人気ブログランキング |

エコでフェアでピースな世界をヒロシマから国政へ!成長戦略から成熟戦略。誰もが置きざりにされない社会を。核兵器も原発もない世界を。役人からヘルパーへ。庶民増税より格差是正。ヒロシマの心活かす市民発・政界再編。


by hiroseto2004
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

タグ:東南海地震 ( 6 ) タグの人気記事

東南海地震 72周年

東南海地震 72周年

東南海地震から今日で72年です。

南海トラフ東部(熊野灘)が動いたM8クラスの地震です。
この地震では、東海地方の工業地帯に大きな被害が出ました。

名古屋市は現在で言えば5強程度でしたが、普通の工場を飛行機工場に改装して柱を撤去していたことも災いし、動員学徒に犠牲者が多数出るなど、被害が拡大しました。

当時の日本軍は、士気の低下を防ぐため、被害の大きさを隠蔽。

震源から遠いにもかかわらず、盆地の軟弱地盤のために長野県諏訪市が、大きな被害を出しましたが、諏訪市の人は、直下型地震と勘違いしたという逸話も残っています。

M8の大地震はしかし、アメリカ軍にはしっかりと関知されていました。

東南海地震の誘発地震と思われる三河地震では愛知県東部の被害が大きかったが、これまた事実上隠蔽。救援が遅れました。

そして、日本の戦争継続能力に大打撃でした。

このように、被災者を見殺しにしてまで突き進んだ戦争は、1年も経たずして東京も広島も長崎も焼け野原にし、無残な敗北に終わったのです。

現代でも、イラク戦争中の2005年に、アメリカをハリケーン・カトリーナが襲い、ジャズ「聖者の行進」で有名なニューオリンズ市が壊滅。当時、イラクに州兵が出払っていたために、救援が遅れたとされています。

そうまでしたイラク戦争ですが、ISISという怪物を生み出し、現在にいたっています。

戦争とは被災者をも見殺しにする。そういうものだということは古今東西変わらないのです。

by hiroseto2004 | 2016-12-07 21:10 | 事故・災害・事件 | Trackback

熊本地震を【激甚災害】指定してください‼︎


世耕官房副長官「激甚災害指定を一日も早く」

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2755743.html

安倍総理の腹心、世耕官房副長官は、激甚災害指定を「一日も早く」とおっしゃっていました。

しかし、常識で考えたら「直ちに」すべきでしょう。

「被害状況を把握しないと・・」などと言う理屈はどうなのでしょうか?
48人が死亡、震災関連死10人。避難所になった小学校の敷地も崩壊する始末。
過去の例から判断して指定すべきなのは明らかです。




More
by hiroseto2004 | 2016-04-21 20:07 | 熊本・大分大震災 | Trackback
広島ブログ

熊本大震災の影響で、熊本県内のアイシン精機の子会社の工場がストップ。このため、トヨタが部品不足に陥り、全国の工場がストップに追い込まれるようです。


More
by hiroseto2004 | 2016-04-17 20:15 | 熊本・大分大震災 | Trackback
広島ブログ
【海外派兵が弱めた被災者支援・・・東南海地震、そしてカトリーナ】
 イラク戦争中の2005年8月、アメリカを大きなハリケーンが襲いました。カトリーナです。
 日本でもジャズ「聖者の行進」で有名なニューオリンズは壊滅してしまいました。このとき、州兵もイラクへ派兵されていたたことと、共和党政権による新自由主義による民営化も相まって、危機管理体制は手薄で、救援が遅れました。ブッシュ政権に対する非難はごうごう、後に共和党が政権から陥落する遠因にもなりました。
 1944年、第二次世界大戦中、名古屋を中心とする東海地方を大地震が襲いました。東南海地震です。政府は、敵に被害をさとられまいとして、被害を隠し、被災者救援も遅れました。
 日本は、1993年にPKOによる海外派兵をはじめました。皮肉にもその年の7月奥尻大震災(北海道南西沖地震)、夏から秋にかけては、相次ぐ豪雨や台風で災害による犠牲者が増加に転じ、現在に至っています。
 この1年でも、広島土砂災害や御嶽山噴火などで多くの犠牲者が出ています。火山や豪雨は活発化する一方といわれています。そうした中で、日本本土を手薄にする海外派兵を拡大しようとしている。それが今の日本政府がやろうとしていることです。
 安全保障といえば、軍隊を海外に派兵することしか頭にないようなのが安倍晋三さんです。現実には、災害がいまたちまち、国民の生命や財産を奪っているのです。しかし、安倍さんの頭には「人間の安全保障」という概念がまったくないようです。



More
by hiroseto2004 | 2015-07-20 00:18 | 事故・災害・事件 | Trackback
小渕さんの周辺事態法、小泉さんのイラク派兵、第一次安倍総理改憲宣言時も災害が半端なかった!

これまで、小渕内閣の周辺事態法の後、広島豪雨災害や玄倉川事故、JCO臨界事故などの大災害が起きたこと、小泉内閣のイラク派兵の後、巨大台風に中越大震災まで起きたこと、安倍政権の改憲宣言の後、能登半島沖地震や中越沖地震が発生し、原発にも影響が及んだこと、第二安倍内閣が集団的自衛権行使容認の解釈改憲を強行した後、広島土砂災害や御岳山噴火、口永良部島噴火や、小笠原沖地震などの災害が頻発していることをご紹介しました。

日露戦争から平成初期にかけての日本ではどうだったか?
1905年に日露戦争の最大の「関ヶ原」ともいえる「日本海海戦」に日本が勝利した5月29日のわずか4日後の6月2日、瀬戸内地方をM7.2と阪神大震災並みの規模の大地震が襲いました(芸予地震)。
大日本帝国海軍の軍港・呉市と陸軍の軍都・広島市で震度6(烈震)、松山市、境港市、高知市、下関市、室戸岬市、浜田市、徳島市で震度5が襲いました。
呉市で6人、広島市で4人、安芸郡(府中、海田、熊野、坂町など)で1名の死者、広島・愛媛両県で177名の負傷者を出す大被害となりました。
たとえば1931年9月18日に関東軍が起こした満州事変。3日後の9月21日、埼玉県西部で大地震が発生しました。
大日本帝国憲法にも違反する暴挙でしたが処罰されず、ついに翌年には満州国まで建国。その直後の1933年3月3日、東日本大震災とほぼ同じ震源域の三陸沖地震(M8.1)が発生し、3000人以上の犠牲者を出しました。

1943年、太平洋戦争の戦局が悪化し、学徒出陣などが行われてきたころ、鳥取地震が発生し、多数の犠牲者が出ます。

1944年6月さらにサイパン島陥落の後、1944年12月の東南海地震、1945年1月の三河地震では軍需工業地帯の東海地方が大きな被害を受けました。
まるで、天が日本に「降伏勧告」をするがごとくの現象でした。しかし、日本は被害を隠ぺいして、戦争を継続、3月の東京大空襲、8月の広島・長崎への原爆へと破滅の道を歩んでしまいます。

1992年にPKO法が制定され、カンボジアなどに派遣されたあと、1993年に釧路沖地震=M7.5、北海道南西沖地震=M7.8、1994年=8.2に北海道東方沖地震、三陸はるか沖地震=7.6、1995年には阪神淡路大震災=7.3とコンボのように大きな地震が続きます。
また、1993年は各地で豪雨災害や台風が相次ぎ多数の死者を出していますし、米が大不作で米騒動が発生しています。

安全保障政策が転換された後に、大きな被害を伴う災害が続発する。

為政者に対して神が怒っているとは言いません。しかし、
「いい加減にせいよ。海外派兵でアメリカと一緒に外国にちょっかい出している暇があるなら、原発震災の危険性をなくしたり、被災者支援をしっかりやるのが先だろう」
「高度成長は、今まで東京・名古屋・大阪・広島・福岡などの太平洋ベルト地帯で大きな地震が起きなかったが故の僥倖と思え。これからはそうはいかないぞ。」
というメッセージを自然が発しているのではないか?

戦時中なら戦時中で「これ以上、戦争を続けている場合か?」
と為政者側が考えるべきだったのでしょう。
by hiroseto2004 | 2015-05-31 22:51 | 事故・災害・事件 | Trackback
広島ブログ

第二次世界大戦参戦から3年が経過しようとする1944年12月7日、熊野灘を震源に東海地方を大地震が襲いました。

戦争を支える軍事工場地帯の名古屋も壊滅。

しかし、戦時体制とあって、被害は隠蔽されました。
「たいしたことはない」「すぐに復旧できる」などの報道しかされなかったのです。
「また、被害を受けた各地の住民は、被害について話さないように、とする戦時統制に基づく通達が行政側からまわった。例えば学徒動員され、半田市中島飛行機の工場で働いていた少女は、同世代の友人が崩れ落ちてきた屋根の下敷きになって死亡するのを目撃し自身も死にかけたが、そうした出来事・被害状況を「決して人に話さないように。話すことはスパイ行為に等しい」などと、教師から指示されたという」(ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%9D%B1%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%9C%B0%E9%9C%87#.E6.88.A6.E6.99.82.E4.B8.8B.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E5.9C.B0.E9.9C.87.E8.A2.AB.E5.AE.B3.E3.81.AE.E9.9A.A0.E8.94.BD)より。

しかし、アメリカ側は被害情報をしっかりとつかんでいました。
さらに1945年1月13日には、この地震の余震とみられる三河地震が発生。
東南海地震よりも陸に震源地が寄っていたこともあり、東南海地震よりもむしろ多くの死者を出しました。
だが、行政の本格的な復旧活動は2ヵ月後からになっています。

戦争というのは、災害の被災者を置きざりにするものである。
これが、東南海地震、そして三河地震の教訓です。

それこそ、特定秘密保護法とのからみでいえば、自衛隊に部品を納入しているような工場がある地域の被害状況も口外してはいけない、ということが、現代でもおきえるのではないか?
その結果、被災者救援が遅れるということもありえるのではないか?
このように思えます。

第二次世界大戦中はそれこそ「海外派兵しまくり」「被災者は置きざり」という状態でした。
このことを、70年以上たった現代に繰り返してはいけない。

だからこそ、「海外派兵より被災者救援」をいまこそ、平和都市であり、被災地でもあるヒロシマから訴えていかねばならないと考えています。


More
by hiroseto2004 | 2015-03-30 22:46 | 反核・平和 | Trackback