残るとどうなるか?」
社会実験になっていると思う。
あるいは、
「ムラ社会が残存した状態でポストモダニズムを導入するとどうなるか?」
という社会実験でもあると思う。

人々の生き方が多様なのに、「他人に自分と同じ生き方」を強制する「ムラ社会」を維持すればどうなるか。
人々は衝突しあう。
若者と年配者。子どもがいる人といない人。雇用形態。いろいろなことで、激しく衝突しあう。お互いに「無理ゲー」を強いあう。
ただ、いろいろ口うるさくは言うけれど、「何かしてくれる」わけではない。
だから余計にたちがわるい。
他方で、ムラ社会の特徴として権力者に対しては甘いというのがある。
ポストモダニズムは、西欧ではアジアやアフリカに西欧のやり方を押し付けてきた西欧自身のの自己批判としては一定程度有効だったと思う。
しかし、日本においてはどうか?
ポストモダンの影響で「何でもかんでも相対化してしまう」風潮が広がった。その結果、権力(政府、大手企業など)の暴走に対する批判・監視を弱めただけではないのか?
その結果が「安倍政権」である。

日本で行われた社会実験
1、「ムラ社会が残存した状態でポストモダニズムを導入するとどうなるか?」
2、「人々の生き方や価値観が多様化した状態で、ムラ社会的思考が残るとどうなるか?」
は、1は安倍政権を招き、2は、「不寛容社会」を、招いた。2については、少子~無子化が加速。それはそうだ。これだけ、人々が衝突しあうぎすぎすした社会では子どもがいたら面倒だから。そして、外国人労働者にとっても「アジアで最も働きたくない国」に転落してしまった。
後世の世界史の教科書に「国の衰退例」として、載る可能性は高いと思う。
これだけ、急速に発展して急速に落ちた国というのも珍しいから。


by hiroseto2004 | 2017-12-08 09:27 | 思想・哲学 | Trackback

【思想・哲学】「ポストモダニスト」を辞めて「近代主義防衛」に転じた枝野幸男

枝野幸男という人は哲学的に言えば、長い間、ポストモダニストだったと思う。だから、旧民主党時代、とくに2000年代前半くらいは、自民党の改憲論議にポストモダニズムの文脈で乗っていた。

しかし、安倍の余りのひどさをみて、まずは「近代立憲主義」をしっかり固めることが大事だ、と考えを変えたのではないかと思う。

安倍による国政私物化、大手企業の相次ぐグダグダぶりなどをみると、日本の実情を見ると、まずは、近代立憲主義、合理主義をきちんと固めたうえで、次へ進まないと大変な崩壊現象を起こす、というより、もう起こしつつあると思う。

日本ではポストモダニズムの特に相対主義が、無茶苦茶茶をやっている人たちの自己正当化に使われているだけになっていると思う。
「いじめられる方も悪い」なんて、相対主義の最悪の例だと思う。

日本というムラ社会にポストモダニズムは早すぎた、猫に小判、というより、有害でさえあったと思う。

わたしは、ずっとポストモダニズムは日本ではダメだと言ってきたし、その文脈で枝野らも含めて批判してきたが、その立場から、枝野がポストモダニズムを辞めたことは歓迎したいと思う。

ただし、枝野と会派を同じくする大面の女性議員がいまだにポストモダニズムに囚われていることには重ねて、重大な懸念を表明しておかないといけない。


by hiroseto2004 | 2017-11-23 10:47 | 思想・哲学 | Trackback
都議選の結果は、自民大敗と共に、民進・生活者ネットの大敗であった。
言ってみれば、「1990年型(ポストモダニズム型)」中道の没落と言うべきである。

階級格差が拡大する中で、勝ち組が集中する東京では、「勝ち組」を自覚する人は、勝ち組の代表の小池百合子・都ファに流れ、階級格差拡大を憂える人は日本共産党に流れた。そして、民進・ネットが沈没した、ということである。



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by hiroseto2004 | 2017-07-19 15:31 | 思想・哲学 | Trackback

階級格差拡大で、ポストモダニズム的な「中道」の時代は終わった。


日本で言えば、いわゆるバブルの頃、築き上げた豊かさを背景に、

「階級格差には冷淡だが、多様性の尊重とかそういうことは表面的には支持する政治家」

がウケた時代は確かにありました。

民主党右派とか若き日の小池百合子さんとか、小泉純一郎さんとかです。

海外で言えばヒラリー・クリントンやシュレーダー、メルケル、ブレア、キャメロンなどでしょう。

しかし、今や、ポストモダニズム的な中道は、世界各地でトランプ的な右翼からは「売国奴」「新自由主義パヨク」などとと蔑まれ、左翼からは「強者の味方」「収奪者」と非難され、挟み撃ちに遭っています。

階級格差拡大が止まらない限り、基本的には、ラジカルな右派とラジカルな左派がウケるのです。

日本では大阪維新と共産党、「宇都宮先生」と「田母神閣下」、アメリカではトランプとサンダース、フランスではルペンとメランションでどちらにするか悩む人が大量に出るゆえんです。


日本の東京の場合、比較的勝ち組(グローバル・インテリ)が多いために、未だにポストモダニズム的なものが健在であり、そうした大都市グローバルインテリの受け皿になったのが小池百合子・都民ファーストであると言えるでしょう。また、東京都の豊かな財政を背景に、福祉(左派受け)にも大型事業(保守・創価学会受け)するだけのバラマキを出来ると言うこともある。

ただし、都民ファーストの勢いが、財政が東京よりは明らかに貧しい全国に広がるかどうかは未知数ではあります。

by hiroseto2004 | 2017-07-17 13:15 | 思想・哲学 | Trackback

安倍晋三総理=安倍皇帝夫妻とお友達がやりたい放題の日本国の状態「安倍ジャパン」。


安倍ジャパンとは 、結局のところ、日本の「退歩国」化の帰結ではないでしょうか?


野球のワールドベースボールクラシックで健闘して注目されているイスラエル。そのイスラエルに一人当たりGDPで抜かれた日本。

「貧すりゃ鈍する」で、ふたたび腐敗政治が復活している面はあります。

1990年代以降の、ポストモダニズム、新自由主義グローバリズム、特に小泉政治により格差と貧困が拡大したのは事実です。

「安倍ジャパン」は長い目で見るとそうした小泉・クリントン・ブレア・シュレーダー・メルケル的な政治へ反動であるともいえます。

リベラルにも責任はある。きちんと人々の生活不安をなくすことに注力してこなかったことは痛いのです。

また、民主党政権は一つのチャンスではあった。民主党のマニフェストには、「腐敗なき豊かな社会」を実現する可能性はあった。民主党は個別企業への利益誘導ではなく、個人へのプログラム予算を重視していた。

しかし、その民主党政権が頓挫した。


そして、「政府が大手企業に利益誘導し、おこぼれを国民へ」という古い政治へ回帰していったのです。


日本国は、「安倍晋三」に取り入って、利益をぶんどる方向へ回帰してしまった。

そして、ついに、安倍総理(安倍皇帝)とお仲間がやりたい放題の「安倍ジャパン」となったのです。

安倍ジャパンとは、結局日本の「退歩国」化の帰結ということ_e0094315_21232080.png

籠池理事長などのタイプの「名士」も、昔、政治が腐っていた時代の田舎にいくらでもいましたよ。

ああいうのが復活したのです。


このまま「安倍ジャパン」を放置すれば、
「腐っているから余計発展しない。すると余計腐っていく」
の悪循環に陥って行くのではないでしょうか?


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by hiroseto2004 | 2017-03-08 21:14 | 安倍ジャパン | Trackback